第1章

危機意識が原点となって生まれた革新的モノづくり技術

成形型内成膜・組立システムの開発

株式会社ミツバ 工機部樹脂技術センター 主幹研究員


梅澤隆男氏

株式会社大嶋電機製作所
OSI UMSS開発推進室長
梅澤隆男氏


はじめに

夢の実現を求めて、小さな金型内に大きな工場!

私の略歴

-技術と技能一筋-

生き残りをかけて求めた、革新的究極の“ものづくり”技術開発

金型内組立の可能性の閃き

  これまでの“ものづくり工程” を一新した生産方式

四社技術者の協力を得て、連携で開発へ

日本に残すべき“ものづくり”を目指して!

-複雑形状で部品数も多い困難なランプへの挑戦-

将来への大きな転機

非常識な発想、成形した部品に同一型内で行う成膜加工

-16工程を二工程へ!-

UMSSの完成で得た成果

金型内に“ものづくり”の全工程の集約を目指した更なる挑戦

-小さな金型内に大きな工場-


OSIの開発が生み出したもの

100万個納入して不良品がゼロ

5年経過しても汚れの出ないランプ接合部、OSI装置の高信頼

OSI技術開発で得られたその他の大きな成果

開発を成功に導き、信頼を生んだもの

苦境の中、倍の開発費を出してくれた当時の社長

-社長が持っていた大きな危機感、そして期待-

量産化段階に不可欠な開発時と同じ位の熱い思い

ものづくり日本大賞 内閣総理大臣賞受賞


今、振り返って

日本の“ものづくり”の衰退を防ぎたかったのがOSIの開発動機

会社の垣根を越え、強い思いを持って取り組んでくれた協力先の仲間たち

連携をスムースにしたメンバー間の年齢の広がり

メンバーに自信を与えていった展示会

非常識への挑戦、常識化からの脱却

“ものづくり”革新への現場のみんなの必死の努力

-部品成形現場から完成品生産への現場革新-

基軸になるのは人、感動と汗と涙、この深い経験が人を変え、人をつくる

給料の大半を協力者との会食に使ってくれていた上司

SAE国際会議で得た大反響

富岡製糸場、中島飛行機と並んで“ものづくり立県群馬”の紹介ポスターに

先ずは挑戦! そこから不可能が可能となり、その感動が次の夢を膨らませる


Q&A

最初からみんなが燃えて取り組んだのか

海外の追随を阻むのは“もの”と“つくり”の継続的進化

特許の共有が次のステップへの技術レベルを上げる

OSIが秘めているかも知れない画期的省エネ技術としての可能性

素人のとんでもない発想を取り上げてくれた匠の謙虚さと挑戦意欲

テスト当日に真空が引けない! 異分野間の必死の原因究明が解明した難題

汎用性のある“OSI-UMSS”

それぞれの企業の枠を超えて開発に当たってくれた協力企業の方々

多様な専門分野の第一級の人々が集まる真剣勝負の現場に若者を出会わせる

-思いと情熱とオリジナルな着想の生まれる経緯、執念に出会わせる-

“OSI-UMSS”の更なる可能性


むすび

“ものづくりのベース”の革新と、日本の“ものづくり”復活の可能性

ある手作りの運動会…

第2章

世界初 プレスによる革新的パイプ加工技術の開発経緯

國本幸孝氏

國本工業株式会社 代表取締役社長
國本幸孝氏


はじめに

直面した大きな試練

試練その1

 繊維産業の衰退とオートバイ産業への転身

試練その2

 新興国に生産拠点を移し始めたオートバイ産業、受注激減

貴重な試練から学んだこと

さらなる試練の襲来

 時代はオートバイから自動車産業へ


自動車部品事業への進出

全く違った経営環境

技術開発への開

 当社の社宝「プレスによるパイプ曲げ加工技術」の開発経緯

マフラーステー

業界最大手企業 T社様との取引を目指して

 2倍拡管・極小曲げの開発

 待望の大手企業の部品受注に成功

 遂にT社との直接取引口座取得


当社の代表的開発部品

プレス金型による曲げ技術と端面成型技術の開発

バリの出ないパイプ端面カット機の開発

拡縮管によるメカバルジ技術の開発

プレスによるチタンパイプ曲げと徐変フィレット加工の開発

2倍拡管技術、極小曲げ技術、ツブシ成型技術、縮管技術の開発

極小曲げとベローズ一体加工技術の開発

3倍拡管と極小曲げ、一部増肉技術の開発

曲げ・拡管・パイプ全体にプレスによる凹み等を付ける成形加工技術の開発

究極のパイプ潰し成形加工技術の開発

薄板パイプへ、ピッチ1.5の電球ネジ転造加工

完全自動パイプ加工量産成形機の開発

微細穴あけの技術開発

特殊歯形状の技術開発

ひねりを加えた連続曲げ、曲げ途中の穴開け及びピアスバーリング加工

現在取り組んでいる工法


今後に向けて

これからの課題

おわりに

第3章

自動制御機器・極限の技術への挑戦

多摩川精機株式会社 代表取締役会長 萩本博幸氏


萩本博幸氏
当社の創業者の経歴

戦前から製造していたシンクロとジャイロ部品

社内教育の歴史


戦後の状態と生き残りの時代

シンクロの再開とジャイロのコマの製造スタート

高度成長期、OEMからの脱却

デジタルの時代を迎える


シンクロのイノベーションの歴史
     取締役 モータトロニックス研究所長 北澤完治

戦前の多摩川精機のセルシン製造の歴史

火星探索機

戦後のセルシンからシンクロへ

防衛庁向けシンクロ、レゾルバ

産業機器等への応用の歴史

ブラシレスレゾルバの開発

超高精度多極シンクロの開発

宇宙、衛星用シンクロ、レゾルバの開発の歴史

スマートシンの歴史

シングルシンの開発と車載用途への

-世界シェア100%-

1Xシングルシンの開発

シングルシン開発で各種受賞

シンクロ・レゾルバ角度精度の歴史、レスパーツ化の歴史


ジャイロのイノベーションの歴史(機械式ジャイロからMEMSジャイロへ)
     開発担当 常務取締役 熊谷秀夫

対戦車ミサイル用機械式ジャイロの開発

魚雷用MK46コースジャイロの歴史

DTGのライセンスと開発の歴史

光ファイバージャイロの開発の歴史

ガスレートセンサーの開発の歴史

MRLGの歴史

立命館大学での学位論文

ジャイロ応用の時代

MEMSジャイロの開発

MEMSジャイロを引き受ける

八戸にジャイロの主力を移動

MEMSジャイロの応用

将来のジャイロの応用


S/Dコンバーター、スマートコーダーのイノベーションの歴史
     理事 スペーストロニックス研究所 所長 櫛原 弘

何故S/D、D/Sをやらねばならなかったか

多相シンクロを基本としたS/Dの展開と開発の歴史

アナログデバイス社との業務提携

スマートコーダの自社開発の歴史

スマートコーダ/ドラマの始まり

T社への道/P車への搭載

スマートコーダの応用と展開

新たなスマートコーダ開発への挑戦

スマートコーダの新たな形態への挑戦

デジタル化の歴史を顧みて


私の経営理念とヴィジョン
     多摩川精機株式会社 代表取締役会長 萩本博幸

次の世代に望まれる三種の神器

経営理念

結論


まとめ 

放送大学名誉教授 森谷正規


成形型内成膜・組立システムの開発

プレスによる革新的パイプ加工技術の開発

自動制御機器 極限の技術への挑戦

ページトップ