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2013-02

わが社の経営再建、新グローバル化時代への対応/千代田化工建設 関誠一氏

《と   き》2013年2月5日 
《講  師 》千代田化工建設(株) 顧問 前会長・社長 関 誠夫氏
《コーディネーター》放送大学 名誉教授 森谷正規氏

 

「イノベーションフォーラム21」2012年度後期第4回は、千代田化工建設の社長、会長を務められた関誠夫さんの「我が社の経営再建、新グローバル時代への対応」と題するお話しであった。
 まずは会社の歩みについてであり、LNGプラントにおいて世界シェアの50%近くを占めるまでに至った発展と、代表的なカタールとサハリンのLNGプロジェクトの紹介があった。カタールプラントはまさに巨大であり、世界各国からの7万5000人の人々が建設に従事した。現地の日本人は200人であり、それでピラミッドのように巨大な労働組織を動かすのであるから、その労苦は想像を越えるものがある。作業現場へ労働者を運ぶのはバスであるが、それが300-400台も繋がって走るという。
 カタールは非常に暑い国であり、日中は摂氏50度を越すことがあるという。50度を越えれば、労働は中止になる。一方でサハリンは猛烈に寒い。酷暑、酷寒の中でのプラント建設の奮闘である。
現地の人々と接するのに、基本は「レスペクト」というのが印象的であった。対等の人間として、敬意を払うという姿勢が欠かせないという。このレスペクトという言葉は、日本の組織においては、あまり登場はしない。日本人同士であれば、ともかく親しくなり仲良くなるのが第一とされる。そこには、人と人との対等の付き合いという観念が見られない。日本における人間関係と海外での人間関係とは違うのだ、ということで印象が強かった。
 もっとも、中東では「注意」も必要であるというのも、なるほどと思わされた。日本でのようには、信用は出来ない面があるので、後で泣き面をかかされないように、相手の言動に十分に注意を払ってないといけないのだ。
多種多様な膨大な人間の寄り合い所帯である海外での組織において、何を心掛けるべきか、レスペクトと注意は、それを思い知らされる言葉であった。
なお、現場ではなくトップレベルでの関係も、日本とは様相をかなり異にする。そこで基本的に重要であるのは契約であり、これは欧米の企業との関係において千代く心掛けねばならないと関さんは言う。
 この契約も日本ではとかく軽視される。それは信用が通用するからであり、信頼関係があれば良いとされる。関さんは、不測の事態において、綿密な契約があったからこそ、大きな被害を免れた具体的な例を挙げて、契約の重要性を説いた。
千代田化工建設は、1990年代後半に大変な経営危機に陥ったが、その再建の立役者が関さんであった。当時は取締役のレベルで海外で仕事をしていたのだが、再建を委ねることで、常務として呼び戻して、やがて社長になって見事に再建を果たした。そのために為したことを詳しく話されたが、荒業というのではなく、緻密なシステムを作ることによって、社員全体の日々の仕事における行動を大きく変えたことによる成果であった。インデックス、インジケータなどを設けて具体的な行動の指針を定めて、全社が自ずから変わる仕組みを作ったのである。それは整然としたものであり、経営学のテキストとも思えるものであったが、経営学者が考え出したのではなく、経営危機に直面して、切羽詰まって作ったものであるから、まさしく役立つシステムである。
 中でも注目したのが、「コールド・アイ・レビューシステム」である。個々のプロジェクトを、冷たい目で監視しようというのだ。これも日本の組織では出来にくいことである。日本は、ウエットなウォームな社会であり、コールド、冷たいというのは、マイナスイメージがある。それを冷徹に評価するものとしてあえて取り入れたのだ。
 これは、会社が倒産に瀕したから出来たことであるだろう。大胆な変革を支えるのは危機である。危機というのは、企業が大きく変わる絶好のチャンスなのだ。それを遂行出来る人材を抜擢するのが、再建のカギとなることを、この事例が示している。
もう一つ、関さんが強調されて頭に強く残っているのが、クライシス・マネジメントである。同様な言葉でリスク・マネジメントがあるが、日本人はこれに強くはない。クライシスやリスクを直視して、それに対応しようとする姿勢が、普段から弱い。関さんは社員に、「自分の身は自分で守れ」と強く言って、その上でクライシスにいかに備えるかを会社としても周到に準備している。
 これから海外でのプラントやインフラの建設は、日本の最も成長性の高い分野として大きく伸ばしていく時代に入っていく。これまでは、千代田や日揮などの限られた企業が実践してきたのだが、これからは製造業の多くが取り組まねばならない。そこで、千代田化工建設に学ぶことは多い。
 関さんのお話しをお伺いしながら、流石に海外で大変な苦労をしてきた人は、考えようが違うと思った。レスペクト、クライシス、コールドなど、一般の経営者からはあまり聞けない言葉が次々に出たのだが、全体を通して、大きな目で見て、大きな所で考えている、それが卓越していると思って、これからの経営者に最も必要とされることであると強く感じた。


東レの炭素繊維開発小史、今日の挑戦/東レ 吉永稔氏

《と   き》2013年1月10日 
《講  師 》東レ(株) 取締役 生産本部(複合材料技術)担当 吉永 稔氏
《コーディネーター》放送大学 名誉教授 森谷正規氏

 

 「イノベーションフォーラム21」の2012年度後期の第3回は、「東レの炭素繊維開発小史、今日の挑戦」というテーマで、吉永稔取締役生産性本部(複合材料)担当にお話しを戴いた。
 この炭素繊維は、1950年代末に米国のUCC(ユニオンカーバイド)が最初に開発して、その直後に工業技術院大阪工業試験所の進藤昭男さんが開発を手掛けて大きな成果を上げて、それを契機として東レを始めとする日本企業が非常に大きな力をつけて、今も世界シェアの70%を日本が握っているという誇るべき技術である。
中でも東レが断然トップだが、炭素繊維による複合材料(CFRP)がいかに発展してきたのかという非常に詳しいお話があった。そこで私が強く認識したのは、これは非常に高度な複合技術であるということだ。材料について炭素繊維と樹脂で複合されているというのは、すぐに理解できることだが、全体の技術が非常に多くのものから成り立っていて、他の素材などには類を見ない高度な複合技術であって、それがまさしく日本の強みになっていると良く分かった。
 その複合技術の主なものを挙げると、まずは糸つまり繊維で、これが基本である。次にその糸をさまざまに処理するプロセスが必要であり、当然ながら糸を焼成する技術が大きな柱になる。さらにできた炭素繊維を織物にしたり、樹脂と一緒にプリプレグという板にする技術も非常に重要で、また当然ながら樹脂の技術も必要である。
 そして、材料としてより高度なものにするコンポジット、ハイブリッドの技術も必要になり、さらに材料としての評価・解析技術も不可欠であり、そのための試験法の技術も必要になってくる。これらの全てを東レは、自社で開発してきた。例えば、焼成とそのための炉は、繊維の会社である東レにはなかったはずだが、「私がやる」という研究者が現れて、見事にその部分を担った。このような多種多様な複合技術を完成させることができるのが、日本の強さであると強く感じた。
吉永さんは、このそれぞれの技術について、技術的に非常に細かに話された。いま、日本は韓国などへの技術流出の大きな問題に悩まされている。したがって、技術について具体的に細部にわたって話すのには慎重でなければならないという気持ちになりがちだ。ところが、吉永さんは一向に意に介さない話ぶりであった。
 私はそこで、フロアの皆さんに次のように申し上げた。この話を韓国の企業が聞いたとしたら、うちの会社で炭素繊維を本格的に開発するのはとても無理だ、東レに追いつくなどは至難だと思うに違いない、日本の企業は、これからそのような高度に複合的な技術に取り組むべきでしょうということである。
もう一つ、強く感じたのは、CFRPは非常にダイナミックな技術であるということだ。これからその応用は大きく広がっていって、乗用車が最も大きなものだが、パソコンなど情報機器の筺体にも応用が始まっている。そして、乗用車とパソコンでは、求められるものが性能、品質、生産法など大きく異なるのである。そのために広範囲の技術を開発しないといけないのであり、後発国が追いつくのは、これから長期にわたってとても無理である。
開発の初期の苦労話などの秘話は、多くはなかったので、いくつか質問をした。根本は、日本に繊維メーカーは多いのになぜ東レなのかと、ズバリ聞いた。そのきっかけとしては、素材となるアクリル繊維を“綿”にする技術は多くの企業が持っていたけど、東レには“繊維”にする技術があったのが異なる点だということであった。
しかし、やはり非常に大きいのは経営者であり、当時の経営者が炭素繊維に惚れ込んだということであった。きわめてコストが高くて応用も定かではないまったく新しい素材に夢を賭けたのだ。そして、焼成などの技術はまったくないゼロの状態から、クロウ(カラス)プロジェクトという、必要な全ての技術を開発しようという大型の開発を一挙に進めたのである。
その後の実用化、普及への道程は、量産が出来ず、用途がなかなか広がらず険しいものであった。それを支えたのが生産技術である。焼いた糸はすぐ切れてしまう、その問題などで悪戦苦闘したのだが、ついにやり遂げた。米国に加えて英国も炭素繊維に初期には非常に力を注いだのだが、成功には至らなかった。生産技術の違いが最も大きな要因であったように思う。
吉永さんは、機器メーカーと素材メーカーが、研究開発で密に協力し、共同することによって、画期的な新製品を生み出すことが出来ると繰り返しておっしゃった。航空機では、それが残念ながら日本企業ではなくボーイングであったのだが、これから日本のさまざまな企業が、CFRPによって、世界を制する画期的の新製品を生み出すことができるはずである。このお話がその契機になることと信じている。 (文責 森谷正規)


ミウラの小型貫流ボイラの進歩、M I システム/三浦工業訪問

《と   き》2012年12月14日

《訪問先 》三浦工業(株) 本社工場 (愛媛県・松山市)

《講  師 》代表取締役社長 高橋祐二氏 / 常務取締役 越智康夫氏
《コーディネーター》テクノ・ビジョン代表、元帝人(株)取締役 研究部門長 相馬和彦氏

 

 2012年度「異業種・独自企業研究会」(後期)の第2回は、12月14日、松山市にある三浦工業の本社および北条工場を訪問した。三浦工業は、企業向け小型貫流ボイラーでトップシェアーを占めているだけでなく、顧客で使用している自社製品を遠隔管理、遠隔メンテナンスサービスを提供することによって、顧客のコスト削減に貢献し、業績を拡大してきた。今では様々な業種で行われるに至ったこの方法を、既に1989年に開始するという先進性・革新性を持っていて、現在でもその企業風土を維持し、新規製品、新規事業を創出し続けている。今回の訪問では、どうやってこのような先進的・革新的な製品やサービスを継続的に産み出してきたか、その背景にある経営思想の特徴は何かを少しでも理解したいという期待を持って訪問した。

 最初に代表取締役社長の高橋祐二氏より、「我が社の現状と成長戦略」と題する経営方針を伺った。
会社が成長してきた過程と鍵となった革新的な製品群、それを支える社員と企業ミッションの核心部分を簡潔にお聴き出来た。

 産業用ボイラーの国内市場では、静的シェアー(設置済みのボイラー)で40%、動的シェアー(新規導入のボイラー)で50%以上を占めており、海外の売上比率も増えている。産業用ボイラーの海外の顧客は、1万社以上ある。

 製品の内製化比率は高い。部品の信頼性を高くしようとすると、どうしても内製化せざるを得ない。

 2012年度3月期の売上は746億円、純利益は36億円で、ほぼ右肩上がりで増加してきたが、最近は、自社にはない商品や技術要素を有する企業とのコラボレーションを推進している。

 成長を支えてきた革新的な製品・サービスを年代別に列挙すると、以下のようになる。

  1. 1972年 石油価格が高騰した年、効率を85%に改良した製品を投入した。この時、ビジネスモデルと経営方針を大転換した。まず顧客に売る商品には、3年間の有償保守(ZMP)を義務づけた。また、企業内では小集団独立採算制を実施した。当初ZMPの義務化は自社、顧客双方に戸惑いがあったが、当時の三浦社長は「ZMPなしには受注しない」という方針を徹底したため、普及が進んだ経緯がある。小集団独立採算制は、それまでコストに関心が低かった部署が、コストを強く意識するようになり、採算性の向上に寄与した。
  2. 1978年 ローラー作戦を開始した。営業マンは、一人当たり1,000件のユーザー情報を登録、管理することにし、そのユーザーに自社製品の売り込み活動を行った。
  3. 1986年 ボイラー多缶設置(MI)システム特許が成立。従来の最大必要量に合わせた大型機から、必要なときに必要な量を供給出来る小型機複数使用へと顧客がシフトする大きなきっかけとなった。
  4. 1989年 AI搭載ボイラー開発により、オンラインメンテナンスを開始した。2012年7月現在で、約45,000台のボイラー等がオンラインメンテナンスの対象となっている。
  5. 2004年 低NOxボイラーSQ-2500を発売した。2011年には、SQ-3000を発売し、初期製品と比較し、蒸発量は350kg/→3,000kg/hと8倍以上に、効率は70%→98%と30%近く向上している。

 ビジネスでは、技術・営業・メンテナンスの三者が一体化した三位一体体制を維持している。貫流ボイラーで国内動的シェア50%以上を占めているが、ストックとしての(静的には)国内全市場推定22万T/hの内40%のシェアーなので、残る所に進出するとともに、新たな市場開拓も実施している。新たな市場開拓では、以下の4つを提案中である。

 ①  大容量ボイラーSQ-7000の提案
 ②  工場内トータルの水処理事業
 ③  熱エネルギーの有効利用
 ④  排熱回収ボイラーの提案

海外市場は、推定で米国43万T/h、中国80万T/hあり、現在拠点展開中である。適地適産をしながらグローバル販売網を構築している。販売とメンテナンスは16ヶ国で可能となり、海外に11社、6工場を有するまでになった。

グローバルな人材育成は必要不可欠なので、研修所を設置して世界の社員が生き生きと学べるように配慮している。研修者は毎年述べ5,000人に達し、全社員が毎年1回以上ここで研修を受けることが義務づけられている。

会社のミッションは、「お客様に対して、省エネや環境保全でお役に立つ」ことであり、そのための努力を怠ることはない。

取締役 執行役員 技術本部本部長 RDセンター センター長の森松隆史氏より、見学の概要説明がなされた後、2班に分かれてオンラインセンターと北条工場を見学した。見学したポイントのみ概略を記載する。

①オンラインセンター
 1989年にスタートし、現在45,000台以上の機器を管理している。顧客のボイラーを電話回線で24時間異常信監視し、情報はフィードバックする。問題が見つかった場合、まず電話で対応するが、必要と判断された場合には、メンテナンス員を派遣する。
 メンテナンス要員は全国で1,000人ほどおり、ボイラーの安定稼働のための対応をしている。顧客には、毎月ZIS診断結果を送付している。
 ここで特定の顧客のボイラーについて、稼働中のモニタリング状況を見た。
 異常受信のうち半数はセンター対応し残り半数を全国各拠点で対応している。センターで受けた異常受信のうち91%がモニター対応だけで済み、8%が電話対応、出向対応は1%未満となっている。拠点での内容は不明であるが、全国45,000台の管理数から言って、出向対応にまで至る前に解決していることが伺える。
 実際、オンラインセンターが稼働する前は、出向率が20%あったものが、現在では0.82%に低下しているとのことなので、顧客、三浦工業双方にメリットがあったことになる。

 故障が起きた場合の機器の保証責任は、保守契約で三浦工業が負うことになっているとのことなので、三浦工業はメンテナンス向上へ強い動機を持っている。 

②水分析センター
 ボイラー、水処理、クーリングタワー、地下水などの水質分析を行っている。サンプルは同形の採水容器に充填され、バーコードで管理されている。毎日平均2,500万本、年間60万本、累計500万本のサンプル水が診断を受けている。訪問日のサンプル数は2,906本あった。

 サンプルはバーコードで分別され、自動でフタが開けられて分取された後、機器で分析されるが、ルーチン化、自動化を徹底し、最大3,500本/日の処理能力がある。ここのデータ蓄積を、新規事業として、工場内トータルの水処理事業に活用していることが伺えた。

③小型貫流ボイラー生産ライン
 組立道場では、他品種少量生産に対応するための訓練を行っている。SQ型のベースでは7種類であるが、組み合わせを入れると1,000種類くらいは作っているので、これに慣れることが必要。

  • 前組み工程 バーナーや送風機などの取り付け。
  • 転造ネジ加工工程
  • コンベアライン SQ型の組立中。ラインの全長は70m、送り速度は3~15m/h。40kg/h~2,500kg/hのボイラを1日当たり約40台、年間約10,000台を、このラインで生産する。自動車や家電と比べると、動いていることが分からないほどゆっくりしている。
  • 試運転場 全数すべての項目をチェック。

 工場見学修了後、常務取締役 東日本・西日本・首都圏事業本部担当、BP事業推進本部 本部長の越智康夫氏の講演を伺った。以下講演の要点のみ概要を記す。

  • 三浦工業の設立は1959年であるが、元々はクリーニング店や豆腐店へのボイラーを供給していた。これを産業用へ転換を図ったのが、事実上の発展へ繋がった。
  • 事業セグメント別の売上では、ボイラーが50%、メンテナンスが34%(人員約1,000人)、ほかが16%の割合となっている。
  • 三浦工業の力は、技術力、営業販売力、メンテナンス力の一体化にある。従って、社員にはその三つをできるだけ経験させる。
  • 法的規格で小型ボイラーは優遇されていた。これに技術革新を加えて市場を取った。小型貫流ボイラーは熱ロスが少なく、これを多数使用して高効率の産業用の蒸気システムができる。そのため普及が進み、販売ベースで約95%が貫流ボイラーとなった。
  • 技術およびサービスの革新は、まず日本で開発し、それを世界へ展開してきた。効率アップで省エネを容量UPでコストダウン、ほかにもCO2ダウン、NOxダウンで環境貢献、品質向上で運転機会損失の改善などをしてきた。
  • SQ型では25ppmの標準低NOx性能を更に進め、超低NOxの1ppmを達成し、2009年に商品化した。
  • MIシステムは多缶を密着設置して省スペースを実現し、かつ省エネ・CO2の削減も可能となった。重油からガスへの切り換えを含めると、CO2の40%減少も可能。
  • メンテナンスの革新は、1972年に開始したZMP契約により実現した。それまでの壊れて直すサービスから、壊さないサービスへと転換した。
  • 当初は定期点検を年間4回行っていて、それを3回に減らしたが、さらに合理化して生産性をあげるためにオンラインサービスを開始した。正確なモニターには優れたセンサーが必要となったため、ボイラーに特有のスケールモニター用センサーは、自社で技術開発した。また、電子制御用ボードは、供給不安を解消するため、自社開発した。品質責任、供給責任を担い、メンテナンスコストを下げるために必要な技術開発は、基本的に自社で行うことにしている。
  • 1979年にはトリプル制度を始めた。3人が一組となり、独立採算の収益体質が実現した。一定のエリアを担当し、現在は一組4~5名となっている。
  • ゼロケミ水処理では、ヒドラジンを全廃させた。今では顧客の45%が採用している。
    これはスケール付着、腐食防止によって可能となったが、その背景には社内で培った脱O2装置、水質改善装置、高純度軟化システムなどを活用したことがある。
  • 天然物をベースとしたボイラー用薬品(ボイラメイト)で、ヒドラジンを全廃し、BOD、CODを大幅にダウンさせた。ゼロケミ水処理では、さらにBOD、CODを減少させた。今では大手顧客の約45%がゼロケミによる水処理を採用している。
    これは、顧客のデータ解析+基礎研究+独自の商品群(脱O2装置、水質改質装置、高純度軟化システムなど)+メンテナンスの組み合わせで実現出来た。
  • R&Dセンターは事業密着型組織で、横の連携によるシナジー効果を狙っている。手掛けるテーマは、1~5年先を視野に入れており、比較的短期志向である。
  •  これからは、顧客の工場インフラに対する熱・水・環境のトータルソリューションの提供を目指す。
  • 蒸気駆動エアコンプレッサー(SDC)で圧縮熱を回収し、蒸気エネルギーの利用価値向上を目指している。
  • 新しい取り組みをいくつか列挙すると、以下の通りである。
    業務用燃料電池 住友精密工業と共同開発中。5KWからの大型化を視野に開発を進めている。
    豊かで安全な暮らしに貢献する事業として医療、食品、環境、軟水の技術・製品を暮らしで活用する提案をしてゆく。
    医療 トータルの洗浄・滅菌システムの活用。減圧沸騰式洗浄器など。
    食品 トータルの食品加工システム
    環境 サンプリングカラム、前処理システムでコストダウンと品質アップ
    軟水 肌、ペットなど家庭用への応用

 講演終了後質疑応答の時間を持った。高橋社長、越智常務の講演に触発された質問が多く出たが、以下要点のみ纏めた。

①   新製品や新事業システムが継続的に商品化されているが、具体的にアイデアは誰が提案するのか、またどこでどうやって決定するのかのメカニズムは?
 → 新商品のアイデアは、研究員から、事業部から、上部からと色々なレベルから提案される。研究員からの提案は、事業部で検討し、顧客の意見を聞く。会社の基本が三位一体の体制なので、全員現場の事が分かることも決定する際のプラスになっている。

②   ZMPはボイラー以外の他の分野でも通用するか?
 → ボイラーは、壊れやすいのでメンテナンスの価値がある。また保守契約は高価ではない。メンテナンスコストを下げられたので、高くしなくても可能になった。水処理分野などでも着手している。

③   R&Dは50人位の規模で新しい商品をどんどん出している。その理由は何か?
 → R&Dの配置は3~5年で交代させる。最近は最大10年位に伸びてはいるが、配置転換は行っている。専門家として育てた方が良い場合には残すが、それでも1~3年間は外を経験してもらっている。それが良いのではないか。

 今回の訪問で、生産現場でないと馴染みの少ない産業用ボイラー及びシステムにおける技術革新、システム革新の核心を垣間見ることが出来た。クリーニング店や豆腐店などの民生用から始めたボイラー屋さんが、産業用ボイラーで国内トップのシェアーを有するまで成長し、更にグローバル展開を積極的に行うまで、様々な技術革新や事業革新を行ってきた経緯とそれを実現してきた技術者及び経営者の姿は、グローバル競争で後塵を拝し、迷路に迷い込んでいる企業には、目の覚めるような喝を与えられた思いがする。

 創業者であるトップの強いリーダーシップがあったとは言え、それまでの常識を覆し、顧客との保守契約締結を前提とした革新的なビジネスモデルを実現したことは特筆に値する。そしてそれが三浦工業のみの利益ではなく、顧客のメンテナンスコストの削減として実現したことは、三浦工業の「お客様に対して、省エネや環境保全でお役に立つ」というミッションがあって初めてぶれない経営が実現したのであろう。

 今回は単なる一企業の成功、発展物語の域を超え、社会に技術革新、事業革新で貢献することが企業発展の根本であることを事実で語りかけている。技術開発、企業経営に携わる者に対し、極めて重要な示唆を与えて貰った一日であった。(文責 相馬和彦)。

 

 

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