- 2007-04-05 (木) 1:56
- 異業種・独自企業研究会
『越前和紙に学ぶ伝統の技と魂』
と き:2007年3月28日(水)
訪問先:福井県越前市 岩野市兵衛氏 生漉奉書紙制作工房
講 師:生漉奉書紙 重要無形文化財保持者 九代 岩野市兵衛氏
アダチ版画研究所 会長 安達以乍牟氏
新経営研究会の主軸事業「異業種・独自企業研究会」'07年度前期例会の第1回が、3月28日(水)、福井県越前市大滝町の越前生漉奉書紙 人間国宝 岩野市兵衛さんの工房をお訪ねして開催された。岩野さんは越前奉書紙の伝統を引き継ぐ九代目にあたり、先代 八代岩野市兵衛さんの後継者として親子二代にわたり国の無形重要文化財保持者(人間国宝)に認定された方である。
今回は和紙について造詣が深く、先代岩野市兵衛氏の代から同工房制作の生漉奉書紙を使用され、日本を代表する浮世絵製作の版元である、アダチ版画研究所の安達以乍牟会長にコメンテーターをお願いした。
工房では奉書紙の制作過程を、岩野さんが実物で説明された。
岩野さんの奥様が紙漉きを、ご子息が「塵取り」をされているところを拝見させて戴き、岩野さんご自身にも要所で実演戴いた。
奉書紙制作過程は、およそ以下の通りである。1.煮熟(しゃくじゅく):茨城県産那須楮15Kgを12%のソーダ灰で4時間煮沸後、蓋をして2時間蒸らす。2.塵取り:楮の繊維に付着している傷やゴミを手作業で丁寧に除去する作業。水を流している水路(「川小屋」と称する)での作業。3.叩解(こうかい):欅の板の上にちり取りを済ませた楮繊維の塊を乗せ、樫の棒で叩いて繊維をほぐす。2時間ほど叩き続ける必要があるため、夏などは大変な重労働となる。最近は、この叩解作業の前半1/2を機械の助けを借り、後半重要部分を手作業で行っている。極めて美しいリズムと動作。4.紙出し:楮繊維に含まれる多量の澱粉質や不純物を流水の中で取り除く。小一時間掛かる地道な作業。5.ねり:「のりうつぎ」と「とろろあおい」をブレンドし、その日の紙漉きに最も適した粘度に調整する。これを「ねり」といい、「のりうつぎ」によって優しい粘りが出る。「ねり」の作業は温度によって粘度が変動するので、調整の難しい工程である。この時に、一つは虫が喰わぬため、又一つは奉書紙の柔らかな白色を出すために白土を添加する。6.紙漉き:「簀桁(すけた・紙漉き用の木枠)」を前後に動かして繊維を掬い取る。温度によって粘度が変化し、バッチ式なので繊維の量が段々減ってくるので、均一の厚みで最後まで繊維を漉き取るのは難しい。厚みも百分の1~2ミリの範囲で漉き分ける。岩野市兵衛さんは、学ぶよりも慣れろだという。簀(す)は細い竹ひご製で、一本一本のひごは途中で接いでいるが、竹ひごをハスハスに切ってつなぎ、紙にそれが写らない工夫がされている。このような簀桁を制作出来る職人は、現在国内に2名ほどいるが、一枚の簀桁が12~13万円する。一日頑張っても漉ける紙の数は、最大で200枚程度。7.圧搾:紙床(しと)と呼ばれる漉き上った紙を1枚1枚重ね合わせたものを、てこの原理を使って水分を絞り出す。この行程で、紙厚は圧搾前の1/2になる。8.板張り・乾燥:1枚1枚、雌銀杏の板に広げ、天日または室(むろ)状の乾燥室内でスチーム乾燥機を使ってゆっくり乾燥する。雌銀杏を使うのは、紙の肌のきめ細かさを得るため。天火乾燥の方が奉書紙の風合い、白さが際立ってくる。9.検品:良く仕上がった奉書紙は、光に透かすと「笑う」と九代 岩野さんは言う。
現場で岩野さんが、6の紙漉きを自ら実際に実演された際、昔から唄い継がれている紙漉きの唄があり、これを聴くために岩野さんの工房に通ってくる人がいるという。参加者のたっての希望で、岩野さんの紙漉き唄を唄いながらの紙漉きの実際に触れさせて戴いた。漉き舟(漉き槽)の中で、チャッポンチャッポンという簀桁の上に水が跳ねる柔らかな音と紙漉き唄のリズムがぴったりと合い、子守唄を聞いているような何とも懐かしく、暖かい歌声と雰囲気に一同感激した。
工房での見学と実演の後、越前和紙の里にある「卯立(うだつ)の工芸館」に移動し、岩野さんの奉書紙の制作過程を改めてビデオで通して見せて戴いた後、安達さんのお話を伺い、質疑応答を行った。
安達さんからは、岩野さんの奉書に対するご意見にとどまらず、浮世絵用の奉書紙や雁皮紙など、数々の和紙の種類や歴史・特徴などについて、実物を見せて戴いてのお話があった。
岩野さんの紙が何故良いのかを説明するのは非常に難しいが、越前和紙は発色が他の産地の和紙と格段に違い、いわば和紙の基準となるもの。奉書紙ばかりでなく、越前和紙はすべての紙でレベルが高い。先代から聞いた話では、越前奉書紙を支える一つは‘水’、また乾燥に使う雌銀杏の板にもあるようで、神社などで雌銀杏の大木が倒れたと聞けば、飛んでいって入手したものだ、とのことである。安達さんがわざわざ持参された楮・雁皮などを原料とした様々な紙や、どうさ引き(礬水と書いて「どうさ」。墨やインキの滲み止めのため、明礬(ミョウバン)と膠(ニカワ)の混合液を薄く塗布する作業行程)による紙質の変化が、実際に実物に触れ、初めて理解出来た。
岩野さんのお話では、奉書紙は越前和紙千数百年の源流に当り、そこから時代の要求に応じて、様々な和紙が生まれていったという。
そのようなことで、和紙の源流ともいうべき生漉奉書紙の基本を高度に体得、体現出来、伝承出来る者として、重要無形文化財保持者の認定を受けたと理解している。
先代の父親からは、生漉奉書紙だけでは良い生活も期待出来ず、そのために浮気をしないようにということであろう、よそを見るなとよく言われた、とのことであった。
手漉き和紙の制作者は、明治の頃は国内7万軒といわれたが、今では300軒になってしまった。しかし越前和紙は昔も今も40軒。時代は変わっても本当に良い物は残っていくことが再確認され、心強く、かつ嬉しく思った次第である。
(異業種・独自企業研究会コーディネーター:相馬和彦)
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