新経営研究会
HORIBAの成長を支えるワンカンパニー経営・・・堀場製作所
- 2011-07-27 (水)
- 異業種・独自企業研究会
と き:2011年6月7日
訪問先 :(株)堀場製作所 本社工場 (京都・南区)
講 師 :代表取締役社長 堀場 厚氏
コーディネーター:テクノ・ビジョン代表、元帝人(株)取締役 研究部門長 相馬和彦氏
2011年度前期「異業種・独自企業研究会」第3回は、2011年6月7日に、京都市南区にある堀場製作所の本社工場を訪問した。東北大震災の直後に予定されていた第1回のバイエル薬品は、開催時期が変更されたため、今回は実質的に第2回である。
本社で受付を終え、堀場社長にご挨拶した後、本日の講演・見学を担当して下さった方々との打合せを行ったが、その短い間でもこの会社固有な企業文化とも言えるいくつかの特徴に気付かされた。まず、受付を含めた社員の方々の対応が、実に丁寧で心が籠もっていたことである。このことは、我々が堀場社長をお訪ねしたためでないことは、日常的に堀場製作所と取引があり、頻繁に訪問している本研究会会員の発言からも裏付けられた。移動中に偶々すれ違った社員の方々からも、いちいち丁寧なご挨拶を受けたことも、こういう対応が企業文化として定着していることを示している。異業種・独自企業研究会では、今日までに数多くの企業を訪問したが、ここまでの企業文化を有する企業はそれほど多くはない。そういう文化・風土を有する企業は、例外なく独自の優れた技術や製品を有していた。
更に、講演や見学の運営には何人もの女子社員に参画していただいたが、女子社員が秘書的な仕事に限定されず、男性と同等の立場で発言し活躍していたことも注目された。本日の講演会の全体司会も女性社員に任されており、これも堀場の企業文化であろう。そのため、実際に講演や見学が始まる前から、今日は特別な経験が出来るのではないかとの期待が膨らんだ。その期待は、以下の要約に記載されているように、全く裏切られることがなかったばかりか、期待を超える感動的な体験が出来た。
DVDの後、齋藤壽一取締役・経営戦略本部本部長が、会社概況について説明された。創業は1945年10月17日であるが、会社設立は1953年1月26日。資本金は120億円、連結での従業員は5,202名、2010年度の売上1,185億、営業利益122億、ROE9.7%、R&D投資は売上対比8-10%である。社是は「おもしろ おかしく」、”Joy and Fun”にしているが、モノ造り企業の社是としては、極めて特徴的である。
最初は電解コンデンサーの開発研究をやっていたが、朝鮮戦争勃発で断念し、代わりにpHメーターの国産化を試み、1950年に事業化に辿り着いた。
1953年に会社を設立、1996年にABX社、1997年にはジョパン・イボン社(仏)を買収し、グローバル企業となったため、2003年には社名をHORIBAに統一した。事業を5つのセグメント(自動車計測、環境・プロセス、医用、半導体、科学)に別け、それぞれのセグメントでの安定成長を目指している。HORIBAグループには37社あるが、人員の国別比率では、日本44.3%、仏18.6%、中国10.1%など、日本は50%を切っており、事業と地域のマトリックス経営を行っている。
2010年策定の中長期計画では、「安定成長と高収益」を目標としている。
次いで、堀場厚代表取締社長より、「HORIBAの成長を支えるワンカンパニー経営」と題した講演をお聴きした。堀場社長は、部下が作成したパワーポイントなどの資料は全く使わず、プロジェクターによるプレゼもなく、すべてご自分の言葉として最後まで講演された。過去の異業種・独自企業研究会での訪問において、全く資料を使わずにご自分の言葉のみで講演された例は、平成19年6月のキッコーマン茂木友三郎代表取締役会長兼CEOの講演を含めて、極めて数が少ない。業績や経営内容などのデータ的な説明は、前の齋藤壽一取締役に任せ、経営の本質的な部分に集中して話されたため、大変中身の濃い内容となった。以下に要点のみ纏めた。
1.国際化について
国際化がキーとなり、会社設立以来60年間成長出来たが、最近では国際化もほどほどでないといけないと思うようになっている。
5つの事業セグメント(自動車計測、環境・プロセス、医用、半導体、科学)の内で、環境のみが本社にあるが、売上比率は10%程度であり、その他の4セグメントは本社外にある(海外と日本支社の組み合わせ)。最近ある自動車メーカーの経営者と話した際に、「今回の大震災で分かったのは、カンバン方式をやっていたのは自動車メーカーのみで、サプライヤーは皆ストックを有しており、それが大震災後に部品供給で助かったこと」と言われた。このような事態を含め、海外生産の品質維持とサプライのリスク分散をどうやるかが大きな問題となっていることがその背景にある。
2.リーダーシップについて
リーダーには、open & fairな判断が必要。様々なカルチャーを持ち、育ち方をした人達を束ねるには、特にそれが求められる。社是に「おもしろ おかしく」を定着させたが、開発系企業には、これが予想外にすんなりと受け入れられた。この社是の決定には、多くの議論があったが、堀場雅夫現最高顧問の決断で決まった経緯がある。
3.買収について
堀場が買収した案件は、こちらが仕掛けたのではなく、相手から提案して来たものである。それが永続的に良い関係が保てた理由だと思う。ABX社は医学用に強く、堀場は弱かった。ジョパン・イボン社(仏)およびカール・シェンク社(独)は堀場にない技術を有していた。そのため、買収後に相手を堀場の技術優位性で保持することは難しく、マネジメントに頼るしか方法はなかった。 [horiba2]
ジョパン・イボン社の場合では、フランス人の味への関心が手助けになったのではないかと思っている。京の老舗割烹の客への対応は、客の好みを知り、その日の材料で最上の味を提供することにあり、堀場の経営思想に相通じるところがある。
相手の食の理解が人の理解に通じるので、食の文化は大切である。小学生でも、朝食をキチンと食べる子と食べない子では、成績に差が出ることが分かっている。
4.社員教育について
事業は戦いである。従って、戦略が重要となる。良い物を作れば売れるという考えは、ある規模までは通用するが、それからは良い物を作るだけでは不十分。会社としてのバランスが大切になる。
社内で公募し、毎年15人は海外へ出している。現時点での海外経験者は、役員で60%、役職者で30%、社員で10%となっている。
5.錦の御旗
努力が自分の幸せであることを、日々体感出来る企業風土が大切。社員はどうしてもアプリケーションに走り勝ちになるので、コア技術をしっかりと押さえることが必要となる。アプリケーションばかりやっていると、いつの間にか時代に乗り遅れることになる。一つの例として、小型携帯式の放射線測定器がある。元々は原発を中学生が見学した際に、この測定器で放射線を測り、原発が如何に安全に運転されているかを教えるために開発したものである。小型だが本格的なシンチレーション機能を採用しており、大型測定器と同等の高精度測定器である。
今までは年間150機程度しか売れなかったが、東北大震災に伴う原発事故の後は、注文が殺到して3ヶ月待ちの状態となっている。
6.発展途上国での対応
技術向上と時間が早い。そのため、①相手の先を行く、②相手の懐に入る(つまり買収)で対応していく。
講演内容が深くかつ本質を突いていたため、多くの質問が出された。そのため、質疑応答時間がかってない45分という長時間に及んだが、堀場社長は一つ一つに丁寧に回答頂き、示唆する内容が豊富だった。要旨のみを下記に纏めた。
- ① 堀場のグローバル経営では、事業と地域のマトリックス経営を行っているが、マトリックス経営は実施面で難しい点が多いはず。それをどのように克服しているか?
→ 確かに簡単ではない。マトリックス経営方針を説明すると、日本人は分かった顔をするが、外人は二人ボスとなるので、納得し難いという顔になる。しかし、現実はやっている。泊まり込みの合宿などを含めて、繰り返し繰り返し説明し、理解させるようにしている。 - ② アプリケーションとコア技術の両立は、業績重視の経営環境下では簡単ではないが、どのようにして両立させているか?
→ 堀場は大企業ではなく、偉大な中小企業になりたいという意志を持っている。これは京文化と関係している。京都では、料亭での経営者の会合で、誰が上座に座るかについて不文律がある。東京のように、役人や大企業経営者が上座に座ることはない。上座に座れるのは、a)どれだけ歴史のある企業か(それだけ長く事業を継続させたという実績)、b)年齢、の二つで決まることになっている。つまり、本物でないと長続きしないと判断される。そのジャンルで1番かどうかということである。堀場はそういう企業を目指しており、コア技術は料理のダシのように、必要不可欠のものと認識している。 - ③社員教育で重要なことは何か?
→ 社員は一人一人違う。スーパーマンは要らない。しかし、金太郎飴も要らない。あなたの特徴は何か?を常に問うている。例えれば、ステンドグラスのようなものだ。一つ一つのガラスの破片は全部異なっており、破片自体は綺麗ではないが、全体が組み合わされると、見事なステンドグラスになる。社員教育の基本は、一人一人にオーナーシップを持たせることに尽きる。 - ④M&Aでは相手企業が買収を持ちかけてきたとのことであるが、その理由は何か?
→ 相手企業は名刺で人を判断せず、その人の名前と内容で判断せず、その人の名前と内容で判断する文化を持っていた。堀場はこういう文化にプラスして、更に日本的文化を持っていたことが認められた理由であろう。中国工場では、どこでも休む旧正月にも、社員が自主的に出社して働いて呉れた。社員に強制したのではなく、中国工場の位置づけをはっきりと社員に話していたため、社員が独自に旧正月の稼働が必要だと判断した結果である。 - ⑤グローバル人材の育成方法は?
→ 英語を話すことではない。日本文化や歴史を誇りに思っている人でないと駄目。海外迎合型の人間は、現地でなめられてしまう。猛獣使いと同じで、ムチは振るうが体には当てない。つまり、プライドまでは傷つけないこと。肩書きで働く人は駄目だ。
講演後に本社工場の見学を行った。時間の関係で、見学は自動車計測のテストラボと分析センターの2ヶ所となった。
- ① 自動車計測 テストラボ
エンジンテスト、排ガステスト用のラボが全部で4つあり、エンジンはガソリンとジーゼル用テスト機が各1機ずつ備えてあった。
ジーゼルエンジンテスト機を見学したが、ダイナモモーターで負荷を掛ける方式で(独シェンク社の技術)、顧客にはテストシステム一式として納入する。粒子状物質の質量と一定サイズ以下の粒子数を分析出来る。
排ガステスト基では、希釈ガスとして外気を触媒使用によって清浄化して供給するシステムが付属しており、心臓となる分光器が堀場製、その他の部品は協力会社および外部から購入し、最後の調整を堀場で実施後販売している。
これらのシステムに必要なソフトは、グローバルに開発している。中止は英国で、それに独、米、日が協力する体制を持っている。現在のシェア-は80%であるが、これは他社よりも早く上市し、かつシステムとしてユーザーに供給したため。 - ② 分析センター
懐かしいpHメーターを含め、各種の分析機が並んでいた。ラマン顕微鏡、粒子径分析装置、元素分析機、血糖値測定器、マスフローコントローラー、放射線測定器、蛍光X線分析機など最新の分析機器を見学した。
見学会終了後、ライトパーティーに移ったが、創設者の堀場雅夫最高顧問が出席下さり、堀場がグローバルに発展する上で、あくまで「おもしろ おかしく」を追求して良い商品にこだわり続けた創設者の経営と、創設者の考え方に反して、自動車計測を追求した現社長のやり方を、反対はしながら見守った経緯など、当事者しか分からない堀場の原点とも言えるエピソードをお聴きすることが出来た。
本日の訪問では、堀場の経営思想をトップから直接お聴きすることが出来た。堀場独特の考え方は、実は京文化を企業文化に反映させたものであることが良く理解出来た。また、日本独自あるいはその企業独自の良さをとことん追求すれ
ば、それが広く世界で受け入れられるというお話しは、多くの日本企業がグローバルに発展しようとしてややもすれば忘れ勝ちになる核心を突いていることに、改めて気付かせられた。
この考え方は、グローバル人材の育成方法にも反映されており、日本文化や歴史に誇りを持っている人材でないと、国際的には通用しないこと、あなたは何が出来るか?を絶えず社員に問うことで社員が成長することは、全面的に頷ける合理性を有している。
事実、女性を含めた本社の従業員が生き生きと活動している様子を見、パーティーに出席したフランス人が、堀場に買収されて良かったと言っているのを聞くと、「おもしろ おかしく」という社是がグローバルで社員に受け入れられ、努力することが社員の生き甲斐となっている様子が容易に想像出来た。
京都には独自の文化を有するグローバル企業が多い。今回の堀場製作所は、それを支える京都文化の奥強さ、国際性を再認識した訪問となった。
(文責 相馬和彦)。
‘21世紀型ビジネスモデル’の構築・・・三菱ケミカルホールディングス
- 2011-04-16 (土)
- 異業種・独自企業研究会
と き:2011年2月22日
訪 問 先 :三菱ケミカルホールディングス(株) ケミストリープラザ (東京・田町)
講 師 :代表取締役社長 小林喜光氏
コーディネーター:テクノ・ビジョン代表、元帝人(株)取締役 研究部門長 相馬和彦氏
2011年度後期第5回は、平成23年2月22日に、東京都港区にある三菱ケミカルホールディングスの本社を訪問した。今回は、「異業種・独自企業研究会」と「イノベーションフォーラム21」の合同で開催された。三菱ケミカルホールディングスは、傘下に三菱化学、田辺三菱製薬、三菱樹脂、三菱レイヨンを有する総合化学企業として、国際的に有数の規模(世界で5位)を有している。当日の後援者である小林喜光社長は、記録メディア事業を担当していた時、赤字続きの事業を見事に立ち直らせたことで知られており、社長就任後に提唱したMOSやKAITEKI価値は、企業の新しい価値基準として注目されている。今回は異業種とイノベーションの合同開催であることも加え、参加者は90名に達し、関心の高さが伺えた。記録メディア事業を立ち直らせた戦略的経営、その後のMOS提唱の背景にある思想をお聴きできる絶好の機会として、大きな期待を持って訪問した。
講演に先立ち、本社内にあるケミストリープラザを見学した。ここは、顧客に三菱ケミカルホールディングス社傘下各企業の製品を説明するために設定されているが、展示されている製品は極めて多岐に渡っている。樹脂、フィルム、LED、色素、炭素繊維、バリアー材、リチウム電池部材、健康製品など、幅の広い製品群を見ることが出来る。近年欧米で盛んに言われた「選択と集中」とは逆の世界が展開されている。元々別企業であった三菱化学が、田辺三菱製薬(2007年10月)、三菱樹脂(2008年4月)、三菱レイヨン(2010年4月)を吸収し、持ち株会社として三菱ケミカルホールディングス社が設立されたが、欧米で行われてきたようなコア事業の選択と非コア事業の売却などの方法は取られず、グループ内各社を並立させる方策が選ばれた。この辺りは、欧米方式とは異なり、雇用と安定を優先させた経営方針であることを示している。今後はグループ全体として、製品、技術、営業、経理などの横断的最適化が実施されて行くものと思われる。
展示品の中にコンセプトカーがあったが、これは各社の持っている様々な素材を組み合わせて作った一例である。樹脂比率は60%に達し、重さも従来素材では1.5トンのものが、0.9トンまで削減出来た。
DVDによる企業の歴史、製品紹介の中で、目指すのはNo.1 chemical solution companyであるとの目標が提示されていた。
見学終了後、小林喜光社長より、「日本の新たなグローバル・アドバンテージとなる、開発戦略と事業戦略の構築」と題した講演をお聴きした。
- 三菱ケミカルホールディングス(MCHC)紹介
MCHCグループは、2010年3月期実績で、連結売上高2兆5151億円、従業員53,907名、事業は素材、機能商品、ヘルスケアの3分野にわたっており、各分野の売上高構成は、2011年3月期予想でそれぞれ51%、26%、16%、その他9%となっている。三菱ケミカルホールディングスは、三菱化学、三菱樹脂、三菱レイヨンの100%、田辺三菱製薬の56.3%の株を保有し、上場企業は三菱ケミカルホールディングスと田辺三菱製薬の2社である。
小林社長は日本の競争力強化委員会に参加しているが、コンセプトクリエーションの出来る経営者が少ないと感じている。また、グローバルな仕事をやるためには、プロジェクトエンジニアリングのスペシャリストが必要であるが、実態はお粗末な状況となっている。
sustainabilityは世界の流れであり、ダボス会議でもkey wordとなっている。MCHCでは、グループのモットーとして、sustainabilityを強調している。
事業を3分野に設定していることは、選択と集中を主張するアナリストには評判が悪いが、今後も3本柱でやっていく。1本柱に集中して過度に依存するのは、経営上むしろリスクが大きい。
- 光ディスク事業におけるグローバルビジネスの構築
1990年にUSコダック社より、米国合弁の相手であるVerbatimを買収した。記録メディアでの営業にはグローバル展開が必要と判断した先輩が居たお蔭である。三菱化学には、20年以上の光ディスク研究から、マスタリング技術、色素技術、相変化記録膜技術、ディスク化技術など優れた基盤技術を有していたが、商品サイクルの短さによる過当競争で価格が急激に低下し、事業自体が赤字に転落していた。
事業責任者に任命された時、「一年以内に黒字化」という使命を受けた。赴任してみると、事業は「茹でカエル」の状況にあり、このままでは死んでしまう、何かポジティブな行動を取らせる必要があると判断し、カエルの近くに蛇を出現させることにした。それが、必達目標の設定であり、ROS5%であった。何が何でもこれを達成することを目標とした。
そのためには、モノ造りからコト造りへの転換を決め、自社が培った製造技術の強みを最大限活かして、市況変動により不安定となりやすいメディア販売利益のみに頼らず、関連技術(技術販売一時金、ランニングロイヤルティ、色素・スタンパー販売利益)が収益を底支えするビジネスモデルを設定した。日本はR&Dで技術力を強化し、生産は台湾やインドにODM生産委託し、販売は自社で行うこととした。
記録メディア事業では、一年目のシェアが80%あっても、2~3年で20~30%に落ちるように、1~2年で追いつかれ、マネされてしまうので、常に新しい技術を出し続ける必要があった。
商品サイクルも2~3年と早い業界なので、技術をIP化しても金にならない。KHのcash化が第一であった。このビジネスモデルも、2002~2005年に通用したモデルであり、今では違うモデルが必要になっているので、このモデルは別の事業に活用しようとしている。例えば、欧州で強いVerbatimブランド(DVD-Rシェアが43%)でLEDを発売し(2010年9月発表)、更には有機EL照明事業に繋げたい。
- 新たなグローバル・アドバンテージとなる持続可能な経営に向けた挑戦
- MOSの提唱とMOS指標の導入
日本の産業が得意としてきたアナログの高度摺り合わせ技術は、製造業のデジタル化に伴って進むモジュール化への対応で、遅れが否めない。また、新興国と先進国との2面作戦を戦う必要がある。これらを克服し、持続的な成長と収益を確保するためには、sustainabilityとinnovationが鍵になる。
世界人口の増加見通しをベースとし、供給可能なエネルギー資源埋蔵量、水の供給量を予測すると、sustainabilityの確保は必須の条件となる。そのために、MBAで利益を求める「欲」(CFOの役割)、MOTで技術を極める「知」(CTOの役割)以外に、MOS(Management of Sustainability)で「義」を求めること(CSOの役割)が必要になる。それをベースにすれば、CEOがKAITEKI価値を追求することが可能となる。MOS指標は、sustainability、health、comfortの3つで計られ、MCHCの企業価値は従来の売上、利益、成長率、ROA、ROEなどの指標とMOSの和で決まると位置づけた。
- KAITEKI社会へ向けた創造事業
リチウムイオン電池、太陽電池などはどこでもやっており、ここでは儲からないだろう。何か静かに儲ける道はないだろうか? PMMA、MMA、テレフタル酸などはどうか?
次の成長ドライバーとして、早期事業化を考えているのは、有機太陽電池/部材、サステイナブルリソース、有機光半導体、高機能新素材、次世代アグリビジネス、ヘルスケアソルーションなどがある。
有機太陽電池では、変換効率向上を2010年10%、2015年15%、20XX年20%以上を目指しており、最近のデータは8.0%と世界最高水準を達成している。東大の中村研と共同研究を実施中。
サステイナブルリソースでは、GS Pla®(ポリブチレンサクシネート)、Durabio TM(イソソルバイドのコポリマー)などのバイオポリマーの操業化を検討中。
有機半導体では、有機EL照明を2011年に上市予定。次世代アグリビジネスでは、太陽電池、蓄電池、LEDで光源電源を独立させ、電力コストや炭酸ガス排出の削減に貢献したい。ヘルスケアでは、疾患治療へのソルーションおよび疾患予防ソルーションの双方に貢献するため、医薬品、診断サービス、医療の3分野で研究開発を進めている。
地球快適化インスティテュートは世界中のネットワークから情報を集め、世界の最先端の研究者と研究ネットワークを作ることを目標に、2009年4月に発足した。Sol、Aqua、Vitaをキーワードとして、研究機能の委託やシンクタンク機能を有し、地球規模の課題に答える解決策の提案や社会への発信を行っている。活動領域は環境・資源・エネルギー、水・食料、健康の3分野に設定し、第一の分野では新しいエネルギー・資源の開発、高エネルギー効率マテリアル・デバイスの開発を、第二の分野では水・食糧問題解決への貢献を、第三の分野では快適化の科学、未来の社会、新しい医療に関わる技術開発を研究・調査中である。
またグリーンイノベーションでは、新・炭素社会構築のため、脱化石燃料を目指し、メタノール、一酸化炭素、メタン、バイオマス、更には炭酸ガスを炭素源とする新・炭素原料から化学品を創製する取り組みを始めている。
次世代の産業は、ケミカルの「化学の世界」とエレクトロニクスの「物理の世界」の融合領域から生み出されるものと考えているので、化学の貢献が大いに期待される。
また、多用な事業・製品群を有するMCHCグループでは、現在のものをそのまま続けるということではなく、今後は育成事業、成長事業、キャッシュ生みだし事業、再編成・再構成事業の4つに事業を分類し、4次元管理を行う必要があると考えている。
講演内容が多岐に渡ったが、経営方針が明快かつ論理的であったため、理解し易かった。そのため、質問も多く出されたが、要旨のみを下記に纏めた。
- 日本企業は優れた素材や部品・デバイスを供給しているにも拘わらず、市場での存在感が少ない。部材だけでなく、それを使用するユーザーや異なる文化を持つ社会へ、トータルシステムとして提案する力が不足しているのではないか? これを回復する要件は何か?
→ 企業がそういう方向で開発することは勿論必要である。それ以外に、国家として纏めるstate capitalismと企業が連携して動くべき。韓国モデルで示される通り、設備やR&Dで企業レベルを超える投資が必要となっている。
- 多用な商品の営業と個別ユーザーとの接点は複雑にならないか?
→ 日本生産のコモディティは止めた。ヘルス・機能商品分野は今後整理が必要だと認識している。シーズとニーズの摺り合わせは今後検討予定。
③先進素材を企業の壁を越えて摺り合わせすれば、日本の強みになるのではないか?
→ 具体化しにくいと思う。日本では、vendor-supplierの関係で絞ってしまい勝ち。ただユーザーも変わりつつあるので、今後は変化するかも知れない。
④今後益々進むグローバル化で、人材の育成はどのようにやっているか?
→ 社員の階層毎にそれぞれ教育の場が作られているが、最後はOJTしかない。
その場合、仕事への緊張感を持たせて教育する必要がある。
⑤(外資系大手化学企業の日本トップに、自社と比較した今回の講演内容へのコメントを依頼)
→ 自社は選択と集中により2事業にフォーカスしたので、事業分野はMCHCグループよりも少ないが、その他の考え方は良く似ている。
今回の講演は、内容の豊富さと思考の深さで印象深いものであった。国内企業では、コンセプトの創造が不得手な経営者が多いと最初にコメントされたが、ご自身はその例外であることを如実に示した内容であった。MOSの提案で、「義」のある経営を強調されたが、これはROAやROE重視の経営ではすっぽり抜けてしまった概念である。元々日本の商人道では、家訓や社是として、顧客の満足、社会から生かされている事への感謝、従業員や地域の大切さなどが強調されていた。バブル後の自信喪失から、米国流のROA重視、株主優先の利益追求に走った企業も少なくなかったが、それが三菱ケミカルホールディングスのような日本を代表する企業で明確に修正されたことは、慶賀に値することである。小林社長のように、企業とは何か、メーカーとは何か、何のために、誰のために存在しているのかを真剣に考えれば、当然の帰結ではないだろうか。アナリストに言われたからと言って、その主張に唯々諾々と従った経営者は、自ら考えなかったことを深く恥じるべきであろう。
製造業に小林社長のような経営者が更に出てくることを期待しつつ、本日は希望を持って帰ることが出来た。(文責 相馬和彦)
東日本大震災と日本の産業力の強さ/森谷正規
- 2011-04-14 (木)
- VIEW & OPINION
被災者が見せた素晴らしい対応が、日本の強さに結び付く。
東日本大震災は、20メートルもの巨大な津波によって住民に想像を絶するほどの甚大な被害を及ぼし、同時に、いまでは日本の製造業の大きな担い手になっているこの地方の工場群を襲って、壊滅的な損傷をもたらした。この10数年、日本の経済力、産業力を支えた“モノつくりの強さ”が揺らいでいるとの見方が出ている中での大震災であり、日本経済の将来について大きな悪影響を懸念する声も出るだろう。
しかし、大震災の打撃と復興は、むしろ日本経済を再発展させる契機にできるはずだ。被災地の復旧と復興は、5年、10年を要する巨大事業であり、政府および企業、国民がこぞって強大な支援を行っていくのだが、そのためにも日本経済がしっかりしてないといけない。いまこそ、日本の強さに自信を持つときである。
その強さの根拠にできるのが、被災者が見せたじつに立派な振る舞いである。阪神淡路大震災からであるが、その見事な災害対応は世界中から称賛を受けていて、さらに巨大な被害を受けた東日本大震災で、改めて日本人の素晴らしい国民性を世界の人々に強く印象づけた。私は最近“日本の強さに自信を持とう”とことあるごとに言っているが、その強さを支える国民性が、巨大地震への対応と深く結び付いていることに気づいた。それをまず示したい。
われわれ日本人は当然のこととしているが、世界中から称賛を受けている大災害への対応は、どのようなものであるか。次の三点にまとめることができる。
(1)被災を運命と受け止め、冷静に行動する
(2)奪い合いや略奪はなく、助け合い、秩序を保つ
(3)便乗値上げはなく、高いモラルを維持する
日本人がなぜ、このような対応ができるのか、歴史的に振り返ってみよう。日本では自然が天であり神であり、みながそれに従って生きてきて、生かされているとも考えるのだ。その自然を含めた全体の中での自分を強く意識し、運命共同体の中で生きてきている。
そこで日本人は、他とのかかわりを大切にし、我を殺す自己犠牲の精神を持っている。これは“みな”を重視することにつながる。さらに、恥の文化があり、それが行動に自制をもたらす。とくに、金への拘りは恥ずかしいことであると考える。このような国民性であるから、こうした災害への対応は、日本人であれば当然である。
日本を称賛した世界の人々は、改めて日本の良さを見直すに違いない。東日本大震災からの見事な復興と国を挙げての懸命な支援が世界を舌I目させるのは間違いない。
国民性に見る日本の強さ
私が日本の産業力をいまもこれからも強いと見る根拠は、次の二点にある。それは日本人の国民性からくるものであるが、一つは“丹精を込める”であり、一つは“共同力を発揮する”である。
“丹精を込める”は、1978年に著した私の最初の著作である「現代日本産業技術論(東洋経済新報社)で挙げた言葉だが、これこそが“良い製品を安く作る”根本にあると述べた。最近の“モノつくりの強さ”への懸念に対して、この国民性があるかぎり強さは揺らがないと、いま改めて“丹精を込める”を挙げている。
これこそがひたすら良いものを作ろうとする日本人の心情であり、それは、自分の仕事は天から与えられた天職と心得る、他人を強く意識し満足をしてもらえるものを作る、金に拘らずともかく良いものを作るという点で、被災者の対応と根底において結び付いていることがお分かりだろう。また、出来損ないを作るのは、自分たちの恥であると日本人は考えるから“丹精を込める”のであり、恥の文化が、災害対応でもモノつくりでも日本人を支えている。
もちろん、他の国々でも人々は良いものを作ろうとする。しかし、金が儲かるから大いに努力するのであり、日本人の心情とは異なるものだ。それは、近年の米国の大水害で見られたように、多くの国々で災害時に生じる便乗値上げにつながる。
“共同力を発揮する”は、1986年に著した「技術開発の昭和史」(東洋経済新報社)において、世界で最初にテレビジョンを開発した高柳健次郎さんにインタビューした際に聞いた言葉を紹介すれば、それが大きな力になることが分かっていただけよう。高柳さんは“集合天才”という言葉を出された。欧米では、天才とはきわめて優れた個人であり、まったくの卓越した存在とされるが、日本ではごく普通の多くの人々が協力し合って、天才的な成果を挙げることができるというのだ。
日本でそれができるのは、運命共同体の中にあって、“みな”との関係を重視して、我を殺す自己犠牲の精神を持っているからである。それがまさしく、被災した人々の行動になって現れている。
他の国々でも、各人は仕事において成果を上げるべく大いに努力はするが、それはもっぱら自分のためであり、自己犠牲はほとんどありえない。
しかも、時代はいま、集合天才こそが能力を発揮できる状況である。革新技術が次々に現れる時代は過ぎて、世のニーズに応じて世に受け入れられるよう供給する時代に変わってきている。その典型的な事例を一つだけ示すと、燃料電池がある。これはエネルギーの革新技術ではあるが、数十年前に一応は実現していて、課題はケタ違いに低コスト化することであった。それに天才は必要ではなく、日本は世界に先駆けて家庭用燃料電池を実用化したが、これは多くの企業の大勢の技術者たちの集合によって実現した。
“丹精を込める”と“共同力を発揮する”のが日本の産業力の基盤であることを、いま改めて自覚したい。
時代状況の激変への想像力に欠けていた
しかしこのところ、日本の‘‘モノつくり”において、韓国、台湾さらに中国の激しい追い上げによってタジタジとなって業績不振が続いている産業があるのは事実だ。それはなぜなのか。これも、東日本大震災に結び付く面がある。それは、想像力の欠如である。
三陸地方は、歴史的にしばしば巨大津波に襲われた苦境を経験していて、高さ10メートルもの大型の堤防を築くなどして、対策を講じていた。しかし、その堤防をも軽く乗り越えるほどの巨大な津波が襲ってくることへの想像力が十分ではなかったのが、被害を甚大にさせたのは事実である。住民にその想像力を求めるのは、酷である。また為政者にも、‘惨鱈たる被害状況を見て、責める言葉を発するのはまったく忍びないのだが、当事者たちも20メートルもの津波への想像が十分ではなかったことへの反省の念は強いに違いない。
そこでモノつくりの問題であるが、その強さが大きく揺らいでいるのは、一部の産業分野であることを、まず正しく認識しなければならない。端的に言えば、それは電機産業であり、半導体、テレビ、携帯電話機などにおいて韓国、台湾にリードを許し、i Padに代表されるタブレット端末など情報機器の新製品開発で米国に立ち遅れている実態がある。だが、乗用車を始めとする機械産業、電子部品・機械部品、情報機器.エネルギー機器に向けた素材などでは、いまも日本は断然強いのである。
ではなぜ、電機産業は劣勢を強いられているのか。それは、時代状況の激変に対しての想像力の欠如に根本原因がある。一九七○一八○年代を通して、日本の電機産業は、乗用車と並ぶ二大産業として大いなる産業発展を牽引してきた。長きにわたって大成功が続いたのだが、電機産業においては、時代状況の激変といういわば大津波が襲ってきた。それは、韓国、台湾の突如とした台頭であり、しかもこれらの国は先端技術に全力を注ぎ、さらに日本の強い技術力に太刀打ちするために、あらゆる戦略を駆使した。
また情報機器は、発展の条件が大きく変わってきて、新しい利用形態を探りだし、そのための新たなソフト、サービスを創り出すことこそが成功の要因になってきていた。日本の“良い製品を安く作る”力の発揮ができなくなっていたのだ。
電機産業の経営陣は、そうした激変を事前に的確に想像することができなかった。想像力は日本は強いとは言えないのだが、電機産業においてそれが失敗の因となった。また、韓国のサムスンなど新たな強力なライバルの出現によって、激変が見えてきたのだが、それへの対応が鈍かったのも、たちまち追い上げられた原因である。
こうした問題点は、電機産業に限るわけではない。日本の国全体に、1980年代までの長期にわたる繁栄があって、その裏でいくらかの弛緩が生じていて、状況変化の的確な把握と対処、そのための果敢な決断に問題が生じていたといえる。
15年、20年先の日本を想像して復興へ
それは、政治においても顕著である。自民党政治がまさしくそうであり、時代の大きな変化を想像することがなく、対応ができずに、政権を失うことになった。また民主党も、大胆な改革を打ち出そうとしたが、それが社会にもたらすインパクトに対する想像力に欠けていて、国民に期待されて登場したにもかかわらず、政権運営にもたつきが目立っている。
だが、東日本大震災からの復興は、ひとえに国家の政治力のいかんにかかっている。互いに足の引っ張りあいをやってきた民主党と自民党だが、このまさしく国難に遭遇して、一致協力して復興に全力を投入せねばならない。それは、与党、野党の政治家が“共同力を発揮する”日本の強さを自覚してしっかりと生かせば可能である。また、被災した各地へのきめ細かな対応によって、被災した人々がそれぞれに喜ぶ復興が必要だが、それは“丹精を込める”心意気を持って当たれば、十分な成果を挙げることができるだろう。
復興に当たるリーダーたちに強く望みたいのは、15年、20年先の日本の地方における望ましい社会と生活について深い洞察をする想像力を持って、これからの日本のあるべき姿を実現するような復興を進めることである。日本人が必ずしも得意にしない“想像力の発揮”に向けて、この際、大いに努力することが肝要である。
大震災からの復興は、目覚ましいかたちで進むに違いない。日本は、復興を最も得意にする国であるからだ。20年以上も前、危機管理(クライシス・マネジメント)が日本で大きく問題提起されたとき、日本はそれへいかなる能力を持つかが議論された。結論は明白であり、将来生じる危機の予知、危機回避への尽力、危機の影響を減らすための事前の準備などにおいて、日本は強くはない。一方で日本が断然得意にするのは、危機が生じて後の復興であるとされた。
思い起こすのは、第二次大戦後の復興であるが、さらにさかのぼれば、江戸の大火がある。街の大半を焼き尽くす大火がしばしば生じたが、翌日から槌音高く復興に励んだ。その底力は、いまもあるはずだ。
復興に向けた斬新な機械、情報システムの構築が日本を強くする
東日本大震災からの復興は、これからの日本の産業発展の方向に結び付いている。その発展方向を、世界でこれからいかなる産業が強く求められる力、の視点から見てみよう。これまでの数十年、情報産業が急速に発展してきたが、あまりに急速でありいまでは成熟に向かっているとみなければならない。パソコン、携帯電話機は十分に高性能化、多機能化していて、これ以上何を望むか。i Padに代表されるタブレット端末はこれから大きく伸びていくが、単価は安くたちまち普及するだろう。この単価の安さがあって、情報機器は中国など新興国、発展途上国にまですでに広く普及している。したがって、市場としても成熟は近い。
では、これから巨大市場になる中国、インドなどは、長期にわたって何を求めるか。それやがては大衆まで購入するようになる乗用車であり、成長する製造業が求める生産関連装置であり、発展する社会が求める鉄道、エネルギー、水、廃棄物処理などのインフラストラクチュアとその建設関連の機械である。これらはすべて、機械産業である。そして、日本は機械産業では、いまもこれからも強いのである。
なお情報産業では、これまで発展した情報そのものを扱う機器、システムは成熟に達するが、エネルギー、交通を支える情報システムは、これから大きく伸びていく。
東日本の被災地において、これからの復興に大いに生かしていくのは、こうした機械系、情報系の機器、システムであり、日本の技術力を大いに発揮する場となる。そこで、次世代の社会が求める斬新なシステムを構築していけば、その経験によって日本の産業力をいっそう高めることができる。
さらにもう一つ、東日本大震災の救援において大活躍した産業を、日本が世界に向けて発展させる有力な候補として挙げたい。それはサービス産業であり、コンビニ、宅配便、チェーンレストランである。被災者たちの支援にいち早く立ち上がって、困難な状況の中で、犠牲的精神でサービスに努力した。その献身的な姿は、やはり世界の目に留まったはずである。この新しいサービス産業はすでに中国などへ進出を始めているが、評価が高まって受け入れが進むに違いない。これらの産業も‘‘丹精を込める”と“共同力を発揮する”を強みとしていて、それを世界で示すのである。
東日本大震災は、世界に日本の良さ、強さを改めて認識させることとなった。中国からの援助隊の隊長が帰国するに当たってインタビューで話したことに、感動した。
本国から食品など援助物資を持参したが、たちまち配布し終えた。そこで、配布を続けようと近くの日本の商店に買いに行くと、商店は“お金は受け取れません”と無料で差し出したという。便乗値上げといかに違うことか。隊長はほとほと感心していて、こうした話しは中国でも広く伝わるだろう。
日本の良さ、強さを改めて自覚して、東日本大震災からの復興に国を挙げて努力すれば、日本はかつての元気を取り戻すことができる。
電鋳こそ自分たちに与えられた使命と心に決めて… 江南特殊産業
- 2011-03-02 (水)
- 異業種・独自企業研究会
と き:2011年2月10日
訪 問 先 :江南特殊産業(株) 本社・江南工場 (愛知県江南市)
講 師 :代表取締役社長 野田泰義 氏
コーディネーター:テクノ・ビジョン代表、元帝人(株)取締役 研究部門長 相馬和彦氏
2010年度後期第4回は、平成23年2月10日に、愛知県江南市に本社・工場を有する江南特殊産業株式会社を訪問した。江南特殊産業は、超精密ポーラス電気鋳造技術を独自開発し、国内・海外自動車メーカー用インパネ、ドアなどの内装材成形を行っている独創的な企業である。しかも現経営トップが45年前にゼロから出発し、一代で世界に通用するレベルを築き上げた。このポーラス電鋳技術は、高精度の品質を有するばかりでなく、コスト削減および大幅な省エネルギーも可能な画期的技術であり、2005年度「ものづくり日本大賞」第一回特別賞を受賞している。
先進国および新興国を巻き込んだグローバル競争で勝ち残るためには、各企業は徹底的に世界市場シェアを獲得するか、他社にはない優位技術を確立して顧客に価値を提供するかの選択を迫られている。市場シェアを追求しても、自社技術に優位性がなければ、簡単にシェアを失う例は散見され、いずれの場合でも優位技術の開発は必要条件である。中規模以下の国内企業で、他社にはない優れた技術を開発することによって世界トップシェアを獲得し、今回の不況でも業績を伸ばしている例は多く、江南特殊産業のポーラス電鋳技術はそれに該当すると思われる。
これから益々激しくなるグローバル競争に勝ち残るために、技術および経営の独創性は、企業の規模に拘わらず、現代の日本企業にとって最も必要かつ喫緊な要件となっているのではないだろうか。今回の江南特殊産業では、自社組織内でそれを実現するため、多くの示唆が得られることを期待して訪問した。
最初に江南特殊産業の電鋳技術について、二つの講演があった。最初は、「ポーラス電鋳IMG(In-Mold Graining)とスラッシュ工法について」と題して、宇野秀広営業部海外担当部長より説明があった。通常使われている電鋳(ノーマル電鋳)では、成形品の金型表面の上に樹脂粒子を付着(スラッシュ)させ、これを加熱融着させて成形するが、ポーラス電鋳の場合には、ポーラスな金型の上に凹引きで基材を圧着させて成形する。成形法としても、IMG-L成形、IMG-S成形、L-ラミネーション成形、S-スキン成形など適切な方法が採用出来る。そのため、製品品質向上のみならず、処理時間の短縮、金型寿命の長期化によるコスト削減が可能となり、加熱エネルギーの低減による大幅な省エネが実現出来る。
具体的には、製品一個の処理時間は、IMGで80秒、スラッシュで540秒、寿命はIMGで40万ショットまでOKと長期化、そのため製造コスト上有利となった。品質では、転写性は同等であるが、IMGではステッチ強度が大きいのに対し、スラッシュでは強度は小さく補強が必要となる。製品として重要な要素であるデザイン性では、IMGでは薄肉化が可能となり、デザインの多様性も確保出来る。自動車内装の多くにIMG技術が採用されると、全体で5kgの軽量化が可能となる。加熱エネルギーは、スラッシュ法の1/14に減少する。ステッチのリアル化は、付加価値として認められている。
海外での営業は、直取引を原則としており、顧客の要望を直接に聴ける体制が重要と認識している。
次に大山寛治専務取締役より、「MPM(Metal Piping Method)」についての説明がなされた。射出成形型のキャビティー型として開発されたもので、従来工法に対比し、ウェルドラインレス、シルバーレスによる品質向上、納期の20%短縮、成形サイクルとコストの10%低減などのメリットがある。これにより、スラッシュ成形からインジェクション成形へと成型方法が変わる可能性がある。この工法に必要な基本技術は、金型の加熱パイプ固定法と強化コンクリートの二つの特許でカバーされており、この二つを組み合わせて使用する。
次いで班に分かれて工場見学に移った。主な見学内容を以下に纏めた。
- テクニカルセンター
- 設計室 3Dモデリンググループ、金型構造設計グループなどがあり、机は同じ方向に並んでいる。ソフトよりも経験が大切。
- 営業部隊
- 型(モデル) 昔は木を使用、今は樹脂製。工作にはNCを使用するが、仕上げは手で行っている。
- モデルの加工、5軸のNC使用。精度の高い工作は温調室で。
- 本社・工場
- 4階 シボ張り作業室。モデルの表面に、手作業で0.5ミリの塩ビシートを張っている。塩ビシートは、模様(シボ)の付いた状態で、メーカーより送付される。座った作業なので、腰を痛めないように床に工夫が施されている由。
- モデルのメス型製造。シリコン樹脂製で、厚み約10mmの樹脂が流し込めるように設計されている。繊維補強された型を2個作成し、1個は倉庫に保管、もう1個を電鋳用に使用。金型は何回でも作成出来る。曲げた部分は、繋げて手作業で修正する。
- モデルの倉庫。過去に作成したモデルが残されている。会社の宝の山。
- レーザー加工、金型部品加工。樹脂型はポーラス樹脂製で、試作に使用する。金型では納期が20~24週かかるが、樹脂型では8~10週で納入可能。
- 三次元カメラ。精度の評価に使用していて、面での精度アップにプラス効果あり。イスラエルのOptigo社製で、1台6000万円。
- MPM工場。コア型、金型枠の機械加工。
- 組み立て工程。
見学終了後、「見えない世界に助けられている経営」と題した講演を、代表取締役社長の野田泰義氏より伺った。同社の技術 詳細は既に幹部お二人からお訊きしており、野田社長のお話しから、江南特殊産業の経営理念、経営哲学が明確に伺えた。
- 創業と会社概要
江南特殊産業の創業は1965年1月で、現在の資本金は9390万円、従業員は152名。社訓は、「善意、進歩、真剣、自然」、経営理念は「生かされている事を常に感謝し、仕事を通じて精いっぱい社会に貢献します」と定めている。
拠点は、国内が本社・江南工場、テクニカルセンター、犬山工場、海外は米国、タイ、韓国、中国に関連会社、カナダ、モンゴルに合弁会社を有している。
電鋳との付き合いは、そもそも高校生の時に、電気鋳造という技術を知ったこと。この頃に2週間ほど正眼寺に通ったが、その時の教えは今でも経営判断の元になっている。卒業後にMTP化成(現イノアック)という会社に就職したが、そこで電鋳に再会した。原料であるウレタンに喉をやられ、退職して伯父の仏壇屋に就職したが、飾り金物の職人不足から電鋳で金物を作ることになり、1965年に独立した。その後徐々に仏壇の飾り金物からシボハリの仕事が多くなり、顧客も自動車関係が多くなっていった。
独立後は、自宅兼作業場で電鋳の研究開発を行い、1973年のオイルショックで注文が激減した際にも、椅子洗い、穴の補修、椅子の縫製などで糊口を凌ぎつつ、一人だけは電鋳技術の開発を継続させたが、これが後になって花が開く突破口となった。
- 技術の発展
1983年になって、ポーラス電鋳凹引き型がホンダアコードの生産車に採用された。それに止まることなく、スーパーポーラス電鋳、メッシュ電鋳、パンチング電鋳と新しい技術開発を継続している。スーパーポーラス電鋳はポーラス電鋳の発展型で、ポーラス電鋳の穴の先がストレートになった構造になっており、鏡面磨きやエッチング加工が可能である。またブロー成形や射出成形が可能な強度を有する。
メッシュ電鋳は、成形機と組み合わせることにより、古紙パッケージの生産が可能となる。開口面積比が1~30%あるため、材料を吹き込む型、気体・流体を強制的に通過させる型に適している。パンチング電鋳は、軟質発泡ウレタンのリサイクル型やポリエステル繊維の吹き込み熱風成形型への応用が可能。これにより、シュレッダーダストの大幅減が実現出来る。
- 不思議な縁とものづくり
これまでの出来事を振り返って見ると、電鋳との出会いと言い、さまざまな人との出会いと言い、不思議な縁で結びついているとしか言えないことが多い。
日本人の持っている縁、おあてがい、陰徳を積む、一期一会、自然法爾などの考え方が、近代的なものづくりに通じると思っている。調達においても、数値だけに頼った数値本位の調達は間違いだと思う。
- 福利厚生
このような考え方は、福利厚生や会社経営に具体的に表れているので、それらを列挙する。
- 禁煙手当 禁煙すれば5,000円支給する。
- お産手当 30万円/人支給。
- 食の安全を重視し、会社で給食を行っている。
- 売上と利益を社員に開示し、それに基づいたボーナスを支給。
- リターン制度 一旦退職した人でも、本人が希望すれば再雇用する。高卒限定だが、今までに6名再雇用した。
ここから質疑応答の時間を持ったが、その後のパーティーを含めて質問・意見が多数出された。以下に要点のみ纏めた。
- 技術革新によって会社が現在のレベルに達し、今後も発展の原動力となると思うが、技術革新は今後どうやって進めて行くのか? 顧客のニーズ取り込みか、あるいは技術そのものの進歩を指向するのか?
→電鋳が会社の使命であるので、これをどうやって発展させるかが目標である。社員や顧客の意見を良く聴き、これをトライアルで確認する。それを続けていけば、どこかで新しいジャンプに結びつくと確信している。
- シボ張りの仕事は熟練度が必要だと思うが、どうやって社員を選んでいるのか?
→AB型の社員が最も向いている。入社時に小さなサンプルを、制限時間5分以内で作らせ、その結果を見て配置するかどうかを決めている。
- 工場見学で見た社員の机が、一方向に向いていたが何か理由はあるのか?
→方位学から机の向きは決めた。
- 後継者についてはどう考えているか?
→息子二人が会社に勤めており、彼らに繋げたいとは思っているが、皆がそう思うかどうか。トップは、社内、地域など色々な面での調和を図れることが大事である。
野田社長の講演内容およびその後の質疑での回答は、一代で企業を興しただけあって、経営理念・経営哲学が明確かつ個性的で、強い説得力があった。全くのゼロから会社を興し、オイルショックで注文が激減するなかでも、電鋳技術の開発を継続した先見性と意志力は並外れている。開発した電鋳技術そのものも、世界に誇るレベルであり、国境を越えて自動車会社と取引を行うことが出来たのも、極自然に納得出来た。
また、会社を発展させたポーラス電鋳技術に胡座をかくことなく、次の発展のために必要な技術を継続して開発しているのは、技術志向の会社とは言え、現在の規模ではそんなに楽なことではないと推測される。それを敢えて実行するのが、この企業の強さの根源ではないかと感じさせた。
参加した企業の規模や置かれている競合環境は異なるものの、野田社長の考え方は、ものづくりに携わる企業が忘れてはならない技術の本質を突いていることを痛感し、再認識させる得難い機会としての訪問となった。(文責 相馬和彦)
私の経営理念、極限に挑む技術、不況克服の経営改革-多摩川精機
- 2011-02-05 (土)
- 異業種・独自企業研究会
と き : 2010年10月29日
訪 問 先 :多摩川精機(株) 本社・第一事業所 (長野県飯田市)
講 師 :多摩川精機(株) 代表取締役会長 萩本博幸 氏
コーディネーター:テクノ・ビジョン代表、元帝人(株)取締役 研究部門長 相馬和彦氏
2010年度後期「異業種・独自企業研究会」の第1回は、平成22年10月29日に、長野県飯田市に本社および第一・第二事業所を有する多摩川精機を訪問した。多摩川精機は、超高精度の2次元および3次元角度センサーを開発・生産する先端技術企業として知られている。世界初のハイブリッド車として、「プリウス」が生み出されるためには、当時の常識を越えた精度を有する角度センサーが必要となったが、この要望に見事応えたのが多摩川精機であり、その実績により、平成17年に第一回の「ものづくり日本大賞」を受賞している。
首都圏や大都市から離れ、必ずしも交通の便に恵まれているとは言えない飯田市で、世界最先端の技術開発を継続実施するためには、技術開発や経営思想に並々ならぬ独創性と独立性抜きには考えられない。グローバル競争に勝ち残るために、このような独創性と独立性は、企業の規模に拘わらず、現代の日本企業にとって最も必要かつ喫緊な要件となっている。今回の多摩川精機では、組織内でそれを実現するため、何らかの示唆が得られることを期待して訪問した。
講演会場に到着すると、萩本博幸代表取締役会長が、会場の最終準備を自ら指示しておられた。講演に使用された建物は、古いが味のある本格木造建築であり、お訊きすると戦前に工場として建てられたものであった。その後の工場見学で見ることが出来たが、同じ構造の100坪単位の建屋が整然と並んでおり(目視では10数棟)、綺麗に手入れされ、未だに現役として使用されていた。
会場の中央の机には、多摩川精機の技術を物語る戦前の製品から最近の「プリウス」用センサーまで並べられており、講演開始までの時間に、参加者はそれを手にとって萩本会長から由来をお聞きすることが出来た。中には戦艦大和の主砲の標準に使用されと同じセンサーの現物があり、参加者はそれを手にとって感慨に耽った。戦後になって、GHQから提出命令を受けたが、ポケットに隠して接収を免れたとの骨のあるエピソードも披露された。多摩川精機の技術は、戦前から最先端であったことを示す好例である。
最初にDVDを用いた企業紹介がなされたので要点のみ記す。
多摩川精機の製品は大別すると、制御用モーター、角度センサー、位置制御用ジャイロの三つである。従業員は子会社を含めて約700名在籍。事業所は、飯田地区に本社と第一、第二、第三事業所を有し、その他に八戸地区に4ヶ所持っている。また東京の蒲田には、研究所を有している。飯田地区の事業所は合計で敷地が24万㎡、建坪が6万㎡、八戸地区の合計は敷地20万㎡、敷地4万㎡ある。八戸では、FA関係のR&Dから製造までを実施している。
その後に、第一工場の見学に移った。主な見学内容を以下に纏めた。
- ショールーム
様々な製品が整然と陳列されていたが、印象に残ったものを順不同
で列記する。
- 航空機積載用のカメラ防振装置 ATLAS
- 防衛省用の電動アクチュエーター 推力のセービングが可能。
- 航空機用燃料ポンプ
- 各種計器類 古い物のオーバーホールで、年間数個程度の受注。
- センサー類
- ジャイロ
- 「プリウス」用角度センサー Singlsyn
- 車両用速度検出器
- JISQ9100、ISO9001/14001、Nadcapで認証された航空機用金属表面処理技術
- 衛星用機器製造工程
2階に昇り、衛星用のセンサー、アクチュエーター、ステップモーター、角度検出器、火星ローバー用センサーなどを見学。受注は最大で2~3個程度。
- スペースチェンバー 宇宙用機器の試験
- P1(哨戒機)、C2X(輸送機)用コンポーネント組立、JAL向けオーバーホール。
- ジャイロ組立工程 ジャイロは単品または顧客毎の使用に合った位置検出システムとして販売。
- 航空電装品試験室 防爆室、周囲に空きスペース有り。
- 巻線室、女性が手作業でコイル巻をしている。熟練が要求されるので、長く勤務して貰えるよう配慮。
- 電動アクチュエーター エクリプス社用に供給していたが、エ社は倒産した。
- 歴史館 創業以来の人、会社、製品の歴史が、実物、写真、説明で分かり易く展示されている。創業の原点である97式、98式戦闘機用油量計が展示されているが、浮きは木製ではあるものの、当時でもモーターによる信号伝達となっていて、現在の製品に通じるコンセプトが最初からあったことが伺える。
見学終了後、「弊社の経営理念と、極限の精度性能を実現する技術そして今回の不況と日本経済の構造変化」と題した講演を代表取締役会長の萩本博幸氏より伺った。
- 経営理念
父親は五反百姓の次男坊として生まれ、自ら生活の道を探さなければならなかった。教師を2年間勤めたが、昭和2年の大不況に遭遇し、困窮する
村民を目の当たりにして工業を興す決意を固め、蔵前工業高校に入学した。
昭和6年に北辰電機に就職し、軍事機器の開発に従事した。昭和13年に独立した時には、無担保で資金100万円を調達し、ジャイロを商品とした多摩川精機を創立した。父親から会長への遺言は、「資本金を1億円とし、中小企業としてやれ」、「上場するな」の二つであった。それ以来、この遺言を守るとともに、日本のみでの開発生産体制を維持してきた。
信州に根を張り、地域と共に発展し、そこから世界を目指してきたが、今までやってきて感じるのは、技術者を育てるには30年掛かるということだ。企業発展のためには、兎に角、研究開発を大切にしなければならない。(多摩川精機の会社案内を
見ると、役員の構成は、萩本会長を始めとして、常務に1人、取締役に2人と9名中4名が工学博士である。日本企業としては、極めて異例の技術重視の姿勢が伺える)。また、本社社員は主に大卒以上を採用している。
昭和27年頃より防衛関係の仕事を始めたが、それが今の航空・宇宙・防衛(DA)の仕事のスタートとなった。当初から難しいキーコンポーネント、サブモジュールを中心にやることにしたが、それは用途に共通性があると思ったからだ。
「プリウス」用センサーについても、それが言える。74戦車用に開発した、走行中にぶれる砲身から、止まらずに砲が打てるためのセンサーの実績があったので、これを改良して97年に採用された。このように、キーコンポーネントは異なる用途に展開が可能である。
Mobile valleyのコンセプトは、人間は動くものであり、その動きに必要なコンポーネントが今後必須のものになるという考え方から生まれ、会社として手掛けることにした。
飯田と八戸に工場を分散したのは一見非効率に思えるが、一ヶ所で集中生産していると、例えば自然災害などで供給不能に陥る可能性があり、このような事態を避けたいと思ったため。
戦後の技術の変遷を辿ると、昭和32年頃にNC工作機が現れ、昭和52年頃にはロボコンが始まった。将来は人工衛星コンテストのようなものも行われるかも知れない。技術を生成するには、20~30年はかかるのが過去の事例であり、そういう目で新しい技術開
当社の主力製品を3種の神器と称しているが、それは2次元角度センサー(シンクロ、レゾルバ)、3次元角度センサー(ジャイロ、MEMSジャイロ)、信号変換器(コンバータ)の3つである。
営業についてはユーザーとの直接取引が原則。そうしないと、顧客の声が現場に伝わらない。海外のみ専門代理店を利用するが、大手商社は使わない。
これから新興国市場へは、China price, China qualityでないと競合出来ないと思い、2011年からモーターの組立だけは中国へ進出する決断をした。ここでのモーターは汎用品のみが対象である。
- 経営方針
多摩川精機での過去の経験では、種を蒔いてから受注へつながるまでに10~30年は必要だと思っている。そのため、極限の精度性能を実現する技術を追求する。
30年、20年、10年前の自社の業績、成功、失敗を反省し、将来の10年、20年、30年先の対処を経営者は常に考えて経営し続けることが必要である。だだし、経営と商品の基本は出来るだけ変えないこと。
日本経済の構造変化に対して製造業が対応する道は、キーパーツではないか。これで世界を抑え込み事は可能だと思っている。そのため、この技術は国内に止め、海外には出さないようにするべきである。
リニアモーターによる新幹線には夢があり、これを実現したい。将来は「モバイル制御」に特化していきたい。
ここから質疑応答の時間を持ったが、その後のパーティーを含めて多くの質問・意見が出された。以下に要点のみ纏めた。
- 宇宙・航空用途のように、極めて高性能・少量生産の製品と、自動車用途のように数の多い製品とが製造現場に同居している。開発・製造の両面で、この二つのカテゴリーは必ずしも技術思想が同じではなく、相反する点も多いはず。これをどうやって同居させているのか?
→徹底的な技術検討を行った結果、高性能・少量生産品と大量生産の工場を分離して別にした。大量生産工場では自動化を徹底し、機械は自作した。特に巻線機。それ以外にも、設計は本社で行い、製造は関連会社と分担も分けた。
- 関連会社で製造しているとのことだが、製造技術の蓄積はどうやっているか?
→もの作りは関連会社でやっているが、キーとなる技術を本社で作ってから関連会社に出すことにしている。R&Dはすべて自分たちでやる。
- 父親の教えにはどのようなものがあったか?
→中学時代から教師宅に下宿させられた。若い時に他人のメシを食べるようになって、親との同居とは違う多くのことを教えられた。特にこの時、人を使う技術を学ぶことが出来た。東工大で博士号を取ったのも、父親からの示唆。
希望者はこの日飯田に宿泊し、翌日に第二事業所を見学することが出来た。伊藤壽昭常務、関重夫取締役が出席され、関取締役から事業内容の説明があった。
第二事業所は2003年に旧三協精機の工場を取得したもので、約2万坪あり、車両用モーターの製造・開発拠点となっていた。大型サーボモーターは中国へ移転することになり、国内・海外の仕分けを行っている最中である。
航空機用製品は軍用が第一事業所、民間用は第二事業所(第三事業所と八戸地区を含む)と工場を分けているが、これは軍用と民間用では価格、コスト差があるため、別拠点とした。
第二事業所には技術者として、研究者40名、開発者60名がおり、①生産中心主義を取る。ものづくりの会社として、ものづくりに徹する。②製造は子会社で実施。③ダイカスト、樹脂成形は内製化。④生産設備はほぼ自社製を使用する。現在自社製率は50%を超えている。
「プリウス」用角度センサーは、月の生産量が45~50万個あり、不測の事態で供給が止まらないよう、製造を第二事業所、第三事業所、八戸事業所に分散してヘッジしている。1年で八戸を立ち上げ、トヨタから高い評価を得た。
2009年3月には、半導体ジャイロ事業を富士通より入手し、福地第二工場で生産している。自動車用R/D変換用ICは世界で2社しか生産していない。
鉄道、自動車、航空機などに開発した個々のセンサーを組み合わせ、システムに必要なキーコンポーネントにし、モバイル制御として括った事業の構築を目指している。
説明終了後、不良率に関する質問があり、ラインによってことなるが、0.1~0.03に抑えているとのことであった。B787ではセンサーを一機当たり25個使用しているので、不良率が低いことが必要となる。
萩本会長の講演は、経営理念が極めて明確で、しかもそれが実績を伴っているため、強い説得力があった。会社の資本、規模、事業分野、生産方法、技術開発、人材育成、海外戦略などすべてが、この経営理念に基づいて明確に決定されているため、社員ばかりでなく外部の人間にも大変分かり易い。10年~30年後の将来を見据え、精度性能の極限を追求する姿勢も、技術者にとっては生き甲斐を感じて仕事に集中出来る環境である。これだけ長期の視点から技術開発を見守る姿勢は、外部の技術者から見ると、大変羨ましい環境と言える。これからの日本の製造業は、キーコンポーネントで世界を抑えることが出来るとの見解には、大いに励まされるとともに、今後の日本企業の経営戦略にも多大の示唆を与えて貰うことが出来た。(文責 相馬和彦)
技術、産業における「相性」/森谷正規氏
- 2011-01-12 (水)
- VIEW & OPINION
“技術、産業における「相性」”と言うと、多くの人は“それはいったい何だ”と怪訝な顔をするかもしれない。しかしこれは、日本がこれからも産業、経済で発展していくためのカギとなるべきものだ。
私は、はるか昔の1980年に、比較技術論という新たな研究分野を考え出して、「日本・中国・韓国産業技術比較」(東洋経済新報社刊 第1回大平正芳記念賞受賞)を著した。当時は、韓国も中国も技術力はとても低く、比較するのに意味があるのかと疑念を持つ人が多かった。だが、これは技術そのもの比較ではなく、技術、産業を生み出す国の風土の比較であり、いわば比較文明論の一つである。つまり、Comparative Technologyであり、Comparativeにかかわる研究としては、他にもLaw、Religion、Languageなど多くのものがある。
その後、比較技術論の研究を続けてきたが、特に中国に注目していて、最近ではインド、ブラジルなどにも目を向けている。そこで、中国とインドは、比較技術論の視点で見ると、産業、経済の成長可能性に大きな相違があり、インドは中国のようには発展しないと論じている。
ところで、技術、産業には、異なる面からの比較がある。それは、各種の技術、産業はそれぞれの性格において大きな相違があることだ。乗用車とパソコンはまったく異なっていて、鉄鋼と化学も違いが大きい。
ここから「相性」の問題が生じてくる。比較技術論の2冊目として「日米欧技術開発競争」(東洋経済新報社刊 1981年)を書いたが、その中で、日本は鉄鋼に相性が良い、化学はドイツに相性が良いことを示した。その理由は多々あるが、端的に言えば、鉄鋼は基本的に製品は変わらず、生産技術の勝負であり、そこで現場が強い日本が力を発揮できた。化学は、いかに画期的な新素材を発明するかにかかっていて、基礎研究に強いドイツが強い力を持っていた。もっとも、時代とともに技術、産業の性格は変わってきて、いま化学では電機製品などへ応用する改良型の新素材が強く求められていて、したがって最近は日本が力を伸ばしてきている。
最近、インドの経済成長が持て囃されていて、その端緒がソフトウェア産業の急発展とされているが、インドはたまたまソフトウェア産業にとても相性が良い面があったから発展したと認識しなければならない。つまり、1)シリコンバレーにはインド人の優秀な情報関連技術者が大勢いる、2)インドは産業の発展が遅れているので理工系の大卒が余っている、3)道路、港湾などインフラが遅れているが、ソフトウェアは通信回線での受注、納入が可能で他のインフラは不要である、4)インドの大卒は英語ができるので米国企業は発注が容易にできる、などである。
しかし、せいぜい数百万人規模のソフトウェア産業では、インドのような人口大国は経済成長できない。膨大な量の単純労働力を吸収する電機製品、情報機器の産業発展が成長に必要だが、その労働力の質において劣り、輸送などインフラが不可欠であるこの種の産業において、インドは中国のようには相性が良くない。
さて、日本の先端的、基幹的な産業が、かつては世界で断然強かったのだが、いまでは韓国、台湾にもリードされて、産業力が低下してしまったと嘆く声が大きい。だがこれは一面しか見ていない俗論であり、それに世間が惑わされるのは大きな問題である。確かに1970-80年代には、日本はほとんどの産業において断然強かったのだが、それは、量産型の産業では、米欧は日本の敵ではなく、まともにぶつかる敵がいなかったからだ。ところが、韓国、台湾、そして中国は、日本と同様に量産型産業の発展を目指して、しかも先端的な産業にも力を注いでいて、そこで日本に立ち塞がる強敵が現れることになった。
ここで「相性」の問題があらわになってくる。日本はいま、世界市場でテレビでは苦戦しているが、乗用車では相変わらずとても強い。では、テレビと乗用車の違いは何であるか。テレビは製品として、相違は大きさのみであり、性能、品質はどの国が作っても大きな違いは出ない。したがって、非常に優れた製品を作る能力が高い日本の技術力が十分には発揮できないのだ。そこで、価格競争になるが、日本は不利である。
一方、乗用車は、大きさ、性能、車格などまったく多種多様な製品があり、また性能、品質にとても高度なものが要求され、それに応えることが求められる。したがって、開発、生産の現場における組織力が強い日本が、十分に力を発揮できる。つまり、「相性」の良い、良くないの問題が大きいのである。
これは大きく見れば、モジュラー型とインテグラル型の相違と言える。部品を調達すれば、どの国でも大きな差がない製品を作ることができるモジュラー型は、日本に相性が良くはなく、多様な高度な数多くの部品を擦り合わせて作るインテグラル型が日本に相性が良く、日本の風土に向いているのである。
かつては、米国、欧州、日本だけが先進工業国であった。大量生産は、もともとはT型フォードに代表されるように、米国が大の得意としてきた。しかし、時代が変わって、日本の得意技になった。その時代が長く続いたのだが、また新しい時代に入って、大量生産での強いライバル国が次々に現れて、いよいよ日本にとっての「相性」が強く問われる状況になった。
各企業は、自社の製品が日本に「相性」が良いのかどうか、良くなければ、良い方向に向かうことができるかどうか、真剣に考えねばならない。さらにこれからの事業の発展において、日本の風土に基づく伝統的な力は何であるのか「相性」の良さの基盤になるのはいかなるものかを、しっかりと見極めねばならない。
それは皆が深く考えるべき重要な課題であるが、私がいま強調しているのは次の二点である。第一は、丹精を込めてひたすら良いモノを作る精神である。第二は、皆で共同して目標に向かって突き進む組織力である。日本人にとっては、これは当然のことであるが、世界各国の技術、産業風土を長年見てきて、この二つの力を国全体として持っているような国はないと断言できる。日本はこうした強さを十分に発揮できる「相性」の良い分野に、全力を投入すべきである。それによって、これからもモノつくりの強さで、世界に立ち向かうことができる。
森谷正規
IHIの航空宇宙事業:航空産業が直面している変化、今後の動向 – 石戸 利典氏
- 2010-12-19 (日)
- 異業種・独自企業研究会
と き : 2010年12月07日
訪 問 先 :IHI空の未来館(東京都昭島市)、瑞穂工場(東京都西多摩郡)
講 師 :(株)IHI常務執行役員 航空宇宙事業本部本部長 石戸 利典氏
コーディネーター:(独)国立科学博物館 理工学部科学技術史グループ長 鈴木 一義氏
異業種・独自企業研究会の2010年度後期 第3回例会は、平成22年12月7日、東京都昭島市にあるIHI 空の未来館、東京都西多摩郡の同社航空エンジンの主力生産拠点である瑞穂工場を訪問・見学し、(株)IHI 常務執行役員 航空宇宙事業本部長 石戸利典氏より「IHI のジェットエンジン事業:今日に至る軌跡と今後のヴィジョン」と題してご講演いただいた。
今年は日本の航空史100年。IHI はわが国初のターボ・ジェットエンジン「ネ20」を生んだわが国航空エンジンのパイオニアで、今日、わが国ジェットエンジンの60~70%のシェアを持つ。又、IHI はわが国の宇宙開発にも当初から参画し、2000年、日産自動車の防衛宇宙部門を吸収し、今日では固体燃料を用いるロケット本体に加えて、エンジンの心臓部、技術的にも最困難といわれる液体酸素、液体水素用ターボポンプはここ瑞穂工場で生産されおり、IHI は宇宙ステーション建設で日本初の有人施設・宇宙実験棟「きぼう」の船外プラットフォームなどの開発・生産を分担している。IHI の航空宇宙部門の売上は、今日全体の22.6% を占めている。
航空機エンジンの特質は
① 高付加価値産業、かつ研究開発集約型産業であること。
② 一つのエンジンは30万点という部品で構成され、それらは他産業に広く応用、活用される
高度技術であること。即ち、裾野が広く活用される先端高度技術あること。
例えば、現在大きな市場となっている産業用ガスタービンは、60〜70 年代に航空エンジン
で開発された先端技術が産業技術として応用された例。
今年2010年6月13日、7年60億kmの旅を終えて帰還した‘はやぶさ’を打ち上げたM 5 ロケットと帰還カプセルの設計、製造はIHI によるものであった。
又、この固体燃料を用いるロケットは、小型の衛星、科学衛星の打ち上げに非常に適しており、併せて、宇宙衛星の小さな推進系・スラスターも、今輸出の可能性が大きく見えてきて、今後の日本の新たな輸出事業としても大きな発展が期待されている。
なお、今年、‘はやぶさ’ を打ち上げたM5の後継固体燃料ロケットとして ‘イプシロン’ の開発がスタートし、平成25年に打ち上げの予定であるという。
今回は、このような観点から、IHI の航空宇宙事業を通して、今後の日本の新たな希望と可能性を探る機会とさせていただこうとしたものである。
当日は、東京都昭島市のIHI 昭島事業所に集合し、先ず同社の「空の未来館」を見学させていただいた。
IHI が開発したわが国初のターボ・ジェットエンジン「ネ20」は、残念ながら、今、東京上野の国立科学博物館で開催中の「空と宇宙展」に貸出し展示中で見られなかったが、資料館長 宮本謙三様の名ご解説を得て、わが国における航空宇宙の歴史を歴代のジェットエンジンの実物展示を通して、目の当たりにさせていただいた。その後、瑞穂工場へバスで移動し、瑞穂工場におけるジェットエンジンの組立て、整備状況を具に拝見させていただいた。
見学後にご講演いただいたIHI 常務執行役員 航空宇宙事業本部長 石戸利典氏に依ると、IHI は 防衛省が使用する航空機の殆どのエンジンの主契約者で、その生産を担っているという。 又、大型から小型まで、各種民間機用エンジンの国際共同開発
事業にも参画し、エンジンモジュールや部品を開発、供給し、 今、環境にやさしいエンジンの必要性と環境に対する企業責任が高まる中、種々の最先端技術を活かした次世代エンジンの研究開発を進めている。そして、これらエンジンの開発、製造技術を活かして各種エンジンの整備にも取り組み、アジアにおける航空エンジンのメンテナンス・センターとしても、 今日高い評価を得ている。
IHI における航空宇宙部門全体で占める売上高ではジェットエンジンが大部分を占め、宇宙関係も若干入る。
事業部門としては防衛・民間関係、この瑞穂を起点とする整備事業、そして宇宙開発事業、技術開発センターと生産センターがあり、この生産センターの下に4つの生産工場がある。
IHI は、平成12年、日産自動車の防衛宇宙部門を吸収し、現在キャスティング、マスターメタルなど素材関係の会社も保有して、防衛庁の戦
闘機、練習機、対潜哨戒機、ヘリコプター等のエンジンは殆ど全てライセンス生産している。又、民間機については国際共同開発に積極的に参加している。
ところで、IHI の航空宇宙関係の生産工場は4つある。
今回見学させていただいた瑞穂工場ではエンジンの組み立てと最終試験、又、様々な研究開発用の設備も持っている。又、管理業務、エンジニアリング部隊は昭島に、部品生産部門を相馬に移しており、今、福島県の相馬工場がIHI の航空宇宙関連の‘ものづくり’の中心になっていて、相馬はここ数年、毎年1つ建家をつくるという勢いで増産に対応しているという。
呉工場は戦艦大和を建造した呉の旧海軍工廠の一角にあり、30年前、航空エンジンの大型部品を造る工場として立ち上げた。今も元気にやっている。
航空機の心臓部はエンジンで、エンジンというのは推力だけでなく、航空機の中で使われる全てのパワー、例えば機体やエンジンの様々な制御や駆動、加圧空気を機内に送り込んだり、航空機に使われている全ての電源はこのエンジンでまかなわれている。
因みに、軍用エンジンと民間用エンジンの差はどこにあるのかというと、先ず軍用エンジンは毎秒1000メートルという高速でジェットを吹き出して、超音速の飛行を実現する構造になっている。一方で民間機用のエンジンは、大きなファンと称する空気の圧縮構造を持っていて、毎秒300メートル程のジェットを吹き出して、高効率の飛行を実現する構造になっているそうである。
日本の航空産業は、戦後7年間、全ての活動を禁止された。しかし、先輩たちはその空白の時期を乗り越えて、禁止令が解かれるや直ぐに60年代から、先ずは 練習機用エンジン、そして航空機の研究開発、生産を始め出したのだということである。そして、戦後間もなく始まった国産エンジンと航空機は、研究を含め、IHI が委託されて来たケースが多い。
航空機エンジンというのは、大体15年に1回位ずつ新しいエンジンに切り替わってきているのだそうである。
日本も、今、技術実証用の戦闘機用XF5エンジンの試作を始めており、機体の方も、今、三菱重工が技術実証用であるがつくろうとしている。2011年〜2012年辺りに飛ばす予定との話だった。又、現在、日本の海で防衛上非常に重要になっている対潜哨戒機は川崎重工が主担当で取り組んでいるが、このエンジンを純国産でIHI が主担当で開発中だ。ゆくゆくは、世界最先端の戦闘機用エンジンも日本でやろうと、今、色々な研究会を立ち上げているところだということであった。
世界全体を見ると、航空エンジン分野のシェアはアメリカのGEとUTCのプラット アンド ホイットニーの2社と英国のロールスロイス、このビッグ3が大きなシェアを占め、次にIHI の名前が出て来る。航空分野の年間売上は全体で7兆円程だというが、その3兆円位は防衛関連。民間だけでいうとIHI のシェアはもう少し上って来るそうである。しかし、出来れば、数年の内に民間航空機分野で全体の約10%のシェアをIHI で持てるように努力しているということであった。
ところで、事業の特質で、とくに技術面でいうと空を飛ぶということから安全性確保への極めて高い信頼性が求められる。地上と上空では温度も相当違い、エンジン内の高温など、広い範囲をカバーしなければならない。ジェットエンジンの技術は、高温、高圧、高精度がキーワードといわれている。これをきちっとコントロールする、或いはこれらに耐えられる高度技術が必要になる。
従って、ここでは開発リスク、事業リスクが大変大きく、開発費も莫大となり、中型機、大型機を問わず、今1つの新しいエンジンを開発しようとすると1000億円以上掛かる。従って、ジェットエンジン事業というのは、そのような莫大な開発費を完全に回収し切る、エンジンでいうと開発に5年掛けてその後量産に入り、色々補用品を買ってもらって利益を出す、投資を回収するには20年掛かるという、壮大な事業である。
逆に見るとこれは参入障壁であるといえなくもない。従って、世界で航空エンジンを実質的にやっているのはアメリカとイギリスとドイツとカナダ、それと日本だけである。韓国、中国もやれていない。巨大な開発費と長期にわたる開発期間を要するので、エンジン事業というのは相当な覚悟がないと始められない事業である。
世界との技術比較では、モジュールなり個々の部位ではIHI は既に世界レベルにあるが、全体を纏めるということではまだ一歩ということであった。又、防衛用エンジンでは、唯一、戦闘機用のアフターバーナー、後ろで燃料を再度吹き込んで再燃焼させ、秒速1000メートル以上で吹き出すという所のエンジンを、まだ量産で防衛庁に収められていないというところが、もう一歩世界に遅れを取っているところであるという。
個々を支える技術、例えば空気力学的な技術、材料技術、騒音・環境技術、これらの技術はここ10〜20年で非常に進歩してきているという。空気力学的な技術開発のとこの非定常3次元解析では日本は世界一のレベルで、この領域では日本は世界をリードしている。材料や環境技術においても相当独自の良い技術を生み出して来ている。
それから航空機全般についての技術トレンドについていうと、燃料消費率、いわゆる燃費が、この40〜50年間で1/3になったという。この半分以上はエンジンの進歩によって達成出来たものだというが、エンジンの燃焼効率は既に理論限界に近づいているという。
又、効率化ばかりでなく、軽量化。航空機は軽くすると燃費が良くなる。従って、航空機に取って軽量化は大変重要な技術的課題であり、更なる軽量化に努力している。
更に、最近航空機のジェットエンジンの音が静かになってきた。そして、信頼性は航空エンジンの命であるが、これまで1000時間の飛行で双発飛行機のエンジンの片側が何かの理由で停止する率は0.1とか0.2という時代が長かったが、最近は1000時間で0.01というようなオーダーになっている。これは、100万時間飛んで1回片側が止まるかどうか、という信頼性である。
この信頼性設計技術が航空機産業で最も進んでいる領域である。又、高圧化するとNoxを下げるのが難しくなるが、その中で色々工夫をしてNoxを下げてきている。
前に航空機エンジンの開発費は約1000億円掛かると紹介したが、これを1社或いは1国で持つのはとても不可能で、リスクも大きいので、今では国際的な共同開発が今日の航空機業界でのコンセンサスになっている。
こういう共同体制を組むと、5ヶ国もあると意思決定が遅くなったり、色々問題も出て来る。そこで、航空機業界では、リスク アンド レベニュー シェアリングパートナーという制度を持ち、例えば親がGEなりプラット アンド ホイットニーだとすると、その下にシェア20% なりで入って、実質的に開発なり設計なりはIHI であればIHI が全部リスクを背負ってやるけれども、最終的な顧客への売り込みとかはこの親会社がやる。このような仕組みが、ここ20年位多く使われてきているという。勿論、それ以外に単純にサプライヤー契約で‘ものづくり’だけをやる、例えばIHI でいうと、呉工場は2〜3メートルという長い、非常に高精度のシャフトをつくっているが、世界中の企業からこのシャフトをつくって欲しいといわれている。このような場合には、割り切って‘ものづくり’で参加する。リスクの取り方、リターンの得方など、それを色々組み合わせてやって行くのが、今の航空業界における経営の時代の要請になっている。
航空産業には今大きな変化が押し寄せている。IHI が前側を担当し、瑞穂工場で今最も多く整備を手掛けているV2500エンジンに今後継エンジンの話が出始めており、これまでチタン材が主だったケースなどの材料をFRPに、羽も出来れば複合材にというようにで、20〜30年の時代を経て、いよいよ材料が全て変わるかも知れない時代に入って来た。
又、これまでの航空ネットワークはハブ アンド スポークスといって、主要な大都市から地方都市へスポークのように飛ばせるというやり方が普通だったが、今後はポイント トゥ ポイントといって、中小の都市間をダイレクトに飛ぶという方向に大きく変わろうとしている。その場合は余り大きな飛行機はいらない。今後の旅客機は70〜90席が中心になるといわれ、これが1990年代の半ばから世界中で伸び始め、そこにIHI のCF 34というエンジン、これはGEとやってIHI が30%のシェアを持っているエンジンだが、この売れ行きは非常に良い。三菱のMR Jは正にこの市場に挑戦している航空機なのである。
航空機産業の今後の動向と取り組みであるが、石戸航空宇宙事業本部長はとくに民間用エンジン産業で起きつつある変革として、カストマーオリエンテッドの方向を強く指摘した。今後、エアラインと一緒に色々仕事をして行くことが増えて行く。
例えば、エンジンの開発段階からJAL やANA に見てもらうとか、或いは注文をつけてもらうとかいうことは既に自然に行われるようになっている。
当然ながら、エアラインに取ってのライフサイクルがどうなるかも最初から計画が出来るようにして、それをどう実現するかということで色々なエンジンの設計、整備計画、そのようなものを最初からつくり込むということをやっている。
又、ライフサイクルビジネスとして、輸出入銀行とか色々な銀行とタイアップしてファイナンスの一端も担うということも考えなければならない時代になっている。それから、これまではエアライン側でやっていたエンジンの整備とか、オンウィングの整備とかについても指導なり色々アドバイスを欲しいというレベルのサポートも増えている。又、高空機産業にとっては補用品やリペアは収益の柱でもあるので、その辺りもしっかりと理解してもらうことが大切になって来る。
これらを実現して行くためには、これまでのエンジンメーカー、機体メーカー、機器メーカーの間の垣根を越えながら一緒にやるという動きがどんどん出て来ている。
そして、これだけのことをやろうとすると、産・官・学のしっかりした共同体制が国の中でも国を超えてもやって行く必要出て来ている。ヨーロッパではとくにオープンに、EU の資金を出し、国を超えて声を掛けている。今、正にそういう時代になりつつある。
今、IHI の民間エンジン事業は受注残が3年以上ある。幸いにも良い機種、良いポートフォリオで仕事を進めているところであるという。この不況を乗り越え、受注も復活して来た。今IHI は持っている受注機種で先の成長を見込める状況になっている。その結果、相馬工場の生産は今拡大しつつあり、新しい機種787用のGNXエンジンも動き出している。又、今日のIHI 大型小型、機種別も含めてポートフォリオを非常に広く持っており、しかも安定している。又しかも国際的な次世代プログラムにも必ず声が掛かり、それにも積極的に参加している。そのための様々な先端技術開発にも地道に、懸命に取り組んでおり、どの業界でもそうであるが、航空業界ではとくに重要なアフターマーケットビジネスを、お客様とライフサイクルできちっと関係をつなぎながら力を入れている。
宇宙分野においても輸出を睨み、その技術をコアに輸出出来る製品、事業をつくり上げて行こうとしているIHI の航空宇宙事業に学ぶべきものは、今日の私たちにとって極めて大きいと実感し、あわせて今後の日本に非常に明るい未来を垣間見た次第である。(文責 松尾隆)
金沢工業大学の大学革新 -社会から必要とされる大学であるために-
- 2010-12-17 (金)
- 異業種・独自企業研究会
2010年度前期の第二回は、平成22年11月2日に、石川県金沢市にある金沢工業大学のキャンパスを訪問した。金沢工業大学は、教育分野の全国大学ランキングで5年連続1位を維持しており、また就職内定率も高い(2009年実績、99.5%)ことで知られている。大学生の質の低下が言われて久しいが、どのような方針で教育の質を高めて来たかは、採用する企業の立場から大いに関心があり、また社員教育という観点からも期待を持って訪問した。
最初に大学紹介ビデオによる概略説明があり、次いで石川憲一学長による「金沢工業大学の大学革新」~社会から必要とされる大学であるために~ と題した講演がなされた。講演を通じて、大学における教育理念と目標、その具体的実行策が実に明確に決められ、かつ実行されていることが印象的であった。まず大学のミッションには、「人間形成」、「技術革新」、「産学協同」の三つ、教育目標には、「自ら考え行動する技術者の育成」を置いている。目標の達成のためには、学生には「知識から行動に」、教員には「教員が教える教育」から「学生が自ら学ぶ教育」へ、職員には「顧客満足度の向上」というそれぞれの立場に応じた目標を課している。つまり、大学の構成員たる「教職員と学生が共に学ぶ教育へ」と改革することが目標となっており、礼記に言う「教学半」がその根本思想となっている。教員や職員にまで具体的な目標を課し、顧客=学生と言い切っている大学は、国内では他に類を見ない。
学生数は2010年5月1日時点で7,265人(学部6,675人、大学院590人)、教員330人である。学生の出身地は石川県が約30%、北陸地区が45%なので、それ以外からが半数強となっている。専門教員の半数が企業経験者であり、原則として非常勤講師で教育は行わないため、企業では当たり前の方針が大学でもあまり抵抗なく徹底出来ている。
金沢工業大学における教育改革の目標は、教育付加価値で日本一となることである。つまり、入学時能力に対する卒業時能力の極大化にある。そのための方向性は、第一が学習意欲の触発と増進であり、これが出来れば目標の半分は達成したことになるので、大学としては最重要課題として様々な方策を立案・実行している。
技術革新では、オープン・リサーチ・センターと研究所を活用し、企業との共同研究テーマを通じた産学協同を目指している。産学連携のプラットフォームとして、「夢考房」を有し、学生中心で運営させながら、研究所の成果を産業へ応用するための共創を目指している。ハイテク夢考房では7プロジェクトを設定し、学生や大学院生へ参加募集している。4例については、現在企業パートナーを募集中である。1~3年生を対象とした人材育成プログラムとして、企業でのインターンシップ・プロジェクトがある。連携企業から提案された課題に対して、学生から提案がなされ、学内検討で選ばれた学生提案を企業でのインターンシップでトライし、その結果を発表する仕組みであり、産業界への技術貢献と「自ら考え行動する技術者の育成」に役立っている。4年生で大学院進学予定者に対しては、KIT Cooperative Educationで更に問題解決への具体的取り組み方を学ばせる。これまでの大学との連携実績から選んだ連携企業で、問題発見解決プロセスを有する業務に対し、3ヶ月から6ヶ月の業務を実践し、結果を連携企業の参加の下で発表する。これが修士研究テーマに発展して行く。更に大学院生を対象としたモジュール統合教育プログラムがある。これには複数の教員と企業が関与し、個々の教員だけによる寺子屋教育を避け、講義・演習・実験・発表という4つの能力育成を目指している。このプログラムを通じて、企業が抱える課題を、学生と共に授業の中で取り組むことが出来る。
講演の締めくくりとして、これからの技術者は、単なる技術のみではなく、「夢と心と技」を有する総合的な人間力が必要となる。そういう技術者を育てることが金沢工業大学の目標であり、そのことを通じて「社会から信頼され必要とされる大学」であり続けたいとの強い決意が石川学長からなされた。
次に2グループに分かれて学内見学に移った。見学の途中で自習中または歩いている学生を多く見かけたが、自習中の学生は勉強に集中しており、出会った学生は見学者に対してもキチンと挨拶が出来た。大学としては本来当たり前と思われることであるが、実際の大学見学としては珍しい体験であった。こういう体験をすること自体が、日本の大学が抱えている深刻な問題を反映している。
①学内テレビ
学内の要所にテレビが設置されていて、授業の変更を含めた学生への連絡に使用されているが、寮生へ郵便物が届いた際には、学内郵便局に取りに来るような授業以外の連絡もなされている。
②食堂
夜10時までは自習室として使用が可能。食卓の下にパソコン用の端末があり、大学のイントラが使用可能となっている。
③講義棟
備え付けのエスカレーターは、内部の仕組みが分かるよう機構部分が透明になっている。筆者自身も、エスカレーターの内部メカニズム細部は今回初めて観察した。これも学生にメカニズムに関心を持たせるための教育の一環。
④夢考房
2棟あり、無災害日数が表示されている。企業文化教育の一環。ここでの工作中のケガは5~10件/年あり、ヒヤリハット件数を年間で150件集めることを目標にしている。
ランプなどの工作方法と実物が展示されていて、学生が休み中に自主的に工作出来るようになっている。パソコン、加工技術など個別技術毎に技能者のスキルリストが作られており、希望する学生はその技能者から個人的に教えて貰える。教えた技能者には、大学から教授料として880円/時間が支払われる仕組み。
様々な工作機械が夢考房には置かれており、学生が自由に使える。ボール盤には注意事項が盤毎に設置されており、危険度に応じて大、中、小に分類されている。シャーリングには、危険度を体で意識させるため、安全装置は付いていない。フライス盤や旋盤は、工作後の後始末を重視しており、後始末に30分は掛けさせる。木材加工コーナーもあり、一般的な工作機械以外にも匠の技を必要とする工作機械も備えられている。
工作に必要な工具、部品等1,500点は部品置き場に分類・備蓄されており、代金を箱に入れて使用する。在庫が減ると、係の学生が補充する。自転車部品が一番売れるとのことであるが、年間の売上は250万円になるとのこと。木材、金属などの材料は材料置き場に整理されている。自分で工作機械を操作してものづくりが出来る環境が良く整備されている。
⑤プロジェクト棟
入り口には、ダビンチ考案の機械が具現化されて展示されていた。また書棚には、過去のプロジェクト最終報告書がすべて閲覧可能な状態に保存されていて、発表を予定している学生の参考にされている。自習室は365日、24時間オープンで、プロジェクト毎にメンバーが打合せを行っている。
⑥図書館
図書館は365日オープンで、教員が常駐しており、学生に質問があればそれに答える体制を取っている。奥に稀覯本を集めたライブラリーがあり、工学に関する初版本が集められている。通常はガラス棚の中に飾るのではなく、実際に触って見ることが出来るとのことであったが、当日は時間も限られており、残念ながら見学だけであった。ユークリッドの「幾何学原論」(1482年)、ニュートンの「プリンキピア」(1687年)、ラボアジェの「化学要論」(1789年)、ファラディ-の「電気の実験的研究」(1839年)、ダーウィンの「種の起源」(1859年)、アインシュタインの「一般相対性理論の基礎」(1916年)など技術者ならば誰でも知っている歴史的発見の初版本を目の当たりに見ることが出来た。ポピュラーミュージックコレクションには、14万枚のLPが保存されており、誰でも聴くことが出来る。
⑦数理工教育研究センター
ここもユニークな仕組み。教員32名が全員大部屋におり、質問のある学生に対して教員が個別に答える。ここで、学生が質問しにくい先生は何故そうなのかが分かったため、教員側での意識改革が促された。「こんなことが分からないのか」は禁句。
今回見学した施設は、いずれも学生が使いやすいように、あるいは自分でやりたいときにはいつでも使えるようにとの細かい配慮がなされていた。学生=顧客という理念が、単なる理念に止まるのではなく、教員や職員に多大な負担が掛かっても、具体的に実践されていることが印象的であった。
見学終了後、夢考房の名付け親である泉屋吉郎常務理事・法人本部長より講演がなされた。
本学は昭和32年6月1日に、現場技術者の養成を目的とした北陸電波学校として設立された。昭和40年に金沢工業大学を開学するに当たり、設立以来の現場技術者の養成という理念を反映させ、産学協同を建学綱領とし、産業界から教員を招くことにした。昭和51年に学生の募集を全国拡大したのが、それまでの建学理念を見直す契機となった。
第二代学長の京藤先生は、教育付加価値日本一を掲げ、徹底した補修教育と褒める教育で、入学時のレベルは低くとも、卒業時のレベルを極大化することに取り組んだ。その後の歴代の学長も、時代に合わせた教育改革を実施してきた。
現在は一年間に300日の学生支援を行っているため、教員プラスアルバイトで対応している。また自習室は24時間無休で運営している。
経営は学園協議会の15名、学友会(学生代表)5名で構成されている。
夢考房は、教育と研究は別物ではないとの考えに基づき、平成5年に設立した。ここで行うプロジェクトは学生主体で、教員は指導していない。ロボットコンテスト参加はその活動の一つで、2010年は日本一に輝いた。
今行っているのは、CS(カスタマー・サービス)からUR(ユーザー・リレーション)への発展である。ここでユーザーとは企業、学生、地域を含んでいる。
二つの講演および見学が終了したので、参加者との質疑応答の時間を持った。以下に要旨のみ纏めた。
①個々の技術や製品で優れているにも拘わらず、市場シェア-や利益率で低迷する日本企業が多い。その理由の一つは、個々の製品で優れていても、その製品の使用システムや社会に於ける位置づけで海外企業に後れを取っていることがある。その原因は、技術者自身が技術にのみ関心を払い、人間や社会・文化に対する視点を欠いているためではないか。大学教育として、この種の欠陥に何か対策は持っているか?
→ a. 全学生の必修課目として、技術者入門があり、「技術者になると言うこと」が教科書となっている。また、社会に対する関心を持たせるため、新聞の読み方を課題として設定し、10テーマの報告書提出が義務づけられている。b. 2年生の必須課目に日本学があり、日本の代表的人物のケーススタディや、国歌、国旗の意味を学んでいる。c. 3年生では技術者倫理を学ぶようカリキュラムが組まれている。
②生徒が自ら考え行動するまでになるのは、苦労を嫌う今の若者ではそう簡単なことではない。具体的にはどうやっているのか? 大学はどう指導しているのか?
→ 学長は年間に4回は学内で講演し、教員にも基準を守るよう常に要請を行っている。担当教員がメインテーマを出すと、誘導されて生徒がその関連テーマを提出し易くなる。
- 夢考房はどういう発想で作ったのか?
→ MITでの工房を見て感動したのがきっかけである。一年生が自分で何か作りたいと思った時に、それが作れる場を提供したかった。ドラえもんのポケットのようなものだ。
今回の訪問で、大学の理念を聴き、施設を見学し、世の中で言われている金沢工業大学の素晴らしさが納得出来た。少子化時代を迎え、個々の大学の存在意義が強く問われ、学生および企業の大学選択の目は一層厳しくなりつつある。その中で、金沢工業大学は「自ら考え行動する技術者の育成」を目標とし、そのために必要な改革を実行してきた。そもそもの建学目的が、現場技術者の養成にあったとは言え、学生のみならず教員や職員まで巻き込んだ大学改革は一朝一夕に達成出来たものではなく、長年に渡る試行錯誤と努力の結果であることに敬服した。時代の変化に応じた人材供給のため、今後も変革を続けていくことを大学が方針としているので、これからも教育面でのランキングではトップの位置を維持していくことが期待される。
ニーズが多様化し、技術が高度化、複合化する中で、企業が単なる部品や技術のみでグローバルな主導権を取ることはとうてい不可能となった。技術・製品を深化させるだけでなく、その技術・製品を使う人間や社会が、その技術の意味や価値を極大化出来るためのトータルシステムを提案することが技術者に求められている。そのためには、技術のみでなく、人間、社会、文化に対する視点を有することが技術者にとっても必須の要件となっている。何よりも「自ら考え行動する技術者」が求められていることを再認識したが、今回の訪問でそれを目標に人材育成を行っている大学があることを知り、大変励まされた。(文責 相馬和彦)
脚光を浴びる太陽電池の開発、事業化とビジネスモデル / 桑野 幸徳 氏
- 2010-11-25 (木)
- イノベーションフォーラム21
2010年度後期「イノベーションフォーラム21」の第3回は、三洋電機元取締役社長で、現在は太陽光発電技術研究組合の理事長をなさっている桑野幸徳さんの「脚光を浴びる太陽電池の開発、事業化とビジネスモデル」と題するお話であった。
桑野さんは、アモルファスの研究開発において多大な成果を上げた研究者であり、世界で始めてアモルファス太陽電池を開発、実用化された方だが、三洋電機の経営トップとしても活躍された。
お話は世界のエネルギー問題から入り、“成長の限界”から“地球の限界”の時代に来ていて、それを考慮してすべてを前進させねばならないと強調された。その解決策の最たるものが太陽エネルギーである。
三洋電機に入社し、中央研究所に配属されたが、独自性に拘るようにとの研究所の方針で、桑野さんは異端の物質であるアモルファスを研究対象に選んだ。しかし10年も続けて成果が出ず、所長に止めたいと申し出たが、止めてはいけないと厳命され、ちょうどオイルショックの時で、エネルギーに向けて開発したらどうかとの言葉で、太陽電池に改めて挑戦することにした。
太陽電池でも苦労の連続であったが、電卓用の電池に向けて実用化を進めて、少しずつ市場が拡がって研究開発を続けることができた。確かに日本は、日本のオリジナル製品で世界市場を独占した電卓の存在が、非常に長期になった太陽電池の開発に大きなプラスになった。
1990年代に入って、太陽光発電へ向けた実用化が始まったが、家庭用発電装置への通産省の助成制度、電力会社の系統に組み込んで購入して貰う制度が普及に必要不可欠であり、業界として懸命に働きかけて実現させたと苦労話をされた。社会に向けたシステムでは、このような制度が実用化、普及を進める重要な条件になる。
そして日本は、世界を圧倒的にリードする太陽電池・太陽光発電大国になった。ところが周知のように、わずか3-4年の間に、中国・台湾、欧州勢に追いつかれ、抜かれてしまった。その最大の原因が、ドイツが通常の電力価格の3倍もの高い価格で、太陽光発電電力を購入するFIT制度を導入して、スペインなどが加わり、欧州で市場が一気に拡大したことである。そこで、ドイツ、米国、中国の企業が生産を急拡大して、上位を独占していた日本企業を蹴落とした。しかも日本は、補助制度を止めてしまった不利があった。なお、欧州市場でなぜ中国に敗れるのかを討議の時間に聞いたのだが、中国では輸出製品への17%もの補助を出していて、価格競争が不利であるとのことであった。これは見逃せない大きな問題である。
だが、太陽光発電はこれからであり、技術の蓄積が大きい日本は、再び世界をリードできるはずだ。まず日本での可能性だが、住宅に加えて事業所、公共施設などにフルに設置すると、236GWになる。1GWは100万kWであり、原子力発電所1基分である。発電の効率が低いことを考慮すると5分の1にせねばならないが、原子力発電所50基分になり、非常に大きい。
世界全体では、現在の産業規模は約2兆円だが、5-10年内に10兆円になり、これは、現在の液晶パネルの8、5兆円を超える。
地球規模で見ると、広大な砂漠への設置が大きな可能性をもたらし、2010年の全世界のエネルギー消費は、全砂漠の4%の面積で賄えるという。そこで、桑野さんが早くから提唱されたジェネシス計画が必要になる。超伝導ケーブルで、太陽光発電電力の世界ネットワークを築くのだ。十数年前の雄大な構想が、こらから可能性としても見えてくる。
最後に、グローバル大競争の中で日本はどう戦うかという話をされた。日本が抱えているハンディキャップとして、1)高いインフラコスト、2)高い企業の社会コスト負担、3)早い変化に対応できない各種の制度、4)非効率的運営の四点を挙げ、その対応として、1)真のグローバル化(M&BOPビジネスを含めて)、2)質と量への対応、3)早い変化に対応、4)地道な技術開発の四点を挙げた。M&BOPは、ピラミッドのミドルとボトムの意味であり、いまの日本は、ピラミッドのトップとミドルを狙っているが、40億人の人口を抱えるボトムにも目を向けるべきとの主張である。それは、質ばかりではなく量も狙うべきとする説であり、これは日本にとって根本的に重大な問題である。
「時代は国家イニシャチブによるグローバル大競争時代」とするお話で締めくくった。確かに、環境・エネルギー、輸送、水などの社会インフラが国際競争の最も重要な領域になるのであり、国の果たす役割が非常に大きくなるのは間違いない。太陽電池産業も国家戦略が不可欠であるというのは、きわめて重要な主張である。
全体を通して言えば、技術的な深さ、視野の広さ、そして将来への時間軸の長さを合わせ持った素晴らしいお話であった。
(文責 森谷正規)
学者、評論家が用いる三つの言葉に惑わされるな/森谷正規氏
- 2010-11-22 (月)
- VIEW & OPINION
森谷 正規 氏
放送大学 名誉教授 技術評論家
日立造船、野村総合研究所、東大先端科学技術センター客員教授、
放送大学教授、LCA大学院大学 副学長歴任。著書に「5年後、企業・
技術はこう変わる」他多数。
電機産業の大手企業が収益で韓国のサムスンに完敗するなど、この十数年来、日本企業の強さに陰りが見えている。それを、産業や製品、その状況の根本的な変革が生じているとして、新しい造語を用いて論じる学者、評論家が多い。ビジネスモデル、モジュール化、ガラパゴス化の三つが代表的である。
学者、評論家はこうした新しい言葉に飛びついて、企業の経営における失敗を論じ、しかも大半の産業、製品にそれが生じているかのように発言する。しかし、産業、製品はそれぞれにまったく個別的である。同じ状況が大多数の産業において生じるはずがない。この三つについて具体的に考えてみよう。
まず、新しいビジネスモデルが生まれているのに、それに気づかず立ち遅れてしまったとの説を述べる者が多い。日本がかつては断然強かった半導体がそうだという。確かに、台湾が創り出した受託生産ビジネスのファウンドリーは、新しいビジネスモデルであるが、それは台湾という特殊な国情から生まれたものである。DRAMにおいてサムスンに敗れたのは、ビジネスモデルのせいではない。電機産業の失敗のもう一つの代表が、液晶・プラズマテレビだが、これもビジネスモデルはなんの関係もない。
このビジネスモデルは、十数年前に米国で生まれた言葉であり、日本でもたちまち大流行した。しかし、ビジネスにおける収益を新しいやりかたで生み出すのは、古くからあった。機器からではなく、任天堂がゲームソフトで、ソニーがCDソフトで、キヤノンがカートリッジで大きな利益を上げたのがまさしくそれである。企業は、利益を上げる新しいやりかたがないかを常に探るのが当然であるが、その可能性がある産業、製品は限られている。いまも日本が断然強い乗用車には、新しいビジネスモデルはない。ビジネスモデルに立ち遅れるから失敗するという学者、評論家の説に惑わされてはいけない。
モジュール化は、経済学者がこれこそ次代の製品のあり方だと多いに推奨した。世界中から最も安い部品を調達してこそ成功するというのである。確かにパソコンはモジュール化の典型であり、そうしたビジネスが成り立つ。しかし、大多数の製品は、インテグラル型であり、そうした状況は大きくは変わらない。電気自動車の時代になれば、インテグラル型の典型である乗用車がモジュール化して、電機メーカーや中小企業が生産するようになると、学者、評論家で言う者がいるが、とんでもない話だ。あのトヨタが米国でたいへんな苦労をしたことで分かるように、安全性の向上が絶対条件である乗用車がいかに高度で複雑な技術であるか、考えもしないでいい加減なことを言う。
ガラパゴス化は、この数年しきりに言われるようになった。それは、携帯電話機で高性能化とその部品開発において世界を断然リードしている日本が、世界市場にほとんど入っていけない状況を言うのだが、確かに奇抜な表現であり、日本の特殊な条件に合わせたしまった失敗だと、ズバリ本質をついている。しかし、そのような製品が他にいくつもあるか。カーナビくらいのものではないか。ほとんどの製品において、日本企業は海外市場の開拓に懸命の努力をしているはずである。ガラパゴス化は、特殊な状況に過ぎない。
この新しいビジネスモデル、モジュール化、ガラパゴス化の説に惑わされる最も重大な問題は、経営における失敗の本質を直視するのを妨げることだ。半導体、液晶・プラズマテレビの失敗の原因は何であるのか、なぜサムスンに敗れたのか、それは、戦略に欠けていたからである。サムスンは、1990年代に米国市場に入り始めたが、日本製品が圧倒的に強かった。そこで、あらゆる戦略を考え出して、猛烈に努力した。投資戦略、販売戦略、ブランド戦略、デザイン戦略などであり、それを必死になって実現しないと、日本製品に対抗できなかった。その成果がいま大きく現れている。
日本製品は、素晴らしかった。したがって、戦略など考える必要もなく、世界で売れた。しかし、良い製品が売れるとは限らない時代になった。それに気づくのが遅かったのが失敗の根本原因であるものが多い。
そこで、戦略が必須だが、これは、産業によって、製品によって、時代状況によってそれぞれに異なるものである。個別的な現実問題に強くはない学者、評論家が考えることではなく、企業自身が必死になって、変わりゆく状況における独自の戦略を構築していかねばならない。