新経営研究会
エプソンの長期ビジョンSE 15,成長復帰のロードマップ
- 2010-03-07 (日)
- 異業種・独自企業研究会
と き : 2009年11月12日
訪 問 先 : セイコーエプソン(株) 諏訪南事業所
講 師 : 代表取締役社長 碓井 稔氏
コーディネーター: 相馬和彦氏 (元帝人(株)取締役 研究部門長)
2009年度後期の第3回は、平成21年11月12日に、長野県諏訪市にあるセイコーエプソン本社および諏訪南事業所を訪れた。セイコーエプソンはインクジェットプリンターとデジタル腕時計で名をはせているが、グローバル規模で激変するビジネス環境を克服し今後の更なる発展を目指して、「長期ビジョンSE15」を最近設定した。今回の訪問では、経営トップの碓井社長より長期ビジョンの核心を直接お聴きすると共に、同社のコア技術の見学をお願いした。
最初に碓井稔代表取締役社長より、「セイコーエプソンの長期ビジョン[SE15]について」と題した講演をいただいた。セイコーエプソンの事業ルーツは、1942年創業のメカウオッチにあるが、1964年の東京オリンピックで使用された水晶クロノメーターとプリンティングタイマーの開発で更なる飛躍が出来た。事業基盤が出来たのは、1968年のミニプリンターと1969年のアナログクオーツウオッチのお陰で、このときは要素技術を自社開発し、それぞれの要素技術が事業へと発展した結果である。その後も要素技術の自社開発は企業文化として継続され、それがセイコーエプソンの強みであるが、同時に事業化という観点からは一定の限界にもなっているという反省がある。
事業規模はこの間に飛躍的に拡大し、1969年に100億円だった売上は、2008年時点で11,224億円に増加した。事業内容も、1969年はウオッチが100%であったが、2008年は情報関連機器が67%、電子デバイス27%、ウオッチ6%の比率となった。
現在の社会のトレンドを見ると、企業にとって重要な視点はグローバリティ、環境、ビジネスモデルであり、成長を捉えるチャンスと変化に遅れるリスクが共存している。
セイコーエプソンとしては、成長を捉える新たなチャンスとして、3つの道筋を考えている。
①強みが生かせる分野に集中する。
②集中する事業では、事業ベースを徹底的に強化する。
コストに向き合う。顧客志向を徹底する。
③保有する強い技術と販売資産を活用し、新しい製品と事業を生み出す。
長期ビジョン[SE15]を要約すると、「省・小・精のコア技術を極め、強い技術を束ねて
プラットフォーム化し、付加価値を加えて強い事業集合体となること」である。それによって、世界中の顧客に感動を与えることが出来る「なくてはならない会社」を目指す。特にプリンター、プロジェクター、水晶・センサーを三つの重点事業分野に設定し、この分野でのコア技術開発体制の強化と技術のプラットフォーム化を展開している。
①マイクロピエゾテクノロジー
セイコーエプソンのインクジェットは、マイクロピエゾ方式であり、この方式で実現可能な機器はすべて手掛ける方針である。特にビジネス用、産業用、商業用(ミニラボ用)に注力し、捺染用、カラーフィルター製造用プリンターなどの開発が行われている。
②3LCDプロジェクター
1988年に上市し、全プロジェクターの60%を占めている。今は文教用が主であるが、これをコンシューマー用、商業・産業用への展開を図る。
③水晶デバイス
水晶と省電力IC技術を組み合わせ、安心、安全、快適を生み出す新デバイスを開発中。例えば、高精度のジャイロセンサー、精度が±30paの絶対圧センサー(空気中で3cmの高度差を検出可能な精度)などがある。
特許出願にも力を入れていて、国内登録件数で7番、米国登録件数で14番の位置にあるが、これを事業という実績に結びつけたい。技術のタネは多いが、それをもっと具体的な製品や事業の創出へ結びつけたい。
次にグループに分かれてものづくり塾を見学した。ものづくり塾は、ものづくり歴史館と技能道場からなり、筆者のグループは、最初にものづくり歴史館、ついで技能道場を見学した。ものづくり歴史館にある製品の歴史・変遷の展示室は、技能・技術教育の一環として、1990年以降入社の新人には、0から1の発想の大切さや改善・改良の意味を考えさえる場として活用している。会社の歴史・デバイス展示および時計展示室を次に見学した。セイコーエプソンでは、部品まですべて自製する方針だったが、最近では部品の90%は外部から購入している。時計では自製率は70%を未だ維持しているとのことであった。技能道場ではものづくりの原点を教育するため、工作機械は全部マニュアルで揃え、単に技能を向上させるだけでなく、人づくりも目指している。技能五輪45種目中の3種目に挑戦している。技能道場への入門者は、希望者から選ぶ方式を取っている。
ものづくり塾の見学終了後、諏訪南工場へ移動し、「セイコーエプソンの研究開発体制」について、常務取締役 技術開発本部長の小口徹氏よりお話しを伺った。
技術開発本部のミッションは、新規事業創出、生産革新、技術課題可決の3つがある。新規事業創出は、コア技術を極めることにより、生産革新は生産技術を極めて生産性を向上させることにより、技術課題解決はKHを極めることにより達成を目指している。
平成21年4月にバリューチェーン事業体制が発足した。これは、従来は必ずしも旨く機能していたとは言えなかった、創る→作る→届けるという各プロセスを一体化することを目標にしている。そのために、知的財産本部、技術開発本部、事業部の3者が一体となって協力する体制が必要であった。
最後に業務執行役員 技術開発本部副本部長の福島米春氏より「エプソンの技術をお客様にお届けする商業・産業用向け機器の技術紹介」をいただいた後、展開中の最新機器を見学した。
①マイクロピエゾテクノロジー
駆動波形によって、用途別にインク制御を行う。具体的な機器としては、大型カラーフィルター、ラベル印刷機、捺染印刷機を見学した。大型カラーフィルターは2015年にアナログ印刷で33.3兆円、デジタル印刷で12.8兆円と予想されており、成長産業である。パネルの大型化に対応可能な機種を開発している。ラベル印刷機はフレキソを超える高画質で、一般のアナログ印刷用紙にも印刷可能である。ヘッドは2万ノズルあり、往復して印刷し全紙をカバーする。捺染印刷機はデザインの自由度が大きく、小ロットで短期の納入が可能で、低コストである。幅は1.8mまで印刷出来、インクは8色を使用している。欧州を中心に100台以上が販売されているが、厚地やベタ印刷には不向きである。
②3LCD
デジタル情報量が急激に増加しているので、これへの対応を行っている。超精密プロジェクターは3Dで4K(縦4K、横2K)、静止画像で8K(縦8K, 横4K)の処理が可能で、150インチのスクリーン画面では織物の細かい織り目まで見える。リアリティー感、質感が感じられ、車の設計、住宅の説明、バーチャル美術館、ファッションショー、劇場・映画館なでへの応用が候補となる。
③水晶デバイス
小型高精度圧力センサーは、圧力0.3paの変化が測定可能である。超小型原子発信器は従来よりもサイズが1/100、消費電力は1/100以下を達成した。300年で1秒の誤差という精度である。
見学がすべて終了した後で会場に戻り、ラップアップを実施した。近年の厳しい事業環境を反映し、どこの日本メーカーでも直面している課題に対する質問が多く出されたが、ほぼ全部について碓井社長が自ら回答された。要点のみ以下に纏めた。
①従来は部品まで全部自作していたが、最近は外部購入の割合が大きくなっている。そういう環境でコア技術の進化や新規コア技術の育成はどうやるのか?
→ コア技術と言っても、従来は事業の延長上のコア技術が中心だった。今後はそれだけでなく、新しいコア技術の構築を課題としている。新規事業を創出するコア技術については、タネまでは沢山作ったが、その事業化が必ずしも旨く行かなかった。技術開発だけでなく、事業の出口を見据えながらの開発を行おうとしている。事業部の延長ではない新事業を創出するため、事業部と技術開発本部からなる現体制に変更した。
②現在の環境を踏まえた開発対象は?
→ 開発の対象としては、商品そのものの開発、生産プロセスの開発、新しい産業構造に変えうる商品の開発、リサイクル技術開発がある。
③装置の外販についてはどういう方針か?
→ 今までは装置の外販には熱心ではなかったが、新方針として、装置を自社で最後まで作れる場合には外販することとし、自社で製造しないような商品を作るための装置は外部へ出した。
④セイコーエプソンの従業員は78,000人に達し、その内で海外従業員は50,000人も居るということだが、今回のような新方針を全社に徹底するためにどのような方策を取っているか?
→ 何度でも話すことに尽きる。社長自身が機会あるごとに話しているが、それぞれの立場にかみ砕いて話すことが重要で、これは事業部長の仕事の一つと位置づけている。
⑤最初のアイデアの創出は?
→ 過去も現在も、アイデアは沢山あったが、これを市場に出す力がイマイチだった。これからは仮説を立て、それを立証する行動が必要だ。
今回の訪問で、セイコーエプソンは創業以来コア技術の創出とそれをプラットフォームにした事業構築を企業文化としてきたことが、講演の内容および歴史館展示物から良く理解出来た。厳しい経済環境を、ものづくり企業としてどう乗り越えて更なる発展へ繋げるかという方針も、その企業文化を濃厚に反映したもので、同じ環境に直面しているメーカーには大きな示唆を与えている。特に所有しているコア技術に基づいたプラットフォームの上に事業を構築し、更に新しいコア技術を創出することによって新しいプラットフォームを作り上げ、その上に新規事業を創出しようという戦略は、ものづくり企業の王道であり、継続実施されれば必ず新規事業を創出するであろう。(文責 相馬和彦)
太陽光植物工場が挑むサイエンスとしての農業
- 2010-02-06 (土)
- 異業種・独自企業研究会
と き : 2009年10月22日
訪 問 先 : カゴメ(株) いわき小名浜菜園
講 師 : 常務執行役員 佐野 泰三氏
コーディネーター: 相馬和彦氏 (元帝人(株)取締役 研究部門長)
2009年度後期の第2回例会は、平成21年10月22日に、いわき市にあるカゴメ大規模ハイテク野菜工場のいわき小名浜菜園を訪問した。国内の農業は、農業従事者の高齢化と小規模経営のため国際的な価格競争力が低く、食料の自給率が50%を割っていることは国の安全上大問題となっている。しかしそのために国としての効果的な施策が行われているとは言えず、日本の製造工業と農業の国際競争力の格差は開いたままである。日本の優れた製造技術を農業に応用することにより、農作物の品質向上とコストダウンが行われたらという期待はあるが、現実は未だ端緒についたばかりである。この分野のパイオニアであるカゴメの大規模野菜工場を見学する機会に恵まれ、農業の最新の工業化技術を知ることが出来るという大きな期待を持って訪問した。
最初に農業生産法人 有限会社いわき小名浜菜園の小林継基代表取締役より概況説明が行われた。いわき小名浜菜園は2003年11月28日にカゴメの子会社として法人登記を行ったが、株主構成は企業による出資に10%の規制があるため、90%は個人投資にし、有限会社として設立した。農地法上の規制で課題が出て、その後2回の審議を必要としたが、最終的には2004年3月に許可が下りた。
現時点での従業員は170名、内社員は12名で後はパートである。80%は女性で平均年齢は38.9歳。農業事業法人では深夜まで残業とならない、設備・機械は国の安全基準が適用されないなど、特殊な就業環境となっている。事業的には今年度は単年度黒字を達成する見込み。
菜園経営に当たっては、環境への配慮を重視している。。 ①雨水を100%用水に利用し、地下水は汲み上げない。
②LPGを使用し、燃焼ガスは大気中に放出せず、野菜の炭酸同化作用でリサイクルしている。
③栽培に用いた溶液の30%は回収してリサイクルし、土壌中に放出しない。
④交配には日本在来種のクロマルハナバチを使用しているので、温室から外に逃げた場合でも問題はない。
⑤植物残渣が日に5トン出るため、市でゴミとして焼却していたが、これを堆肥に変換して販売を始めた。
年に約3000トンのトマト収穫があり、95%は製品として出荷されている。Aグレードの90%はカゴメへ、Bグレード5%はその他へ販売している。
野菜工場の紹介ビデオを見た後、工場見学を行った。温室は5ヘクタールの広さのもの(東西145メートル、南北175メートル)が2棟隣接していて、中央部に事務棟や用役設備が設置されている。トマトの木は高さを揃え、伸びたら下に下げるやり方なので、植えた時期が違うものでも綺麗に揃っている。温室は明るく広く、かつ綺麗に維持されており、農地栽培ではなく工場生産という印象が強い。培地にはロックウールを使用し、栄養分は溶液で供給しており、殺虫剤や殺菌剤の使用量は少なくて済んでいる。生育を複合環境制御システムで管理しており、外部環境を測定して天井の開閉の自動調節などにより内部環境を最適化している。従ってトマトにはストレスが少なく、順調に生育している。
8月から翌年7月までの一年間に、35段程度の多段取りが可能である。2月から5月出荷分は味が良いが、ほぼ一年中味は安定している。ロックウールは農業用として、オランダで建物用とは別ライン・別プロセスで製造されたものを使用している。交配用のハチは、温室の5~6ヶ所におけば、全体をカバーしてくれるし、維持も容易である。女王蜂の寿命が終われば、新しいのと交換する。
種はF1 を使用し、カゴメより購入している。収穫や葉の除去、枝の剪定など作業を見ていても手作業が多く、パートでカバーしている。トマトの種類によって温室の適温が異なるが、トマトは自分で温度を調整している。温室栽培では、トマト本体の生長と実の生長をバランスさせる技術がカギで、放置するといずれにかに偏ってしまい、味と収量に影響を受ける。この栽培技術を”Balance and Power”と称している。
工場見学を終えた後、「太陽光野菜工場が挑むサイエンスとしての農業」と題する講演を、コンシューマー事業本部 生鮮事業担当 常務執行役員の佐野泰三氏よりいただいた。
カゴメは1899年トマト栽培で創業され、2009年3月期の売上は1750億円である。事業分野は飲料、食品、乳酸菌、ギフト、業務用、通信販売事業に及び、事業領域は米国、中国、イタリアをカバーしている。カゴメは最初トマト栽培事業を行っていたが、トマトだけでは売れないため自ら加工事業へと進出した。日本人のトマト消費量は世界的に見ても少ないので、これからの成長が期待出来る。生鮮トマトの価値を高めるためには、生産、流通、消費のサイクル各段階に革新をもたらすことだと考えている。
カゴメは現在全国に大規模菜園8ヶ所、契約農園20ヶ所、生鮮センター7ヶ所を有している。高品質を維持するため、繁殖には接ぎ木を約60%使用している。エネルギー費と人件費がコストの約60%に達するため、これを如何にして下げるかが課題である。
栽培技術としては、病虫害については天敵の活用を含めた総合的な対応を行い、品種や季節に応じた施肥設計を定期的な養液分析により補正している。8ヶ所の菜園データを共有し、海外のアドバイザーより助言を受けている。これらの総合技術が、”Balance and Power”である。
生鮮野菜のマーケティングは商・工業製品とは異なり、消費者との直接対話が重要となる。そのために、小売、生協、外部ユーザーとの協調を推進している。カゴメのトマトはリコピンやグルタミン酸が高い特徴があり、広域量販店で8%、有力スーパーマーケットで5%のシェア-を有している。今後は直販所、特産品コーナーへも進出を計画している。
今後の課題として、以下の対応を行う予定である。
①量と価格の季節変動への対処。
生鮮トマトには、供給の潤沢期と端境期があり、供給量が多い時期には価格が下がり、端境期には価格が上がるが、このギャップに旨く対応する方法として、産地再編と作型変更による市場優位、新技術の開発、独自商品によるコモデティ市場からの差別化などを検討している。
②環境負荷低減のための省エネ技術開発。
トランスヒートコンテナをテスト中であり、省エネルギー太陽ハウスも活用したい。
③大規模農業ネットワークの育成。
④農業ノウハウの移転によるアジアへの展開。
講演終了後、質疑応答を行ったが、トマトは生鮮野菜であることから、安全性について関心が集まった。カゴメでは、農薬の使用については特に注意しており、食味も常に検査を実施している。ただ生鮮野菜には賞味期限の記載はなく、その代わり生産日が記載されているという回答には意外な感を持った。。
国内で生産される最近のトマトは、トマト本来の持っている独特の風味が少なく、味が薄い不満があったが、カゴメではイタリアトマトとの交配により、本来のトマト風味を保持した品種も生産しているとのことで、さすがトマトメーカーと嬉しくなった。実際にその後のライトパーティーでは、社員の方々が料理したトマトをメインとした様々な料理が提供され、トマトの風味を堪能することが出来た。トマト消費量が少ない日本で、トマト料理のメニューを普及させ消費量を増やすことも仕事の一部となっている。
日本の農業衰退は深刻な問題であり、政策的、社会的、構造的、経済的など様々な原因が複合していて、その解決は容易ではない。しかし、企業の進出を排除し、従来の延長上で保護する政策が破綻して久しい。本日のカゴメ訪問は、世界のトップにある製造業の技術と知恵を活用すれば、農業が過去の桎梏から解放され、新しい発展へと変身するきっかけとなるのではないかという予測を、確信に変えてくれる貴重な一日となった。
(文責 相馬和彦)
伝統と革新(ヤマハ)
- 2010-02-02 (火)
- 異業種・独自企業研究会
と き : 2009年9月25日
訪 問 先 : ヤマハ(株) 管楽器工場
講 師 : 取締役 常務執行役員 岡部比呂男 氏
東京工業大学連携教授 清水 寧 氏
コーディィネーター:相馬和彦氏 (元帝人(株)取締役 研究部門長)
2009年度後期の第1回例会は、平成21年9月25日にヤマハ株式会社の豊岡工場を訪問した。ヤマハでは、以前にピアノ製造に懸けるグローバルな夢の話と、ピアノ製造工場見学後にプロのピアノ演奏をお聞きして感動した覚えがあるが、今回は管楽器というデリケートな楽器製造に懸ける夢と想いを伺えることになり、期待を持って訪問した。
最初に、今回の訪問が実現するまでに多大の貢献を頂いた加藤博万顧問よりご挨拶があった。今回の訪問で伝えたいことが二つある。第一は、美しい音とはどういうことかの理解である。音は楽器とその使われ方が組み合わさって実現するものであり、そのためには何をするかがポイントとなる。ヤマハで実行しているその努力を見て欲しい。第二は、音とは総合ビジネスであり、総合技術である。そのためには常に新しい技術を導入し、音を活性化する必要がある。建築音響技術もその一つであり、それを知って欲しい。
次に「ヤマハの建築音響技術とその広がり」と題し、清水寧サウンドテクノロジーセンター技術担当主幹技師より、音の響く空間設計技術へのヤマハの取り組みについての講演がなされた。楽器の音は空間に伝わり、それが聴こえる音として耳に伝わる。その聴こえた音を楽器にフィードバックし、更に良い楽器を開発するというプロセスを取る。楽器の音は、音の大きさ、音色、ピッチから成るが、片耳と両耳では大きな差があり、空間で聴こえる音は、評価や定量化が困難である。そのために、経験に科学的アプローチを加味して技術をつくり、それでソルーションを目指している。ウィーンフィルのコンサートホールは音響の良いホールの見本となっているが、形の異なる別のホールでも良い音になるのではないかという試みを行っている。例えば、体育館ではどうかとか、5000席でのクラシックコンサートではどうかとか、野外では可能かということまで含めた広い可能性を追求している。
音の設計は、第一が建築音響設計であり、響きをつくるための静けさを設計する。第二が電気音響設計で、使える設備、響きの最適化を設計する。これらを駆使し、ホール完成前であっても、そのホールが完成した時点での可視化、可聴化が可能になる技術の完成を目指している。そのために、sound field synthesisやシミュレーション、1/10スケールの模型実験を行っている。可聴化実験室で完成後のホールの音を聴くことが出来るようになったため、その結果をホールの設計に反映することが可能となった。
電気音響的支援事業では、新築ではない既存の建物での音響の改善を行っている。例えば、cinema DSPとか防音室への商品化、音響制御システムなどが含まれる。
これらの技術を活用した将来の方向としては、空間のデザインや会話によるコミュニケーション改善などを検討している。サウンドをマスキングするパネルを使った会話し易い会議スペースとか、間接音響技術によって音による包まれ感、空間感、音の移動感のある空間などの設計である。
次に本日のメインとして、取締役 常務執行役員 楽器事業統括の岡部比呂男氏より、「管楽器づくりにかける思い」と題した講演をいただいた。ヤマハの歴史は、1887年のオルガン製造に端を発し、1897年には日本楽器製造が設立された。1987年には社名をヤマハと変更し、名実ともにグローバル企業になった。
国内のピアノ保有は600万台に達し、年間の売上はかっての30万台/年が現在では2万台/年に減少している。エレクトーンの売上は増えているので、ピアノ人口そのものは減っていないと思われる。
ヤマハの売上は2009年3月期で4593億円、利益は120億円あり、楽器分野ではダントツの1位を占めている。この分野は、日本メーカー(ヤマハ、ローランド、カワイ)が1位から3位を占めており、日本企業の独占となっている。
世界の年間の管楽器製造数は約150万本で、そのうちヤマハが41万本を製造している。生産地別の生産量は、中国9万本、インドネシア17万本、日本16万本となっている。
ブランドイメージとしては、中級品中心から高級品を拡大しようとしている。アーティストの要求を満足させるような高品質の商品をまず開発し、それによってブランド力をアップさせると、その次に一般ユーザーへ展開するのに有利と考えて取り組んでいる(後刻の工場見学の際、プロのアーティストが実際に吹いてみて品質的に合格したものを、そのアーティストの推薦品として選別する工程を見学した)。
高品質の製品を開発するため、工房(アトリエ)を米国に2ヶ所、欧州に2ヶ所、日本に1ヶ所設置している。アーティストを多数入れると、開発されて楽器が無性格となって結果的に売れないが、少数で開発すると個性的な楽器が開発出来、結果的に売れることが分かっている。
ウィーンフィルの管楽器はウィーン式といって特別な構造をしており、オーボエ、ホルン、トランペット、トロンボーン、クラリネットがあり、これらも製造している。ウィーン式管楽器は、音質の点から弦楽器とのバランスが良いと言われている。
自分だけで楽しみ、周囲に迷惑をかけない楽器としてサイレント楽器を開発した。サイレントピアノや、ブラスを減音するミュートを開発し(実演デモあり)、この技術をドラムや弦楽器に展開している。
生産はグローバル3ヶ国で行われ、生産拠点は日本に5ヶ所、中国に3ヶ所、インドネシアに4ヶ所設けている。欧州の楽器メーカーは、中国からOEMで楽器を調達し、ヤマハに対抗して総合メーカー化しようとしている。これに対してヤマハは、高品質主義を貫き、基幹部品は自社生産していく方針である。今後インドネシア、中国拠点での生産レベルが向上していくので、国内での生産は更にレベルアップが必要であり、国内の成果を次に海外へ展開していくつもりである。
今後はプレミアムブランドをグローバルで獲得するとともに、画期的な材料や製法の開発に注力したい。特に貴重な天然資材・木材の代替素材や更には脱天然素材の開発に努めていくつもりである。また、新しい管楽器の開発・研究も実施していく。
最後に管楽器の製造工場を見学した。筆者の属したグループによる工程見学順に見学内容の概要を述べる。豊岡工場では、木管楽器であるピッコロ、フルート、クラリネット、ファゴット、サキソフォン、金管楽器のトランペット、トロンボーンなど年間11万本程度を製造している。中級から上級クラスの楽器は、工房での製造となる。
①トランペットの朝顔管製造 銅またはブラスの板を手で叩いて管に成形。高級品向け。
②トロンボーンの朝顔管製造 ベル絞り、機械絞りによる普及型の管。
③空気管製造 総体絞りで作る。
④管のみがき工程
⑤ピストンの銀蝋付け 精度が重要なため、技術習得には数ヶ月は必要。
⑥サキソフォンの朝顔管彫金 彫金刀をゆらしながら、下絵なしに彫金する。
⑦サキソフォン朝顔管の半田付け 世界で唯一の鉛フリーの半田使用。
⑧ピストン加工
⑨水圧成形加工 パイプを綺麗に曲げる工法で、以前は鉛を使用していた。今は水を凍らせてから成形し、成形後に氷を解かす。
⑩検査工程
⑪研磨工程 バフで磨く。徹底的に製品を磨き上げる。ハードだが工場では人気のある職場。出来上がった製品へのプライドを示せるため。
⑫最終チェック、出荷工程 社内吹奏楽団所属のメンバーが、試奏して音の出具合をチェックする。如何にも高品質の楽器をチェックしているという雰囲気が伝わってくる。
⑬塗装工程
⑭トロンボーンのスライド部分調整工程
⑮フルートの音孔加工工程
⑯サックスの最終組み立て 管体にキーを取り付ける。
⑰リコーダーの管体成型 樹脂の射出成形による一般品用。
⑱フルート、オーボエ、ピッコロの最終組み立て 息が漏れないように細かい調整必要。
⑲カスタム工房 流れ作業ではなく、一人が長い工程を担当する手作り工房。
⑳バイオリン工房 2000年から設置。イタリア方式にプラスアルファしている。
㉑ ギター工房 フォークギター製造。
以上でも分かるように、工場内に手作業の工程が多い。これは少量多品種の楽器が多く、機械化・自動化するには生産量が少なすぎるためであり、このあたりが管楽器の海外生産移行要因の一つとなっているのであろうし、管楽器製造の難しい点であると推測された。
工場見学から戻ってから、質疑応答が行われた。音と空間の関係に関連して、昔から近くで聴くと音の悪いバイオリンはホールで聴くと良い音に聴こえると言われているが、建築音響技術から言っても事実かという質問があった。これに対し、楽器は近くで聴くと雑音だらけであるが、ホールで聴くと良い音になるのは事実である。何故と言われると、不明の点が多く、明確な答えは出来ないが、ヤマハの開発した可視化システムでは、近接雑音は除去しているとのことであった。また、世界では気候が異なる国や地方も多く、特に多湿の場所では音に影響を与えるのではとの質問には、湿度は音波速度に影響するので、湿度は音に多大の影響を与えるため、ホールの設計そのものにもその地方の湿度は反映されているとのことであった。事実演奏家は湿度を嫌う。
今回は前回のピアノ製造工程見学に続き、管楽器という感性に訴える芸術的な製品の製造現場を見学出来、楽器の繊細さとそれを技術として極限まで追求する姿勢に感銘を受けた。
また、製造現場に働く人達が、単に製品を作っているというのではなく、自分自身も楽器を演奏し、その好きな楽器を作っているという気持ちが製造現場に溢れていることが強く感じられた。事実楽器が好きな連中が集まってくるとのことであり、単なる工場を超えたものづくりであることに羨ましさを感じた一日であった。
(文責 相馬和彦)
金属箔粉の新たな可能性、福田金属の挑戦
- 2009-12-18 (金)
- 異業種・独自企業研究会
と き : 2009年9月15日
訪 問 先 : 福田金属箔粉工業(株) 本社工場
講 師 : 常務取締役 梶田 治氏
コーディィネーター:相馬和彦氏 (元帝人(株)取締役 研究部門長)
2009年度後期例会の最終回は、平成21年9月15日に、京都市山科区にある福田金属箔粉工業の本社工場を訪問した。福田金属箔粉工業は、1700年(元禄13年)に金銀箔粉問屋として創業されたのが始まりで、長らく箔専門の伝統産業に携わっていたが、1937年(明治12年)になって真鍮粉の工業生産に成功し、伝統産業から近代産業へと脱皮した。戦後は銅箔製造に進出し、ハイテク産業にはなくてはならない材料としての金属箔、金属粉を次々に開発し今日に至っている。企業の平均寿命30年と言われてから久しく経つが、その後商品寿命は益々短くなっており、福田金属箔粉工業が300年を超えて時代とともに発展してきた源泉を知ることは、市場の変化に対応した商品開発に日々頭を悩ませている我々にとっては多大の示唆が得られると期待して訪問した。また同社は2005年に第一回「ものづくり日本大賞」総理大臣賞を受賞しており、同社のコア技術である金属箔粉技術そのものについても大きな関心を持った。
最初に林泰彦代表取締役社よりご挨拶をいただいた。 会社創業は1700年であるが、最初の約200年の間は仏像用などの金、銀箔を扱っていた。戦後に銅箔製造を始め、現在銅箔を月産で約500トン、金属粉末を約1,500トン製造している。
次いで会社概況のDVDを見た。大正時代、銅粉はモーター用金属ブラシに使用されていたが、輸入に頼っていた。同社はその国産化に成功した。現在は1,000種類以上の金属粉末を製造しており、材料としては銅、銅ニッケル合金、レアメタルなどが使用されている。昭和12年に日本初のシールド用電解銅箔の製造を初め、昭和32年にはアトマイズ法による金属粉製造法を開発した。金属箔としては、銅、銅合金、アルミニウム、ニッケル、錫などを原料とし、電機・電子部品、薬品包装、建材などに使用されている。次世代製品としては、新製品開発事業部で、電池、人工関節などの医療品、新規用途開発などを実施している。環境対策としては、廃水の50%以上をリサイクルしている。海外では蘇州工場でプリント基板用電解銅箔、1μまでのアトマイズ法銅粉を製造している。研究拠点としては滋賀にリサーチセンターを有している。
次にグループに分かれて工場見学に移った。筆者のグループは、最初にショールームを見学したが、様々な金属粉末および金属箔とその最終製品を見ることが出来た。金属粉末の8割程度がブレーキ、ブラシ、ピストンなどの自動車部品に使用されているが、成形性が良好、ポーラスで油が内部に入る、複雑部品の一体成型が可能などの利点が評価されたため。金属箔の製造法には圧延法と電解法があるが、銅箔は電解法、アルミ箔は圧延法で製造している。
工場では、まず銅箔の製造工程を見学した。溶解工程には、硫酸で銅を溶解するタンクが6基あり、溶解した銅を次の電解工程に送り、ドラム上で箔としてから、次の表面処理工程へ送ってプリント基板用に仕上げる。厚みは9~70μであるが、試作品としては6μまで検討している。銅粉の製造工程では、千葉工場で製造したアトマイズ法銅粉を粉砕し、50~100μに篩い分け、梱包している。粉砕には槌を使用するが、粒径分布が広くなるため、篩い分けをしてから指定商品仕様に合わせて混合する。電解銅粉製造工程では、溶液中の銅濃度が低いため、粉末として析出させている。ハイテク産業で必要とされている銅箔、銅粉が、伝統的な電解法や槌による粉砕法で製造されている現場を見て、意外な感を持ったが、逆にこういうコア技術を発展させ、高度な使用条件を満たす性能を有する銅箔や銅粉を作り上げてきたところに、この企業の強みであるコア技術が凝縮されていることに納得出来た。
工場見学から戻ってから、梶田治常務取締役 新商品事業部長より「金属箔粉の新たな可能性」と題する講演をお聴きした。福田金属箔粉工業は創業が1700年、会社としての設立は1935年であり、当主は11代目となる。2008年実績で売り上げは527億円、従業員は600名である。当社は設立以来300年を超えているが、国内には寿命の長い会社は多く、500年以上が34社、300年以上が580社も存在している。
金箔は金+銀+銅で構成され、第一工程で10μに、第二工程で1μに、更に第三工程で0.1μに延伸されるので、1㎤の金を10㎡まで延ばすことが出来る。ただ金箔の国内需要は一時600万枚あったが、現在は100万枚以下と激減している。その主な原因は、仏壇製造が中国へ移設されてしまったことによる。
当社の変革は明治時代に始まった。まず明治12年に真鍮粉の製造工場を開設し、明治41年には山科での製造を開始した。いままで職人の技で作っていたものを、工業生産へと進化させたものである。杵で打って粉末にしていたものを、杵を捻りながらうつこと、金属粉に表面処理を行うことによって、工業的な粉砕が可能となった。こうして製造した粉末をインキ屋さんに供給し、これが印刷に使用された。昭和になってから、金箔製造は金沢に移って行った。
電解法による粉末製造法は、昭和11年に京大と共同で開発した。電解銅粉は金属ブラシ、ブレーキ材、パンタグラフなどに使用されるようになった。アトマイズ法による粉末製造法は昭和32年に開発したが、粉末が複雑な形状をしているため、ギアなどの粉末冶金に使用されている。
モバイル機器の普及により、10年前から金属粉末に対して、より小さく、より丸く、より薄くという要求が強くなってきたので、そのために必要な技術開発を実施している。具体例を以下に述べる。
①積層セラミックコンデンサー(MLCC)
従来法では数μ程度の粒径で十分であったものに対し、a.粒径約1μ、b.粒径10~100nm、c.形状が真球、などの新しい要求が出てきた。a.とc.に対しては高圧アトマイズ法で、b.に対してはレーザー照射法(京大と共同開発)および液相法で対処しようとしている。
②プラズマ回転電極法
高融点金属、例えばチタン、を対象とし、チタンの場合には1800℃で実施する。人工関節や歯根への応用展開を目指す。ICパッケージが小型化するに伴い、鉛フリーの半田が必要となってきたため、均一液滴法をMITと共同で開発している。また、銅ボールの表面に半田をコートした銅ボールも検討中である。
③銀ペースト
銀ペーストでは薄く、銀の使用量が少ない方法を検討している。
金属箔では、プリント配線盤用のフィルムキャリア付極薄銅箔を検討している。銅箔の厚さは1.5~5μの範囲である。材料としては、銅以外にも、アルミ、銅+錫、銅+ニッケルメッキが含まれる。
こういう新しい技術を開発するためには、自社だけでは不十分と考え、個別に大学や公立研究機関との共同研究を積極的に実施している。一例を挙げれば、東北大学、熊本大学、京都大学、産総研などがパートナーとなっている。検討中のテーマ内容は、以下のような概略である。
リチウムイオン電池では、活物質である黒鉛の代替に、ナノコンポジット合金粉を利用出来る可能性はないか。燃料電池では、パラジウム幕の代替として、急冷水素分離膜が使えないか。バナジウムやニッケルは、急冷で薄膜を作ることがヒントとなっている。マグネシウム粉末合金の応用では、マグネシウムフレークから次世代航空機用の胴体ストリンガーが成型できないか。ふくい産業支援センターと共同で、光造形法で複雑な形状が作れないか。初期段階であるが、金属粉末圧延法や熱を電気に変換する素子の、素子用粉末も検討している。
導電塗料用銅粉では、第一回ものづくり大賞を受賞したが、これはいわゆる電磁波シールド問題に対し、酸化しない銅塗料を開発したことが対象となった。パソコンや携帯電話に採用されているが、この技術開発にはプロジェクトグループを作って挑戦した。技術的には、伝統技術に新規技術がプラスされて達成出来たと思っている。
伝統産業には確かに強みがあるが、同時に裏返しとしての弱みもある。
強みとしては、
①コア技術の蓄積がある。
②寿命が長く、かつ安定している。
③ブランド力がある。
④洗練され、無駄のない生産技術を有する。
弱みとしては、
①市場変化に追随しにくい。
②作る側の立場が出る。
③情報収集力に欠ける。
などがあると認識しており、今後は強みを発揮しながら弱みを克服していく必要がある。
これからの当社の進む方向としては、「メタルスタイリスト」を目指している。具体的には、下記の3項目を達成したい。
①伝統技術にハイテク技術をプラスする。
②感覚に代わるセンサーの導入。
③科学技術、市場情報の入手。
最後に福田家の家訓が引用された。それは「身の程をわきまえる」であり、如何にも古都京都の老舗らしい家訓である。
梶田常務の講演終了後、質疑応答の時間を持った。いくつかの質問が出たが、以下に要約した。まず創業以来300年、近代化された明治時代以来でも140年の間、経営体として時代の荒波を乗り越えるためには、その時代の需要に応じた最先端商品を継続的に開発する必要があったはずである。それをどのようにして実行してきたかが尋ねられた。これに対しては、異業種との交流で得られた情報や人脈を活用したとのことであった。また、そういう開発を可能とした企業文化の存在に対しては、経営者が数代に渡って技術屋が続き、組織としての技術開発マインドが強い文化を有していたことがその背景にあると回答された。
今回の訪問で、技術をベースにした企業の継続的発展の源泉を見ることが出来た。技術者にとって新しい技術は魅力があり、その技術を獲得することにより、新しい製品や事業が構築出来ればそれに越したことはない。しかし、往々にして、新しいと思った事業分野には、すでに先住民が居たり、新規参入者が群がることが多い。そこでの熾烈な競合に勝ち残るためには、新しい技術だけでは不十分である。そこで鍵になるのが、長年築き上げてきて他社の追随が困難なコア技術の活用である。このコア技術に新しい技術を付加し、新たなコア技術発展することが出来れば、先住民を含めた新規商品分野で勝ち残ることが可能となるであろう。今回訪問した福田金属箔粉工業が、300年を超えて存在し得た源泉はまさにそこにあったのではないかと判断され、製造業に携わる者にとっては、貴重な実例を示して貰えた。
(文責 相馬和彦)
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東芝の研究開発、選択と集中
- 2009-08-03 (月)
- 異業種・独自企業研究会
と き : 2009年7月17日
訪 問 先 : (株)東芝 磯子エンジニアリングセンター
講 師 : 取締役 代表執行役副社長 田井一郎氏
コーディィネーター:相馬和彦氏 (元帝人(株)取締役 研究部門長)
2009年度前期「異業種・独自企業研究会」の第4回は、平成21年7月17日に、東芝の磯子事業所内にある磯子エンジニアリングセンターおよび電力・社会システム技術開発センターを訪問した。東芝は、従来原子力と半導体事業への集中投資を行なってきたが、本年6月末に発足した新体制下では、原子力事業を軸とした成長軌道を目指している。原子力事業では、2006年度に米国のウェスチング・ハウス(WH)の買収を果たし、原子力発電プラントの建設実績シェアでは世界のトップメーカ-となった。東芝の原子力技術は歴史も長く、かつ技術的にも優れており、本研究会でも長年に渡って訪問を希望してきた。また、米国や中国を中心にして、原子力発電の建設計画が相次いでおり、東芝・WHグループの今後の発展戦略には大変関心が高く、貴重な示唆が得られるとの期待を持って訪問した。
最初に磯子エンジニアリングセンターの概況について、岩本佐利センター長より説明がなされた。東芝の各事業グループの売上比率は、デジタルプロダクツが34%、電子デバイスが19%、社会・インフラが33%、家電が9%、その他が5%で、世界全体で15万人を雇用している。磯子エンジニアリングセンター(IEC)は社会・インフラ事業グループに所属し、開発・計画・設計から建設・試運転・運転サービスおよび保全まで、原子力プラントに関わるすべてのエンジニアリングを担当している。原子力発電のメリットは、第一に使用エネルギーの寿命が長いことであり、石油が42年、石炭が133年、天然ガスが60年と言われている中で、ウランのみで100年、使用済みウランを再利用すれば3000年の寿命が期待されている。第二は炭酸ガス産出量が少ないこと。第三は、単位発電当りの建設コストが他の代替エネルギー対比安いことで、発電量100万KW当りの建設費で比較すると、原子力では3000億円、太陽光では6~7兆円、風力で1兆円とメリットは大きい。そのため、全世界で原子力発電所の建設計画が進行している。
国内では現在53基の原子力発電所が稼動しており、更に3基が建設中である。東芝は1966年に原子力事業を開始して以来、現在までに22基の建設実績がある(WH分は含まず)。技術形式で分けると、沸騰水型(BWR)が32基、加圧水型(PWR)が21基となり、BWRの方が多い。BWRはWH社の得意技術であったが、同社の買収により、東芝は自社技術であるPWRに加え、BWR も入手したことになる。現在までに世界で432基の原子力発電所が建設されたが、東芝とWH社を合わせると112基となり、トップのシェアを占める。
原子力事業は、発電所の計画・設計に始まり、必要な大型機器の調達、発電所の建設・試運転、更には保守まですべてを含む総合システム事業である。
次に電力・社会システム技術開発センターの概況について、前川治センター長より説明があった。本センターは社会・インフラ事業グループの研究開発を担当し、原子力・火力・水力用発電技術、変電技術などを含め、様々な社会・インフラ事業グループの要素技術を開発している。もう少し詳しく言うと、原子力技術分野では、次世代のBWR・PWR技術、高速炉技術など、火力・水力技術分野では、蒸気タービン、タービン発電機、水車など,系統変電技術分野では、高電圧・大電力試験技術、変電機器解析技術、スマート・グリッドなど、産業・電機技術分野では、列車制御技術、高速エレベーター、二次電池(SciB)、固体絶縁スイッチギアなど、社会システム技術分野では、上下水道システム、画像処理、省力自動化、通信などの技術開発を行なっている。
最後に取締役 代表執行役副社長の田井一郎氏より、「東芝の研究開発 選択と集中」と題した講演いただいた。
東芝の技術の遺伝子は、創業時代の二人の人物に遡ることが出来る。一人は田中久重で、弓曳き童子、万年灯、万年時計など次々に発表し、その巧みな技から「からくり儀右衛門」と称された。もう一人は発熱球を作り、「日本のエジソン」と言われた藤岡市助である。
田中久重は1875年に田中製造所を設立し、これが1934年に芝浦製作所となる。一方藤岡市助は1890年に白熱舎を設立し、これは1899年に東京電気となる。この二社が1939年に合併して東京芝浦電気に、1984年に東芝となった。
設立以来技術開発は重視され、そのための組織が時代時代に存在したが、1942年に綜合研究所が設立され、初代所長には本多光太郎博士が招聘された。その後研究所の統合や再編を何度か経て現在の組織となった。
売上は連結で6兆6千億円、従業員は15万人に達し、デジタル、電子デバイス、社会・インフラ事業グループが社内カンパニー、家電事業はグループ子会社となっている。研究会開発組織としては、社内カンパニーは各カンパニーに技術センターを有し、それ以外のコーポレート研究組織として、生産技術センター、研究開発センターなどのセンターが設置されている。研究開発費としては、売上の5%が基準となっているが、昨今の不況の影響もあり、2008年は5.68%、2009年は4.57%と多少変動している。
東芝は創業以来オリジナル技術を継続して産み出してきたが、その歴史を振り返って見ると、オリジナル技術を産み出すための条件があるのではないかと思っている。それらを列挙すると、①新しい技術が出るためには、伏流があり、突然産まれるわけではない。②合議で産まれるのではなく、1~2名のこだわりが原点となっている。③事業側は新しい技術に対して冷ややかなのが普通なので、先取りして評価することが必要である。④試行錯誤の繰り返しを許容するマネジメントが必要。一度失敗したからと言って、根絶やしにしてはいけない。⑤実証には8~10年はかかることを覚悟する。
研究開発としては、社会を変革するようなインパクトのあるイノベーションを目指しているが、その候補の一つとして超解像技術がある。これからインパクトが出てくると期待している。イノベーションを実現するためには、開発だけでない三つのイノベーションを組み合わせる必要がある。これを”i3”(イノベーションの3乗)と称しているが、それは開発のi(イノベーション)x営業のi(イノベーション)x生産のi(イノベーション)が相乗効果を発揮したときに本物のイノベーションになるということである。
これからの事業発展のためには、海外の売上を現在の55%から70~80%に引き上げる必要がある。そのために、海外数箇所に研究所を設置し、大学との連携やスカラーシップ、フェローシップ、研修などを通じて海外人財との交流を深めている。
田井副社長の講演終了後、質疑応答の時間を持った。いくつかの質問が出たが、中心になったのは、原子力発電の安全性に関するものだったので、以下に複数の質問に対する回答を纏めた。
原子力の安全に対する国内での反応には、感情的な面が強い。あれだけ原子力が普及しているフランスでは、全く安全性は問題にされておらず、田園風景の中に原子力発電所が自然の一部でもあるように溶け込んでいる。原子炉は、必ず岩盤まで掘って設置するため、地震があっても揺れは最小限に抑えられ、そのため原子炉は地震の際に最も安全な避難場所とさえ言って過言ではない。地震の際に報告される事故は、原子炉ではなく変電などの付帯設備で起こり、これら付帯設備の耐震基準は原子炉の厳しさとは比較にならない。
フランスでは、あらゆる条件での事故の可能性を実験しており、そのデータは国際的に大変役に立っている。また、原子炉では多量の水を使用するので、その処理技術や、放射性廃棄物の処理技術などでは更に改良・改善を行っている。
次いでグループに分かれて、工場見学に移った。筆者の属したグループによる工程見学順に見学内容の概要を述べる。
①展示コーナー
小学生が理解出来るレベルで作成したとのことで、可動模型が多く、素人でも理解し易い配慮がなされていた。原発の発電効率は約35%であり、火力の50%強に比べと未だ改良の余地がある。原子炉は岩盤まで掘って据付けるので、岩盤の浅い海岸縁が設置場所としてどうしても多くなり、関東ローム層のような場所は適さない。様々なカットモデルが並んでいたが、モデルの例を挙げると、タービン、格納容器、リアクター、制御棒駆動、インターナルポンプ(炉水がポンプの中を回るため、5年に1回のチェックで良い)、高レベル放射能廃棄容器、などがあり、複雑な構造が理解し易かった。
②インターナルポンプ綜合試験設備
インターナルポンプの性能試験設備。脇を通過した。
③原発メンテ技術の開発とテスト施設
以下のような様々の技術開発内容の紹介を受けた。
・原子炉の実物大模型。プールは30mの深さがある。実際の使用と同じ純水を使うこともあり、そのための純水製造設備も所有している。
・放射線モニター装置。細管内の汚染を検知。
・超音波診断装置。運転中に診断可能。
・計器のオンライン状態監視技術。
・画像処理を応用した目視検査技術。画像を超高解像度化して判定する。
・水中移動ロボットによるアクセス技術。
・レーザー利用の検査、保全、補修技術。
・レーザー保全技術。水中レーザー溶接を使用。
④ナトリウムループ試験設備
高速炉は常陽、もんじゅで実績がある。600℃に加熱したナトリウムを使って多様な試験が可能な設備。ナトリウムの流量は0~1㎥/minであるが、これを10㎥/min程度までアップする計画。タンク内には、フランスから購入したナトリウムが8トンほど入っており、アルゴンを封入している。液体ナトリウムの物性は水に近いので、水での代替テストはかなりの程度可能。材質テストはこことは別の設備で実施している。
東芝の原子力技術には定評があり、長い間訪問を希望していたが、今回田井副社長のご厚意で幸いにも実現した。講演および見学は期待を裏切らない内容であった。原子力技術の深さと広がりを実感出来たばかりでなく、それらの技術開発を可能としてきた東芝の歴史的な技術開発思想やカルチャーにも触れることが出来た。
特に新しいオリジナル技術開発を可能とするために必要と田井副社長が指摘され5つの条件は、研究開発経験者には極めて合理的かつ論理的に納得出来るものであったが、それをどのような経営環境においても継続して実現することは簡単なことではなく、それを可能にしてきた技術者集団の意志の強さと、それを許容してきた経営者の度量には敬服した。
原子力発電は、資源の乏しい日本にとっては必須のエネルギー確保技術であり、またこれは世界的にも似たような傾向にある。WH社の買収により、この分野で世界のトップ企業となった東芝が、技術開発の面でもビジネスの面でも、今後も継続してリーダーシップを発揮して行く事を強く願って磯子事業所を後にした。
(文責 相馬和彦)
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航空・宇宙機器で培った技術の進化、融合を目指して
- 2009-07-13 (月)
- 異業種・独自企業研究会
と き : 2009年4月3日
訪 問 先 : 住友精密工業(株) 本社工場
講 師 : 代表取締役社長 神永 晉氏
コーディィネーター:相馬和彦氏 (元帝人(株)取締役 研究部門長)
2009年度前期「異業種・独自企業研究会」の第二回は、平成21年4月3日、尼崎市にある住友精密工業株式会社の本社工場を訪問した。住友精密工業は航空宇宙分野でランディングシステム、熱制御システム、プロペラ・油圧システムで世界のトップ企業として半世紀に渡る歴史を持ち、その技術力をベースとして広く産業や社会で利用される熱制御や油圧制御システム、更には、環境システムへの進出を果たしている。特にMEMS技術にはその揺籃期から取り組み、液晶、半導体、センサー分野への応用を実現し、新規事業として発展させたのは特筆に価する。新規事業を新技術で創出することが益々難しくなり、M&Aのような手っ取り早い手段に走る経営者が増えている昨今、新技術で新規事業を作り上げた当事者である神永晉社長から、そもそもの発想とそこに至る経緯をお聴きできるのは、貴重な示唆が得られるものと大きな期待を持って訪問した。
最初に代表取締役社長の神永晉氏より、「航空機装備品事業からMEMS事業にいたるまで」と題し、会社のルーツから今日に至るまでのコア技術の発展とそれをベースにした事業展開について講演をお聴きした。
住友精密工業の売上は2007年度連結で499億円、従業員は連結で約1,400名、国内工場を滋賀、尼崎工場、和歌山に有している。尼崎には昨年末に新工場が完成したが、更に新工場を建設中である。海外には、米国、英国、中国、台湾に子会社、合弁会社や営業所を有している。
事業のルーツは1916年、英国で入手したツェッペリン飛行船の破片を当時の住友伸銅所で分析し、ジェラルミンの試作を開始したことに遡る。1925年に航空機用プロペラの製造を開始し、1933年にはハミルトン社からのライセンスで金属プロペラの製造を始めた。1961年には住友金属工業から分離独立し、住友精密工業となった。1985年にエアバスからエンジン用の熱交換器を受注したのが海外事業の始まりとなり、1997年にボンバルディア社から航空機用脚システムを受注したのが本格的な脚システム事業の開始である。
2008年度の事業比率としては、航空宇宙用機器が37%、熱制御機器(産業用熱交換器)が29%、産業用装置(液晶用エッチング装置、オゾン発生装置)が18%、MEMS/半導体装置が16%となっている。
航空宇宙機器では、国内は防衛向けにプロペラや脚システムを、海外は民間機向けに、脚システムや空調・熱制御システムを供給している。熱制御機器では、低温工業用熱交換器(空気分離プラントや石油化学プラント向け)、LNG気化装置、汎用品熱交換器(車両用)、高温熱交換器(燃料電池、小型ガスタービン向け)などを製造している。産業用装置では、環境用のオゾン処理システム、液晶用ウエットプロセス装置、油圧機器がある。環境用途は、殺菌剤として塩素からオゾンへ変換が進むことにより需要が伸びている。MEMS/半導体装置では、シリコン深掘り装置、シリコン酸化膜犠牲層エッチング装置、ジャイロセンサー(自動車向け)などがある。 航空宇宙機器では国内と海外で事業形態が異なっている。国内では住友精密はコンポーネントを供給し、システム化は機体メーカーが行なっているのに対し、海外ではコンポーネントも供給するし、システムインテグレーターとしてシステムも供給している。このシステム化の分野が海外の主戦場となっている。また機体メーカーへのOEMは、価格競争で儲からないため、その後の補用部品で費用を回収する。補用部品の供給は20年間あるが、OEMと補用部品供給をバランスさせどうやって事業利益を出すかは容易ではない。その一方法として、航空機用熱制御機器で、ロールスロイスのリスクシェアパートナーに最近参加した。
MEMSは、シリコン深堀(構造の作成)と犠牲層エッチング(構造の可動化)技術を組み合わせ、住友精密により世界で始めて開発・製品化された。また、車両には60~100個のセンサーが使用されており、MEMSセンサーを用いることにより革新的な小型化、軽量化、低消費エネルギー化が可能となるため、普及が期待されている。MEMSの市場は世界で伸びてはいるものの、MEMSのメーカーで2007年時点での売上高100億円以上が16社もあり、1000億円を超える企業はない状態で、競争は厳しい。
住友精密がMEMSを始めたのは、機械メーカーがエレクトロニクスに近づく方法はないかと模索する中で、MEMSに目を付け、ツールから手掛けたことにある。技術のある会社を探し、1992年に英国のSTS社と総代理店契約を結んだ。STSはボッシュとの共同開発により、新しいスイッチングプロセスを1994年に特許化したが、その翌年の1995年に、住友精密はSTSを買収して子会社化した。ボッシュプロセスをnon-exclusiveでライセンスを受け、それにノッチフリープロセスなどの自社技術によるプラスアルファを行なうことによって付加価値を高め、Pegasusシリーズの開発へ繋げた。エッチングレートの向上は現在でも継続されており、最近のものは100μm/mmを超えるレベルに達している。
MEMS製造技術は半導体への展開も可能と期待している。半導体の集積度を上げるための微細化にコストの限界が見えており、それをDRIE(Deep Reactive Ion Etching)の応用で、3Dパッケージとして解決出来ないかという期待である。今後の事業展開としては、航空宇宙、熱・エネルギー、環境保護、マイクロ・ナノの事業分野で、特徴ある独自技術を横串に展開し、”niche top”を目指す方針が表明された。
次いでグループに分かれて、工場見学に移った。筆者のグループによる工程見学順に見学内容の概要を述べる。
①ショールーム
ボンバルディア社用主脚は、トータルシステムで納入。海水を利用した液化ガス気化装置では、内部がスパイラルになっていて、海水は膜状で流すなど工夫が多く見られた。
②脚の安全性テスト装置
機体の重さをつけ、回転ドラムの上に落下させて破損の有無をテストする。初回のみのテスト。
③組立と塗装工程
ホンダジェット、エアバス、ボンバルディア用などの脚の組立工程。プロペラはオーバーホール中のもので、表面のキズを手作業で除去し、4枚のダイナミックバランスを取る。新規の注文は少ない由。
④MEMS
エッチング装置製造用クリーンルームを窓から覗く。試験装置が10台ほど見え、4~5名で顧客のサンプルをテスト中。この部分は、新工場へ移設予定。
⑤第8工場
建設途中の第8工場を見学した。一部の移転は行なわれていたが、未だスペースは広く空いていて、これから移設が本格化する予定。4階の半導体製造装置工場には、24台置けるスペースがあり、年間24台から60台以上に生産量が増大可能。シラン系、塩素系ガスが使用可能。3チャンバー、4チャンバーのクラスター型プラットフォームが組み立て中。4チャンバーは台湾向けの由。1階の熱交換器工場では、熱交換器用の小径チューブ(約1,200本ある)のロウ付け工程や修理工程を見学。熱交換器には、油用(潤滑油と燃料)と空気用(エンジンコンプレッサーとRAM空気)の2種がある。2階の熱交換器の溶接工程見学。15品種で全体の80%を占める。
MEMSは技術の可能性が示唆されてから、かなり長期間に渡って具体的な事業化が少ないと指摘されて来た。最初の期待が大きかったため、失望もその分大きかったのではないかと推測される。その中で、住友精密は初期段階からMEMSに着目し、事業化の困難に直面しても他社のように途中で諦めることなく、自社技術開発を継続しながら、事業的観点から総代理店契約を結び、それを更に企業買収へと着実に実行し、事業化を実現して来た。技術開発と事業開発が二輪として連動した極めて貴重な事例であると思う。そして、その二つを支えたのは、エレクトロニクス事業に何としても近づきたいという「夢」と「志」だったのではないだろうか。3月度お訪ねした大嶋電機とは内容が異なるものの、松下幸之助氏が常々述べていた「志を立て決意することは大事だが、それ以上に大事なのはそうした志なり決意を持ち続けることである」という言葉を見事に実現した事例であることに、深く敬意を表したいと思う。
(文責 相馬和彦)
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循環と再生を促進するシステムの自己解体/下原勝憲氏
- 2009-06-06 (土)
- VIEW & OPINION
下原 勝憲 氏 同志社大学 |
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1952年04月 生れ 1978年03月 九州大学 情報工学 修士課程修了 1978年04月 日本電信電話公社 横須賀電気通信研究所 入社 1986.2 ~1987.2 米国マサチューセッツ工科大学 メディア研究所 客員研究員 1989年04月 NTT(社名変更) ヒューマンインタフェース研究所 主幹研究員 1995年02月 ATR 人間情報通信研究所 進化システム研究室室長 1996年07月 NTT ヒューマンインタフェース研究所 進化システム研究グループ グループリーダ 同 年04月 京都大学大学院 情報学研究科 システム科学専攻 客員教授 1999年01月 NTT コミュニケーション科学基礎研究所 社会情報研究部部長 2000年 工学博士(九州大学) 2001年11月 ATR 人間情報科学研究所 所長 2004年04月 ATR ネットワーク情報学研究所 所長 2006年04月〜 同志社大学工学部情報システムデザイン学科 博士課程教授
〈歴任学会役員〉 |
生物進化の仕組みをまねて,自ら成長・発達・進化するコンピュータ・システムの研究を始めて20年近くなる.
例えば,進化するプログラムとは,変化やエラーを利用してコンピュータ・プログラムが自分自身を書き換え,その構造を変え,新しい機能を自律的に創り出すことである.システム自体に自律性や創造性といった特性を持たせる可能性を探ることが目的である.
研究を開始した当初から,システムの創造性や自律性を如何に制御するかにも関心があった.
当時,一つの考えはシステムに“寿命”を持たせることであった. 即ち,幾つかの条件が成り立つとシステム自体が自らを解体していく,いわば,プログラムされたものとしての“死”のモデルであった.
不死の進化モデルと自己解体を組み込んだ進化モデルとを同一環境でシミュレーションしたところ,意外なことに自己解体を組み込んだ進化モデルが進化を加速する結果が得られた.ここではこのことを再考してみたい.
先ず、プログラム進化を例にシステム進化の方法論を以下に概説する.
文法やルールを用いてプログラムを自動生成する仕組みを用いて,プログラムが自らのコピー(言わば子孫)をつくる.その際,ルールの交換や変更・改造など変化を加える.そして、それらの変化が望ましい機能を生み出せば選択し,そうでなければ廃棄する.選択されたプログラムは自らのコピーを作るサイクルに組み込まれ,さらに変化していくことになる.一方,廃棄されたプログラムは消去され,それが占有していたメモリ空間はプログラム進化のリソースとして再利用される.
従って,一般的な進化的方法論においても解体とリソースへの還元というかたちで死が組み込まれているとも考えられる.
では、プログラムされた自己解体モデルは,一般的な進化モデルと何が違うのか?
それはシステムがシステムとして自己同一性を保持しているかどうかにある.
現時点でシステムが自己同一性を意識できるわけではないので,システム性と言い換えてもよい.一般的なモデルではシステムがその大部分を作り変えたとしても環境変化に適応しただけでシステム性は保持される.それに対し,自己解体モデルはシステム性をなくすことを意味する.
次に、その違いが自己解体モデルにおいて進化を加速した理由は何であろうか?
それはシミュレーション環境においてトータルでのリソースの有限性を前提にしたことによる.
進化は,生成をどれだけ沢山繰り返し,その中でどれだけ多くの変化を試すことができるかに依っている.若し、生成のためのリソースが無限であれば,リソースを循環させ再利用するという意味で,原理的に一般の進化モデルと自己解体モデルとの差はない.しかしリソースが有限な場合,自己保持を優先する進化モデルはリソースの循環と再利用を制限するのに対し,自己解体によりリソース還元を確実にし,生成と変化のチャンスを恒常的に提供する自己解体モデルが結果的に進化を促進したもの、と考えられる.
自然環境はいうまでもなく,社会的・経済的なリソースも有限である.有限系の中で,成長・発達・進化していくためには,システムの自己同一性の保持に固執せず,生成と変化のためのリソース還元・再利用の仕組みをうまく機能させることが重要なのかもしれない.
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金型内成形・成膜・組立システムの開発
- 2009-05-09 (土)
- 異業種・独自企業研究会
と き : 2009年3月25日
訪 問 先 : (株)大嶋電機製作所 本社工場
講 師 : 代表取締役 伊藤正幸氏
OSI UMSS開発推進室長 梅澤隆男氏
コーディネーター: 相馬和彦氏 (元帝人(株)取締役 研究部門長)
2009年度前期「異業種・独自企業研究会」の第1回は、平成21年3月25日に、株式会社大嶋電機製作所の太田本社工場を訪問した。国内におけるものづくりが、中国・インド・ベトナムなどとの市場成長性や生産コストの競合により海外へと移転されている中で、大企業ばかりでなく、中小企業も国内生産の生き残りを賭け、国際競争力のある独自の製品や技術開発を迫られているのは周知の事実である。しかし、国際競争力のある独自の製品や技術開発と言っても、その実現は簡単ではなく、成功している企業が多いとは言えない現状である。そんな中で、大嶋電機製作所は、独創的な発想により、金型内で樹脂の成型・製膜・組立までを一気通貫で完成させる技術を確立した企業として知られている。その技術成果は、第二回ものづくり日本大賞「内閣総理大臣賞」受賞の栄に浴したばかりでなく、開発の中心となった梅澤隆男氏は「現代の名工」にも認定されている。そのような独創的な発想がどのようにして生まれ、どのようにして技術確立されたのかは、技術者特に研究開発に携わる者には多大の関心事であり、大きな期待を持って訪問した。
大嶋電機製作所は、有限会社ヒューマンリンクの代表取締役田上勝俊氏(元本田技研工業株式会社常務取締役)の推薦により実現したもので、田上氏は本田技研時代から大嶋電機製作所の技術の高さに注目していた。
最初に代表取締役社長の伊藤正幸氏より、会社概況の説明をいただいた。会社は1943年に設立され、資本金は3.8億円、2007年の売上は53.3億円、従業員は184名であり、主要製品は、内装ランプ、ドアミラー、樹脂成型品(フロントグリルなど)、学童用ヘルメットなどである。1986年にはメキシコに現地生産工場を設立し、日産、スバル向けの生産を開始した。1989年にミツバの傘下に入った。顧客は、設立当初は富士重工とダイハツが中心でスタートし、その後ホンダ、次いでトヨタへも拡大したが、取引量では今でも富士重工が主となっている。
2002年に後述するOSI成型工法で「中川威雄技術奨励賞」を受けたが、2005年には梅澤隆男氏が「現代の名工」に認定され、更に2007年にはものづくり日本大賞「内閣総理大臣賞」を受賞するなど、その技術の独創性が認められた。本法の製造工程は、成形、塗装、蒸着、組立からなるが、これを金型の中で一気通貫で仕上げている。経営体制の改革として実施して来たことは、
①造りへの経営資源集中化
②生き残りのための技術開発
③人材の育成
④技術の進化適用範囲拡大
等々であるが、それは技術開発への強い想いから出たものである。具体的には、以下に列挙した。
①only one技術の確立
②中国・東南アジアへの技術・ノウハウ、そして仕事そのものの流出を止めたい
③負けない改善から勝つ改善へ
④人財の創出、人財=夢と情熱を持つ人
⑤知的財産による社員の意識向上
⑥レベルの高い協力者が不可欠
要は、「窮すれば通ず」ということであり、強い切迫感があればそこから創造性が生まれ、創造性に更に夢と情熱をプラスすれば、成果を生み出すことが可能となる。
次にOSI-UMSS開発推進室長で「現代の名工」である梅澤隆男氏より、「大嶋電機の革新的ものづくりを支える革新的生産システム」と題する講演を御願いした。
大嶋電機が保有する革新的生産システムには、①UMSSおよび②OSI-UMSSの二つがある。①は成形型内成膜システムであり、②は成形型内完成システムのことであるが、②は未だ量産化段階には到達していない。①および②の双方ともに、開発した動機(目的)は、まず品質と技術で中国に勝つこと、次いでつくりの革新で究極のコストを実現することにある。
①では金型2頭に2材を供給している。また成形工程に連動した自動検査工程「タンバル君」を組み込み、省力化を可能とした。この開発を通じて様々な成果が組織として得られたが、新しく得られたものには、製品開発への挑戦意欲およびノウハウ・オリジナル技術の知財化があった。
車両ランプへ顧客からの要望として、ゴミ、キズ、ヨゴレの減少が出され、その実現のための新しい工法として、成形、成膜後の完成品組み立てまで自動化したOSI-UMSSの開発を行なっている。性能を満たすため、成膜には蒸着ではなく、スパッタリングを採用した。金型では、成形と成膜(2チャンバー)の同時工程化を行なうことにより、マスキングが極めて綺麗に仕上がることが分かった。①は2ポジションで良いが、②は3ポジションが必要なため、量産化には未だ達していない。金型の中央で成形し、両側で成膜を行なう。これによって、従来は完成品までの製造期間に一週間掛かっていたが、②を用いると極めて短時間に製品完成が可能となる。
これからの展開については、まずブランド技術化し、次いでライセンスを含めた技術の普及などを進めて行きたい。
②の開発を開始した時に、いくつかの課題が想定されたが、それを1歩一歩解決して技術として完成させた。具体的には、下記の通りである。
①金型内に成膜装置を組み込むことが出来るか?
②ここで出来た膜は従来法による膜と同等の性能を有するか?
③開発費は誰が持つか? → 県の研究費を取得出来た。
④誰がやるのか?
⑤社内にない技術はどうするか? → 協力者が見付かった。
この経験から、開発のステップは、魅力あるテーマの発想 → 実現への挑戦(スピ
-ドある決定) → 量産化技術 → 改善・ノウハウの蓄積 → 更なる発展へ と進むのが自然でかつ理想的だと思っている。
新たなものづくりを行なおうとする場合、複数の技術を一点に集中すれば壁を貫くと思うし、何かやりたいという志が進むべき道を決めると確信している。志があれば、人との出会いが可能となり、協力者や支援者が出現する。最後は「人」だ!!!
次いでグループに分かれて、工場見学に移った。筆者のグループによる工程見学順に見学内容の概要を述べる。
①展示場
群馬県の大きな模型周囲に小石が敷き詰められていて、その小石一つ一つに社員の名前が記されており、社員の一体感の醸成に役立っている。また、ものづくり日本大賞などの賞状、固有技術の紹介パネル、サンプルなどが展示されており、顧客への会社紹介に使用されている。
②自動車用サイドランプ製造工程
OSIによる製造工程では、ランプのハウジングは一体型に設計変更した。部品の接合に接着剤は特に使用せず、樹脂を流し込むだけで接合する。OSI-UMSS工程で、金型の真空化にはそんなに時間が掛からない。成形から成膜まで60秒程度のサイクル。成型品は成形機の脇で全数自動検査を行なっている。
③インナーシグナル製造工程
OSI-UMSSで1サイクル約60秒掛かっているが、もっと短くしたい。真空ポンプの能力アップ等の対策で実現可能だろう。
④クラウン用インナーシグナル製造工程
OSI-UMSSによるが、差込プラグが斜めに入るため、ロボットアームの動きを工夫した。
⑤ランプ組立工程1
ランプ台にレンズをメルトで接着し、更にレフレクターとエクステンションを組み込む。
⑥ランプ組立工程2
メルトでなく溶着で接着後、歪を除去して製品化する工程。
⑦ランプ組立工程3
スバルのレガシー用組立工程。
⑧ドアミラー塗装工程
全自動と手塗りの工程が共存している。少量多品種は手塗りで対応。自動は4層の塗装まで可能。直行率を93%から95%に向上させたが、更に97%を目標に努力中。塗装部品の投入口は、床を水で塗らしてゴミが立たないようにしている。自動塗装機で吹きつけの回転数は80rpmと下げ、吹き付けノズルを上下動させて均一化を図っている。不良品は、塗料に含まれる塊(ブツ)が原因なので、対策を取っている。
工場見学から戻った後に質疑応答を行なった。質疑の要点のみ以下に纏めた。見学でも分かるように、製造されている製品は多品種少量生産である。そのため、機械化の導入や歩留まりの向上が課題となっている。現在は個人のスキルに頼る面が大きいが、数が出るにつれて機械化を進める計画である。塗料メーカーによって直行率に差があることが分かっており、設備に合った塗料を作って貰うことで対処しようとしている。今回紹介された革新技術の目的の一つがコストダウンだと述べたが、具体的には約30%のコストダウンを実現した。また、そもそも革新技術の発想はどのようにして思いついたかというと、OSI工法の場合は、過去これに関連した技術を徹底的に調べたことがあり、その知識が頭の中にあった。顧客からランプの話が出たときに、その知識が具体的にランプ製造と結びついて生まれた。OSI-MUSSは、他の人から示唆されて発案した。
本日は、久し振りに革新技術の発想から技術確立までリーダーであった研究者本人による講演をお聞きし、その内容が筆者の個人的体験とほとんど同じであることに共感出来た。まず独創的な発想を持ち、その実現への夢や志を持って努力すれば、組織内で具体化していき、次第に社内・社外の協力者が出現してくるのは、どこの企業・組織に於いても同じことであろう。松下幸之助氏が常々述べていた「志を立て決意することは大事だが、それ以上に大事なのはそうした志なり決意を持ち続けることである」という言葉を見事に実現していることに対し、深く敬意を表したいと思う。
パーティ式場で、更にもう一つ、魅力あるテーマ、独創的な発想そのものをどうやって生み出すかについて梅澤氏の考えを伺った。回答は、まず問題意識やこんなことをやりたいという意志を持ち、そのことを常に考えているとそれが潜在意識化する。人と話している時あるいは何かがヒントとなって、潜在意識が意識の上に浮上して課題と結びつき、これが研究テーマとなって具体化するというものであった。筆者の経験と完全に一致し、正にわが意を得た思いであった。今回の訪問では、最後まで感銘の途切れることがない、素晴らしい出会いを持つことが出来た。
(文責 相馬和彦)
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先端科学技術と伝統文化の融合を目指して
- 2009-04-10 (金)
- 異業種・独自企業研究会
と き : 2009年2月23日
訪 問 先 : 国立大学法人 京都工芸繊維大学 伝統みらい研究センター
講 師 : 教授 伝統未来研究センター長 濱田泰以 氏
コーディネーター: 相馬和彦氏 (元帝人(株)取締役 研究部門長)
2008年度前期「異業種・独自企業研究会」最終回は、平成21年2月23日に京都工業繊維大学の「伝統みらい研究センター」を訪問した。京都は日本の伝統文化の中心として、それを支える伝統技術や伝統工芸を激動の歴史の中で維持・発展させてきたことで知られている。単に伝統を維持するだけでなく、それを更に発展させ、京セラ、村田製作所、島津製作所などに代表されるようなエレクトロニクス部材やエレクトロニクス機器などの近代製品や産業を産み出して来たことでも特異の位置づけにある。そのような歴史的な発展を可能にした環境として、大学の役割と貢献が大きかったことは容易に想像される。特に清水焼や西陣織に代表される伝統的な産業においては、京都工業繊維大学は極めて大きな影響力を及ぼして来た。
本日訪問した「伝統みらい研究センター」は、そのような大学の役割を更に明確にし、伝統技術・伝統工芸の「暗黙知」を「形式知」に転換することを目的に設立された。時代の転換期を迎え、技術の伝承と時代による市場変化をどのように調和させていくかが産業界に求められている今日、伝統みらい研究センターでそのための大きな示唆が得られることを期待して訪問した。
最初に、伝統みらい研究センター長の濱田泰以京都繊維大学大学院教授による「先端科学技術と伝統文化の融合」についての講演をお聴きした。
京都工業繊維大学の組織には、教育研究プロジェクトセンターがおかれ、その中に四つの研究センターが設置されている。本年で発足4年目を迎えるが、研究センターの対象とする分野は、「伝統みらい研究センター」、「バイオマテリアル研究センター」、「ブランドデザイン教育研究センター」、「昆虫バイオメディカル研究センター」と極めて多岐に渡っている。
京都工業繊維大学は、清水焼に代表されるセラミック、西陣織に代表される繊維を基本分野として戦後発足した大学であるから、そもそも伝統技術との関係は深い。
また学部組織運営上の利点として、「生命物質科学域」といった分野をまたがる「域」を設定し、その下に各学部を置いていて、定員は学部毎ではなく域ごとに定めていることが挙げられる。学部毎の定員はなく、域内の学部間で相互に人員の融通が可能な柔軟な運営が可能となっている。また社会人を数多く受け入れており、修士・博士の半分は社会人が占めているのも大きな特徴となっている。この活動に対し、文部科学省から5年を期限とする特定科学交付金を受けていて、今年が5年目になっている。
日本人は歴史的にものづくりを通じて世界に自己を発信し、貢献してきた。ものづくりを国内に残すことは、精神的に安定し、喜びのある社会を維持することになる。伝統工芸品や伝統技術から先端産業を産み出すことで感動を与える。伝統に内在した知恵を生かし、新しいものづくりに繋げることで未来を拓くことが可能となる。「伝統みらい研究センター」を設立したのは、それを可能にするためである。
センターの人員としては、センター長のほかに専任教員1名、プロジェクト研究員15名が配置されている。大学全体のトータル研究員が300名なので、センターの研究員数は多めである。ここの特徴として、21名の特定教授の存在がある。特定教授には、千宗室(茶道)、村山明(木工、人間国宝)、山下雄治(鼓のひも)、柴田勘十郎(お弓師、21代)など、日本を代表する錚々たる伝統工芸・伝統技術の伝承者が任命されている。
この方々が有する伝統技術の暗黙知を形式知に転換することを研究テーマにしている。研究テーマを列挙すると、京弓の構造と物性の関係、鼓のひも構造と音の関係、京壁の塗り易さの理由、茶道の手前と眼球運動、豆腐を掬う金網編みの間の算出方法、旗金具組立の半田作業時の眼球運動、京菓子作りのこなしと包餡による形状との関係など、研究テーマは京都に存在する伝統技術の豊富さを反映している。
別の研究として、うるしの黒を知って使ってみるというテーマが紹介された。下出蒔絵司所との共同研究であり、うるしの塗り方差を熟練者と非熟練者でビデオ解析を行なったり、塗ったうるしの表面解析を行なったりした。うるしの表面はLorenz関数が合うことが判明した。また一回塗る毎に90度回転すれば、つやが出てくることは、複合材料の強度付与と同じことも分かった。
プラスチックの板に塗って解析したところ、「うるしの黒は誰も知らない」、「つき当った黒はイカン」、「ちょっと黄みがかった方が良い」、「変化するから良い」ことなどが分かって来た。いろいろなプラスチック素材を検討した結果、ポリカーボネート/ポリカーボネートコポリマーの組み合わせで黒に近いものが出来た。
相撲の立会い研究では、大学相撲部員の体にセンサーを着け、突き押し型、四つ型など異なる得意型を持つ部員を含め、ぶつかり稽古時の頭と肩の動きを解析した。その結果、立会い時の頭の衝突は衝撃が非常に大きいが、衝突時に頭が上に動いてインパクトを軽減していることが分かった。
人材育成プログラムでは、伝統技術の解析結果に更にプラスアルファし、新しい製品や事業を産み出せないかと試みている。老舗和菓子店の「老松」で、包餡による腰高の形状変化を経験して貰うのもその一環である。
また、生体負担軽減システムでは、伝統技術にヒントがあるのではないか、疲れない作業が可能ではないかと研究している。この結果は介護にも応用が可能と期待している。
講演の後で質疑応答が持たれたが、回答部分のみを以下に纏めた。伝統技術の修得には時間が掛かるが、暗黙知を形式知化することにより、それを縮められないかと期待している。例えば京瓦の製造職人育成には15年は必要と言われているが、それを5年に出来ないかと提案している。国の伝統工芸士は一定の市場がないと認定されない資格であるが、センターで対象としている伝統技術はそれよりも市場が小さく、この資格は認められない。そういう技術の保持者は一人親方なので、親分肌の職人が多い。高品位製品と工業製品では、市場規模に格段の差があるが、工業製品に人の暖か味が加えられないか、その知恵を伝統技術から得られないかはセンターのテーマである。うるしをプラスチック製品に塗ってその暖か味を出すことが出来たのは、この研究による成果の一つである。
講演終了後、センターの実験設備を交代で見学した。組紐技術を応用した実験器具が多く揃っていた。
①西陣組紐製造装置
伝統的な丸紐、平紐、多層紐など、伝統技術による組紐製造機が並んでいた。
②炭素繊維強化型熱可塑性樹脂用の組紐
炭素繊維強化型熱硬化性樹脂は、製造工程が複雑でかつ長くなる。熱可塑性樹脂だと製造工程は短くなる可能性があるが、そのまま合わせても炭素繊維に熱可塑性樹脂が旨く滲み込まない。そこで炭素繊維と熱可塑性樹脂繊維とをまず組紐にしておき、それを加熱成型することにより、短時間の樹脂滲みこみを検討している。
③古代の刀の下げ緒を再現するための織機
④ビーム用組紐機
工字型のビームを製造するための組紐製造機。
⑤複合材料用丸網機
複合材料(ゴルフシャフトなど)を製造するための炭素繊維、アラミドなどの丸網機。
⑥連続引き抜き成型機
熱硬化性樹脂を用いた連続引き抜き成型機、熱可塑性樹脂用は開発中。
見学後のライトパーティーは、センター1階のロビーで行なった。濱田先生のご配慮で、センターで実施している研究テーマをパネルで表示し、それを担当した研究員が説明するという如何にも大学らしい雰囲気となり、参加者のテーマに対する理解が進んだばかりでなく、研究員の皆さんとのより密接な交流が可能となった。
本日の講演および研究設備見学では、如何にも京都らしい伝統技術を大切に保持しながら、それを近代的技術に発展させたいという高い志が随所に見られた。それも単なる伝統技術の近代化ではなく、製品に人の温かさを感じさせるようにし、機能だけを追及する姿勢とは一線を画しているのは注目すべきことである。暗黙知の塊のような伝統工芸・伝統技術も、このような志を持って形式知に転換出来れば、寿命が長く、かつ一時的ではない近代技術として生まれ変わる可能性は大きいと期待される。そして、その最終目的が、精神的に安定した喜びのある社会を構築し、感動を与える製品を産み出すことにあるのは、技術や大学の枠を超えた高い精神性を感じることが出来て、まことに充実した訪問となった。
(文責 相馬和彦)
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わが心の栞(しおり)
- 2009-03-25 (水)
- 随想随感 (代表 松尾 隆)
この「わが心の栞(しおり)」は、最近の’技術開発’とか’ものづくり’、 ‘事業経営’と’マネジメント’、そして ‘今日の世相’ とか ‘私たち人間や社会’ 、又 ‘ものの本質’ というようなことについて、私の日頃の徒然の思い、私の胸に深く刻まれた金言玉句を、断片的に綴ったものである。
もともとは1982年、弊会が発足とともに発刊した弊会会報(現在休刊)の巻頭言として掲載した私の心の断片を整理、加筆したもので、2002年、弊会発足20周年記念特別出版叢書「ものづくり・科学技術創造立国 日本復活への指針」に「後書に代えて」と題して掲載した。つたない思いであるが、ご寛容をもってご笑覧いただければ幸いである。
ー わが心の栞 ー
感動 愛 希望 夢 未来 可能性
愛と夢 感動が全ての原動力
鍬を手にして夢見る人(リリエンソール;David E. Lilienthal)
悲しみも 怒りも いつか祈りにも似た夢になる
先ずは確固とした時代観と定見 そこから本質に根ざしたイマジネーションが生まれる
時代観とは 本来独自のもの
忘れてならないのは 時代を創っているのはわれわれ自身なのだ ということだ
全てを動かし変えるのは 情熱と意思 誠意 そしてモラル
言葉は大切 核心は的確な言葉を見出したとき捉えられる
生活者 それでは生活者の反意語は何ですか?
毛筋一筋 紙一重の違いが 実は天地の隔たり
全体を一つの思想 美意識で貫く
揺るぎないもの
芯と軸
徹底出来るか出来ないか そこが全ての決め手
証上に万法を顕らしめ 出路に一如を行ず(道元)
本質は 常に今 そこに顔を出している筈だ
掛け替えのない多様な伝統と固有の文化 そして歴史
伝統と個性 それは現わすものでなく 現われて来るものだ
個性と自我は異質のもの
我を忘れているとき 個性が現われる(川喜田二郎)
美と伝統は鋳型の中にない
われわれの核となるものは 各々の民族が各々の歴史の中で培い 発展させて来た そして今われわれの内にある この精神と美意識 感覚をおいて他にない
遠い記憶を呼び起こす この無性の懐かしさ 心の安らぎ 魂の震えは何処から来るのか
日本は美の中に真理を 真理の中に美を見抜く視覚を発展させて来た そのことを あなた方日本人に再び思い起こさせることは 私のような外来者の責任であると思います
日本は 明確で 完全な何ものかを樹立して来たのです それが何であるかは あなたがたご自身よりも 外国人にとってもっと容易に知ることが出来るのであります
それは紛れもなく 全人類にとって貴重なものです それは 多くの民族の中で日本だけが 単なる適応の力からではなく その内面の魂の底から生み出して来たものなのです(ラビンドラナート タゴール;Rabindranath Tagore)
技術と’もの’ の背後にある 文化固有の美意識と価値観
不規則の中に美が現れる
不純物 夾雑音といわれるものが深みを生んでいる
持ち運べる音 持ち運べない音(武満徹)
刹那に生きることを強いられた 今日の‘もの’たちの悲哀と素顔
日々変わり 今日のものは明日はない
最近のものづくりに忘れられている ‘丹精’への期待と 時が磨き上げる美しさ
和紙は 年とともに 品格と風格を増し 美しく老いていく(安達以乍牟)
歳月とともに品格と風格を増し 美しく老いていく そのような素材と製品 私たちを取り巻く世界を 再び取り戻していけないものか
ものに求められている品位 感動と充足感
ものに映る つくり手の精神と内面の魂 手先 息づかい
普遍性 経済合理性の追求が いつか切り捨て 振るい落として来たものの大きさ
技術が 経済の手段に成り下がっていないか(榮久庵憲司)?
遊び 間 空白…
地球にやさしい? 何と身の程を知らない 軽い言葉だろう… 自然に対する畏怖 畏敬の念を取り戻さないと 自然はおろか私たち人間の心が 今に取り返しのつかないことになってしまう
人間の知恵というものが もっと自然のいのちを憶い 怖れるところから生み出され もっと自然と人のいのちが輝く方向に使って行けないものか
最近よく使われる 差別化という言葉
送り手の熱い思い 確固とした志から生み出されたものでなく 目先の競争と差別化が目的で生まれて来た技術 製品がどうして人々の感動を呼び そこに携わる人々の心を結集して行くことが出来るだろうか
「いのち」あるものを感じられず 背後にそれを生み出して来た人々の熱い思い ひたむきさ 精神性 そして其処に生きて来た人々の歴史を感じられないものを生み出し 囲まれつづけると 人はいつかそれに慣れて 心を荒廃してしまう
企業の命とは 企業規模の大小 ビジネスの如何を問わず それは企業が持つ夢と精神 この企業 或いはこの組織をこうあらしめたいと願う トップの強烈な欲求 その実現への揺るぎない確固とした意思である
技術・製品・事業・企業文化というものも この初めにある企業 そして そこに携わる人々の夢とフィロソフィー 精神の結晶に他ならない
如何なる事業を経営するにも その産業について独自の定見が不可欠である 同じ産業に属すると見られる企業の間に その産業についての考え方に違いがあれば それは最も強力 かつ決定的な形で 相互の競争力として現れる傾向にある
(スローン;Alfred P. Sloan Junior / With General Mortors)
最近 何故皆んな「自分の目の黒い内に…」とばかり 考えるようになってしまったんだろう
壮大な夢 悠久への眼差し
ものづくり 経済の世界に 迎賓の心を回復すると 世界が革新的に 豊かに広がらないか…
最近 厭われる街路樹の落ち葉 子供たちの歓声
全てが明るく照らされて 何も見えなくなってしまった
求められている 人類と地球の未来に貢献出来る 豊かな価値の回復と創造
次の世代に手渡すべき松明…
(新経営研究会 代表 松尾 隆)
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