新経営研究会
キヤノンのものづくり戦略
- 2008-09-12 (金)
- イノベーションフォーラム21
と き :2008年8月21日
会 場 :森戸記念館
ご講演 :キヤノン(株) 常務取締役 本田晴久氏
コーディネーター:LCA大学院大学 副学長 森谷正規氏
「21世紀フォーラム」2008年度前期の最終回は、キヤノンの本田晴久常務取締役生産技術本部長から、キヤノンのものづくり戦略のお話をいただいた。まずは会社紹介だが、創業以来のDNAから始まった。それは「技術重視」、「進取の気象」、「人間尊重主義」の三つであり、人間尊重の中には「三自の精神」つまり、自発、自治、自覚がある。2007年の業績では、売上高が4兆4813億円、純利益が4883億円であり、利益率は10、9%になる。最近になってようやく、低収益が一般である日本企業の間に利益率が10%を超える企業がかなり現れてきたが、キヤノンはその代表格である。キヤノンは特許を非常に多く登録していることで有名だが、過去10年間の米国特許累積登録では、IBMに続いて2位である。地域別売上高では、国内は21%で8割は海外であり、まさしくグローバル企業である。
次いで、キヤノンの長期経営計画・構想の変遷についての話があったが、新しいものは「グローバル優良企業構想」であり、「全体最適の追求」と「利益優先主義への転換」が意識改革の目標として挙げられている。利益優先のための生産革新では、セル生産を広く導入してコンベアを全廃しており、それは20kmに達し、また外部倉庫の返却は15万平方mにもなっている。「設備のムダをなくす」ことを強調されたが、これは目新しいことである。工場に立派な設備を持つのは、とかく自慢になるのだが、そこにムダがないか徹底的に探し出して、設備投資額もスペースも減らしてムダをなくすように最大の努力をするのである。
また、セル生産を通して「ものづくりは人づくり」であると気づいて、「マイスター制度」を設けた。優れた技能を持つ多能工者を認定し表彰するのである。最初から最後まで自律して仕事をこなす作業者を多能工者とするのであり、セル生産に必要である。高度なカラー複写機を一人で組み立てる作業者がいて、それはマイスターのS級、最高位としている。
いま目指している開発生産革新に話が入ったが、それは「内製化と統合的ものづくり」である。キヤノンは、いま改めて内製化の拡大を目指すという。キーデバイス・キーコンポーネントを自社で開発・生産するとともに、ユニット部品や基盤実装、さらに製造装置、レンズや部品を成型する金型などの内製化を進めるのである。それは、より独創的な製品を創出することとコストダウンを両立させるためである。製造装置や金型まで、内製化の幅がとても広い。これは商品開発のスピードアップやリードタイムの短縮にもなり、内製化こそが競争力の源泉であるとする。製造装置では自動組み立て装置を開発するが、専門企業を買収しており、金型も金型メーカーを買収して、グループ企業化している。
キヤノンは、自動化生産に積極的である。御手洗富士夫会長が、日本企業の国際競争力維持の一つの道として、完全な自動化生産を挙げている。いまそのための組み立てロボットを内製化しようと自社で開発している。
「統合的ものづくり」は、二つの事例を基にして話された。一つは、トナーカートリッジである。これはキヤノンが卓上複写機の心臓部として開発した独自の部品であり、感光ドラムとトナーを含む高度な部品である。その構造と開発の経緯から話が始まったが、高度な原材料生産、自動化生産、回収・リサイクルまで統合して行っている。これが、技術で独走し、また高利益を上げている源泉であることが良く分かった。
二つ目の事例は、DOEと超精密加工技術である。DOEは、回折光学素子のことであり、超高級レンズに用いられて、レンズ性能を向上し、小型化、軽量化を可能にする。基板となるガラスレンズの間に非常に複雑な形状のプラスチックを挟むのであり、その成型の金型に、世界最高性能の超精密加工装置を用いる。光学設計、素子設計から始まって、金型と加工装置、材料、成型、さらに形状測定機まですべて自社内で技術開発し製作したのである。
国際競争がいっそう厳しくなる中で、キヤノンの内製化を基にした統合的なものづくりは、真に良い製品をコストを上げずに作って国際競争に打ち勝つ有力な方向であることが良く分かった。
(2008年9月 森谷正規)
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画期的光学用高機能樹脂ZEONEXの開発、ブレークスルーへの軌跡
- 2008-09-08 (月)
- イノベーションフォーラム21
と き :2008年7月28日
会 場 :アイビーホール青学会館
ご講演 :日本ゼオン(株) 代表取締役専務 夏梅伊男氏
コーディネーター:LCA大学院大学 副学長 森谷正規氏
21世紀フォーラム2008年度前期の第5回は、日本ゼオン代表取締役専務である夏梅伊男さんの「画期的光学用高機能樹脂ZEONEXの開発、そのブレークスルーへの軌跡」であった。ファインケミカルズとも言われて早くから大きな期待が持たれた高機能樹脂は、多くの分野で実用化が進んでいるが、その最も有力なものの一つが光学用透明材料であり、その中核がレンズである。中でも日本ゼオンが開発したZEONEXは、優れた光学特性を持ちプラスチックレンズのトップを走っていて、カメラ付き携帯電話機のレンズでの世界シェアが90%に達している。そのZEONEXのさまざまな面での独創的な開発のお話をお伺いすることができた。
ZEONEXは1991年に市販されたが、その開発は当初はアングラであり、1987年から本格化した。そのきっかけは、ある電機メーカーの研究所から次世代の記録メディアとして期待された光磁気ディスクにゼオンの透明プラスティック材料が使えないかとの問い合わせがあったことだ。光磁気ディスクには、先行していた他社製品が採用され、またこのディスク自体が伸びず、成功にはいたらなかった。だが夏梅さんは、光学透明材料に大きな可能性があることを知った。
当時は、ポリカーボネイトとメタクリル樹脂が光学用に利用されていたが、ガラスと比較して吸湿性が高い、複屈折率が高い(歪みを生じる)、耐熱性に劣るなどの問題点があった。そこで日本ゼオンは、シクロオレフィンポリマー(COP)に目を付けて開発を始めた。これは光学材料に要求される諸性能のすべてを満たす優れた特性を持っていたのだ。COPはこれまで絶縁材として研究を行っており、基本となる特許を保有していた。
夏梅さんが中心になって開発したのだが、新分野を開くためにはともかく他社に先行しなければならないとして、並のやりかたではなく、思い切ったことをいくつもやった。一つは諸性能を実現するための研究を続けるとともに、同時に開発も急いだことだ、基礎研究と製品化への開発の同期化であり、スピードを重視した。こうしてまったくの新規材料ながら、わずか3年半でZEONEXとして市販に漕ぎ着けたのである。
もう一つは、いかにして商品として成功させるかの方策を懸命に考えたことだ。ガラスに代わるプラスチック光学材料として新分野を開拓しなければならず、これまで馴染みのない顧客にいかに受け入れられるかが基本的な大問題であった。そこで、多くの顧客に早くサンプルを提供して、顧客からのさまざまな情報を得て、開発にフィードバックさせることにした。サンプルを出せば情報が競合他社に伝わる恐れがあるのだが、それは意に介せず、顧客の意向をとらえて開発に活かすことに努めたのだ。
さらに、速やかに製品を提供しなければならないと、いきなり1000トンの大型プラントを建設した。これは異例のことである。当初は小型のプラントで作り、市場が伸びるとともに生産設備を拡大するのが一般だが、それでは間に合わないとして、市場が未成熟の状態で本格的な生産に入ることを決断して、顧客に製品提供の確約をしたのである。経営陣の中ではいきなりの大型プラントに反対意見が強かったが、夏梅さんは必要性を強く主張して、建設を実現させた。
こうしてZEONEXは、短期間で商業化を開始することができたが、レンズのプラステイック化は大きな流れとなって、CD用などから需要は急速に伸びていった。さらにDVDからブルーレーザー用と広がってきて、携帯電話機用が急進して売上高はグングンと拡大していった。初期の成功ばかりではなく、いまに続く事業発展のためにも、いくつかのユニークな戦略を取ってきた。それらがまさしく独創的とも言えるものである。
その一つは、知的財産活動が主導するR&Dである。つまり、特許を生み出すためのR&Dであり、このようなニッチマーケットでは、すべてを特許で抑えて、後発の企業が参入できないように入り口を抑えるのが必須と考えたのである。
また一つは、部材メーカーであるが、デジタルの時代の展開を読んで、適用する情報機器についてのロードマップを先取りして、新たな方向を探ることである。機器メーカーは当然やることだが、部材メーカーとしてもそれに力を注ぐのだ。そして、ロードマップをもとに機器メーカーに提案マーケティングを行う。ともかく、市場のニーズを探ることに全力を注ぐのである。それは、ZEONEXの初期に必要に迫られてやって、見事に成功したので、それが習い性となっているようだ。市場からスタートするという技術開発に徹しているのが、日本ゼオンの光学用プラスティックである。
(2008年9月 森谷正規)
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日本のロボット研究、その未来の可能性
- 2008-09-05 (金)
- イノベーションフォーラム21
と き :2008年6月13日
会 場 :森戸記念館
ご講演 :早稲田大学 理工学術院 教授 高西淳夫氏
コーディネーター:LCA大学院大学 副学長 森谷正規氏
「21世紀フォーラム」2008年度前期の第4回は、「日本のロボット研究、その未来の可能性」であり、早稲田大学を訪問して教授の高西敦夫さんにお話いただき、数多くのユニークなロボットを見せていただいた。早稲田大学は、歩行ロボットの開発で著名な故加藤一郎教授以来、ロボットの研究開発に非常に大きな実績を持っているが、高西さんはいまその中心にある。
ロボットの研究開発は、10年ほど前から二足歩行の実現から始まって人間に近づけるヒューマノイド研究の分野が大きく進んでいるが、早稲田大学は2000年にヒューマノイド研究所を設立して、高西さんがいま所長として研究をリードしている。
まずは本部で高西さんの総括的なお話をいただいたが、それは日本人のロボットの受け止め方から始まった。日本では古くからカラクリ人形などが作られていて、ロボットを身近なものとして好んできた歴史があるが、さらに針塚での針供養の例を出して、針のようなごく小さなモノにも愛着を感じるのが日本人であるという説を披露して、印象的であった。
早稲田大学での研究の紹介に移ったが、ヒューマノイドとして研究に力を注いでいる一つが、“情”である。感情表出をロボットでいかに実現するか、そのモデルを構築して研究している。実物ではなく映像で見せていただいたのだが、まゆ、目、口などを動かして、喜び、怒り、驚き、悲しみ、嫌悪などの表情を表す情動表出ヒューマノイドロボットを開発していて、その顔の動きを見ることができた。このロボットは視覚、触覚、聴覚、嗅覚の四つの感覚を持っていて反応するのだが、そのオーバーな動きが面白かった。その開発目標は、心身統合メカニズムの解明である。メカニカルな動きと心理を結び付けようというものだ。
昔からの二足歩行ロボットもより高度なものを開発しているが、ホンダのASIMOとの違いが良く分かった。ASIMOを始めとして二足歩行ロボットは、膝を曲げて、腰を落として歩いている。少々、格好が悪い。だが、早稲田のWABIAN-2は、腰をあまり落とさずにスッキリと歩く。高西さんの説明で、その違いが分かったのだが、ASIMOは、歩行の安定性を保つために、膝を伸ばし切らないようにして、不測の事態に備えている。したがって、通常は膝を曲げて歩く。一方、WABIANは、腰の部分にも自由度を持たせる仕組みを組み込んでいる。したがって、膝を伸ばして歩いても安定性が保たれるのである。
研究室では、WABIAN-2に加えて2本足の人体移動ロボットを見せていただいた。人を乗せて動くロボットだが、運輸、医療、福祉、娯楽などでの利用を目指している。片足が二本で構成された前後に長い足を持っているので、二足でも安定性が大きい。凹凸のある路面、多少傾斜した路面でも歩くことができて、体重60キロの人を乗せることができる。公道での実験も行っているが、さて、いかに実用化に進めるのか。商品としては、まだ大きくて不格好である。
ロボットには、非常に多くの多彩な実用可能性があるのだが、早稲田大学は、メディカルロボットの開発にも力を注いでいて、それは東京女子医大との共同研究であり、共同で建設した新しいビルの中に研究室がある。そこも訪ねる忙しい会であったが、たまたまこの共同研究ビルの建設に力を注いだ研究者がいて、その意義の説明を受けた。広い跡地があって、早稲田大学と東京女子医科大学が共同で購入して研究設備を作ることになったのだが、それは別個のビルとして計画された。だが、共同研究であるからには、一つのビルにすべきとの強い主張が出た。しかし、文部科学省は、前例がないと渋った。それを強く説得して、建設に漕ぎ着けたという。
ここには、脳手術のためのマニピュレータ、穿刺手術用知的マニピュレータなどの手術支援ロボットなど精緻なロボットの研究開発があり、また歩行支援ロボットなど実用的なロボットの開発も行われている。どれも近い将来の実用化を目指した開発である。
ロボットの研究開発は、実に幅広いものであることが良く分かった一日であった。大学の役割は、遠い将来の実用化を目指した基礎的な研究から、特殊な分野であり企業がなかなか手を出しにくい分野など、幅広く研究開発することであり、企業は大学と組んで開発するのが有力な方向であると実感できた。
(2008年8月 森谷正規)
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最先端の脳神経科学から食を解き明かす
- 2008-09-03 (水)
- イノベーションフォーラム21
と き :2008年4月22日
会 場 :森戸記念館
ご講演 :味の素(株)ライフサイエンス研究所 上席理事 鳥居邦夫氏
コーディネーター:LCA大学院大学 副学長 森谷正規氏
「21世紀フォーラム」2008年度前期の第2回は、味の素株式会社のライフサイエンス研究所上席理事である鳥居邦夫さんから「最先端の脳神経科学から食を解き明かす」と題するお話をいただいた。鳥居さんは、このフォーラムにしばしば聴講に来られるお馴染みである。
お話は、鳥居さんの味の素の入社時から始まった。当時、味の素の成分であるグルタミン酸が、脳に悪影響を及ぼすという論が世に出て、自分はそれに反論する研究をするから採用してくれと申し出たとの面白いやりとりがまず紹介された。採用されたただちに研究した結果、マウスには影響があるが、人間にはまったくないという結論を出して、米国のFDAに認めて貰ったとのことであった。鳥居さんの話ぶりはとても威勢が良く、しばしば笑いを誘う楽しい話が、自身のエピソードとともに始まる。
話は、人類の発展の歴史から説くものであり、原人はアフリカから出て、世界に広まったが、なぜ、白人、東洋人、黒人が生まれたのか、食糧生産がいかに文明を生んだのか、産業革命がなぜ生まれたのかなどであり、それぞれに食糧が密接にからんでいることを示した。
次いで、食事についてのさまざまな話題が次々に、速射砲のように飛び出した。なかでも、高齢化の時代の重大な問題として、老齢になって食べたものの嚥下ができなくなると、胃に管で食物を入れて栄養を補っても、身体は一気に弱ってしまうという話が頭に残り、美味しく食べることの重要性を思い知らされた。
味覚と栄養については体系的な話があり、脳が食べてもいいとする情報を出すのに、味覚は深くかかわっていて、それが狂うと、食事、栄養のバランスがおかしくなって、肥満、虫歯、糖尿病、高血圧症などの病気の原因になるのであり、味覚は健康の維持にも非常に重要であると知らされた。
次いで、その味覚についての詳しい話がある。味覚の中身としてこれまで、「甘い」、「酸っぱい」、「塩辛い」、「苦い」の四つがあったが、そこに「うま味」が加わった。これは「umami」として国際的に使われ、学術用語にもなっている。日本語がそのまま外国語の一つとして使われている言葉はいくつかあるが、umamiはその一つであり、日本がいわば、うま味先進国であると言えるのだ。なお、からしなどの「辛味」は、味覚ではなく、刺激であるとのことだ。
そのうま味を育んできた日本の歴史が語られた。大化改新で税を取るようになり、それは米だが、米が取れない地域は、あわびなど乾物で税を納める。それを得た公御は、湯で戻して、野菜を煮るが、その乾物にうま味がたっぷり入っていて、美味しいのである。
やがて、「ひしお」が発達した。発酵させてつくるのだが、野菜を原料にする「くさびしお」が漬物であり、魚を原料にする「ししびしお」が調味料になり、穀物を原料にする「こくびしお」が味噌になった。
日本において早くからうま味が発達していて、それはまず貴族文化として生まれ、やがて庶民に広がったのである。
そして明治になって、池田菊苗博士が、1908年にうま味の成分としてグルタミン酸を発見する。それが味の素の出発である。今年はちょうど100周年であり、味の素は記念のプロジェクトを計画している。グルタミン酸は、味の素が積極的に世界に広げたことによって、いまでは、156カ国に広がり、年間200万トンも生産されている。
いよいよ味覚と脳の話に展開するが、舌には1万2千個の味蕾があって、味覚神経を通して脳に伝えられる。味蕾は胎児のころから生まれていて、羊水はコンソメの味であり、したがってコンソメは美味しく感じるのだそうである。
味覚、うま味と身体との関係が、豊富な実験データ、グラフで示される。粘液や膵液の分泌にうま味が深く関係している、うま味の物質がないと脳は認識できない、飽満感もうま味に深く関係している、コンソメ、ホンダシなどを摂取すると身体が暖まった感が出るが、それは基礎代謝が良くなるからであり、肥満防止に役立つなどと、興味がある話が次々に出てきた。
うま味が 健康にとって非常に重要であることが良く分かった。とくにいま重大な問題になっている肥満に深くかかわっている。
その後、意見交換、質疑応答が活発であった。面白かったのは、英国の食事は不味いという話から、国による味覚の違いに話が展開したが、味蕾の人種による違いはなく、脳での情報処理の問題であり、味に関心がないと、その面で遅れがあるのかもしれないという結論であった。
(2008年8月 森谷正規)
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住友金属の独自技術開発、鉄屋の夢
- 2008-08-25 (月)
- 異業種・独自企業研究会
と き : 2008年7月10日
訪 問 先 : 住友金属工業(株)和歌山製鉄所
講 師 : 常務執行役員 総合研究所長 外山和男 氏
コーディネーター: 相馬和彦氏 (元帝人(株)取締役 研究部門長)
「異業種・独自企業研究会」2008年度前期の最終回は、7月10日に住友金属の和歌山製鉄所を訪れた。今回はシームレス鋼管、鉄道車両用鋼材などで世界のトップ技術を有する住友金属の製造現場を見学出来るばかりでなく、建設中の高炉の内部に立入れるという滅多にない幸運にも恵まれ、大きな期待を持って訪問した。高炉は一旦運転を開始すれば、25年間は稼動を続けるため、今回は極めて得がたい貴重な体験となった。
最初に鋼管カンパニー和歌山製鉄所副所長赤羽裕氏より、和歌山製鉄所の概況説明があった。和歌山製鉄所は昭和36年に第一高炉が火入れされ、銑鋼一貫体制が確立された。その後は、第二、第三高炉が続き、昭和44年の第五高炉まで次々に増設されたが、平成2年には第四、第五の高炉2基体制となった。平成9年には新シームレスミルが稼動したが、これは世界で3本指に入る新鋭工場であった。平成14年には新製鋼工場が稼動し、粗鋼生産量が400万トンから500万トンに拡大された。和歌山工場の敷地は470万㎡あり、これに台湾海南工場の90万㎡を含めると、560万㎡に達する。
会社の創業は、昭和17年に潜水艦用パイプを製造したことに遡り、その後に小倉製鋼より高炉技術を導入して高炉に進出したのが始まりである。
次いで全員作業服に着替え、工場見学に移った。見学場所は、①高炉、②製鋼工場、③シームレス工場の三ヶ所であり、途中はバスで移動した。工場敷地は広大であるが、それでも敷地面積に制限があるため、新工場を建てる場合には、旧工場を壊した跡地を利用せざるを得ないとのことであった。
①高炉
炉自体は高さ40mであるが、付帯設備があるため、全体では100mとなる。炉の建設費は500~600億円であるが、付帯設備を含めると全部で1,600億円程度が必要である。稼動時の炉内温度は2,400℃に達し、熱風炉で空気を1,250℃に予熱して吹込むため、炉の中央部に吹込み口が30数本付けられている。炉内にコークスと鉄鉱石を積み重ねるが、8時間程度でそれが下がってくる。高炉は24時間運転であり、途中でメンテのために止めることはあるが、25年程度は稼動する。吹込み口よりも下部の炉材はカーボンレンガを使用しているが、銑鉄はカーボンで飽和しているので炉材は保つ。また炉の下部外側は、炉の鉄扉を保護するため、水冷用の太いパイプで囲まれている。破れるとガスが噴出し危険なため。この炉の最適運転条件は稼動後に探す。立ち上げには通常一ヶ月掛かり、生産量は日産8,000トンの見込み。
②製鋼工場
この製鋼工場は、1999年に500億円を投資して建設された日本最新鋭の工場である。高炉で作った銑鉄は、トーピードー形をした貨車型容器に移して製鋼工場まで運搬する。次に銑鉄を大きなナベ型容器に入れ替え、炉体800トンの転炉に移す。生石灰を添加し、1350℃で脱リンを行う。次いで脱炭炉で酸素を吹き込み、ここで銑鋼をハガネにする。消石灰を添加して同時に脱硫も行う。脱炭炉は高さ11mのレンガ張りで、世界最高速の酸素吹き込み技術を活用している。目の前の脱炭炉は真っ赤で、離れていても暑さが顔に染込むほどであった。その後真空で脱ガス、脱硫を経てハガネとなる。
③シームレスパイプミル
シームレスパイプは石油用とボイラー用とがあり、後者はステンレス製で尼崎工場で製造している。世界シェアーが80%に達するという住友金属を代表する製品の一つである。シームレスは製鋼から加工までの総合技術で作られ、過去20年儲からない時代にも、顧客の要望に応えてきたことで今日がある。製品開発には10年程度掛かるので、小型の試作プラントをR&Dが所有していたことが有利に働いた。シームレスパイプの外形は160~426mmで、年産400万トンに達する。工場の建設費は約800億円。
製造工程は、以下の通り。丸ビレットを1200℃に加熱。→ ピアサーで中心に穴を開け、中空のパイプにする。→ マンドレルミルで内径を肉厚加工。→ エキストラクト・サイザで圧延し、外径を変える。→ 焼入れ → 超音波検査。
工場では赤熱された大型のパイプが轟音を上げて走り、焼入れの水蒸気が立ち上る極めてダイナミックな様子が見学出来た。昔風に言えば、まさに男の職場という雰囲気である。
工場見学を終え一休みした後で、本日のメインである「住友金属の独自技術開発、鉄屋の夢」と題する講演を、常務執行役員・総合研究所長・カスタマーアプリケーションセンタ長の三宅貴久氏にお願いした。
鉄は世界で年に11億トン生産されているが、比強度価格がアルミ、銅合金、チタンなどに比べて安価であったこと、強度が25~400kgf/m㎡と広く、様々な用途に展開が可能であったことが鉄の普及を後押しした。2005年度時点で、世の中に備蓄として存在している鉄は12億トンあるが、スクラップ回収は3,000万トンと未だ少なく、今後増えると予想されている。
製鉄には高炉と直接還元炉とがあり、前者は製品に不純物が多いがコストは低い。後者は不純物が少ないものの、電炉を使うためにエネルギーコストが高く、中近東などエネルギーコストの安いところで好まれている。
粗鋼生産量は中国で大幅に増加しており、その影響もあって鉄鉱石の価格が、2007年対比2008年で2倍となった。また山元は大手3社の寡占のため、山元の言い値で決まるようになった。製鋼用粘結炭は2007年対比で2008年には3倍に値上げされた。
鉄鋼業も統合が進み、米国はUSスチールとニューコア、インドはミタルとタタ、欧州はリベ、韓国はPOSCOと上位16社のシェアーは26%となった。
用途は、世界的には建設用が80%と多く、12億トンに達する。日本では製造業用が50%弱と多く、そのため品質も厳しい。ミタルはR&Dに売上の0.2%しか投資していないが、国内各社は1%台を投資しており、高級品に技術差が出ている。特許数は日本大手4社で12,028件、POSCOが3,342件、アルセロールが189件、ミタルが80件、宝鋼集団167件など、日本が圧倒的に多いが、今後はノウハウとして出さない方向。
住友金属の2007年3月期の売上は17,445億円、経常2,982億円、純利1,805億円であり、事業内容は以下の通りである。
鋼板
建材
鋼管 石油、ボイラー用、原子炉用 これが儲け頭
条鋼 自動車用に特化
鉄道用 車両はシェアー100% そのためどんな注文にも応じる
鋳鍛鋼品 自動車用クランクシフト
エンジ 儲からない
エレクトロニクス 最小限
マンション
経営方針として、住友の社是である「1条.信用を重んじ、確実を旨とし、……….2条.浮利に走り、軽進すべからず」を守ってきた。事業精神として、「堅固な事業基盤」の上に「見えない資産」を磨くことを基本として来たが、「見えない資産」である人的資産、顧客資産、技術資産をどうやって見える様にするかが今後の課題である。住金らしく、強いところを強く、顧客評価No.1を目指して行きたい。
今までに注力してきた研究開発の具体例について、以下に要点を述べる。
①天然ガス採掘用 超高強度耐サワー油井管
油井管は、個々の油田の環境に適した特性を注文生産する仕組み。天然ガス田の深度が6,000~6,500メートルと深くなり、硫化水素で管にワレが起き易くなった。鋼中に存在する酸化物、硫化物、窒化物などの介在物を起点としてワレが起きることを見出し、介在物を微細化することにより、ワレを防ぐ方法を見出した。
②発電所ボイラー用 高温クリープ試験
亜臨界 → 超臨界 → 超々臨界(700℃以上、35MPa)へと技術は進歩しているが、日本はこの分野で遅れていた。数年先のことを考え、苦しくとも研究を続け、顧客へ持ち込むことを継続して来た結果、ハイアロイ管で80%のシェア-を取得した。
③ナノサイズ微粒子析出制限
造船で溶接後に鉄板の表面にひび割れが多発したが、解析の結果、溶接後に徐冷すると、粒界に結晶が析出してワレを生じることが判明した。表面のみ溶接後に水で急冷し、後は徐冷することで界面の析出を防止することが出来た。同時に評価方法も開発した。
④自動車用鋼板
2030年にリッター当たり50kmの燃費達成のため、軽量化のための工法を開発している。自動車用鋼板ハイテンの使用比率は、2004年度に50%に達し、その後も更に増加している。顧客には材料だけでなく、設計・評価・加工などを含めた使い方まで提案している。高効率クラッシュボックスでは、車体のみぞを従来のヨコに対し、タテに入れることによってクラッシュ時の効率改善が図れることを提案した。スポット溶接の強度評価では、1mm単位のサンプルを用いて評価する技術を提案した。
⑤超高速多段加工法
待ち伏せ研究として実施中。冷却方法がカギ。
こういう技術開発努力と顧客への提案により、自動車用熱間プレス鋼板で70%、鉄道用車両・車軸で100%、鉄道車軸用駆動装置で60%など、高い国内シェアーを達成した。
技術でトップを走るためには研究開発投資が必須であり、2007年は225億円を投入した。独自研究としての基礎研究に30%、事業部・現場からの依頼テーマ、応用、実用化研究に70%を振り分けている。自社研究だけでは不十分なところは、阪大や東北大との共同研究を実施している。
今まで独自技術を産み出して来た環境を見ると、プロセス研究、基盤研究、商品・利用技術研究の三者が有機的に作用してきたことがその根底にあった。商品・利用技術研究部隊は、客との窓口になると共に、他の部隊も使って技術開発を行って来た。大型の研究試験設備を研究部隊が所有していることも、顧客へ新商品サンプルを直ぐに提供出来るという大きなメリットがあった。例を挙げれば、高炉、転炉、真空溶解炉、連続鋳造機、年間圧延シミュレーター(3スタンド連続)、落錘試験、バースト試験、高度なシミュレーション技術、などであり、住金しか持っていないものも多い。
最後に地球環境への取り組みを述べる。鉄鋼生産量は、世界12.86億トンのうちで日本が12.1%を占める。高炉で4,000㎡以上の大きなものでは、日本に18基あり圧倒的に多い。発電への利用、転炉ガスの回収共に日本は100%と高い。粗鋼トン当たりのエネルギー消費量では、住金が世界でベストである。またブラジルでは、ユーカリ由来の木炭でシームレスパイプを製造している。使用するコークス量を減らすため、水素を還元剤として利用する革新プロセスも開発している。
住友金属が鉄鋼分野で技術的にNo.1の地位を占めて来た理由が、今回の訪問と三宅常務執行役員の講演で極めて明確に理解出来た。顧客へ提案出来るような独自技術に拘り、そのために必要な組織の維持と資金投入を行い、苦しい時代であっても研究開発を継続実施してきた姿勢にこそ、その原点はある。このことは研究開発者が誰でも望むことではあるが、それが実際に組織内で継続実施される例は、残念ながらそう多くはないのも現実である。今回はその原点を改めて見直す大変良い機会となり、かつ研究開発者の一人としても勇気付けられた一日となったばかりでなく、2008年度前半の掉尾を飾るに相応しい技術経営が実行されている企業を訪問することが出来た。(文責 相馬和彦)
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防衛分野と世界を舞台とする民間航空機器開発
- 2008-05-30 (金)
- 異業種・独自企業研究会
と き : 2008年5月15日
ご 講 演 : ナブテスコ(株)代表取締役社長 松本和幸氏
訪 問 先 : 同社 岐阜工場
コーディネーター: 相馬和彦氏(元帝人(株)取締役 研究部門長)
2008年度(前期)「異業種・独自企業研究会」第4回例会は、5月15日にナブテスコ岐阜工場を訪問した。ナブテスコは前身の帝人製機時代から航空機用フライト・コントローラーやアクチュエーターで国内トップメーカーであったが、ナブコと2004年に事業統合した後では、精密減速機、鉄道車両用ブレーキ、商用車エアブレーキ、建物・産業用自動ドア、プラットホームスクリーンドアなど多くの製品分野で高い市場占有率を誇っている。松本社長の講演で具体的な数値が示すような海外および国内で高い市場占有率を有する数多くの主要製品を所持していることは、ナブテスコが培ってきた高度の技術力および営業力を示している。ナブテスコはカンパニー制を取っており、今回は航空宇宙カンパニーの主力工場である岐阜工場を訪問した。
最初に岐阜工場長・理事長田信隆氏より、岐阜工場の概況説明がなされた。1944年に帝人より分離独立して帝人航空機が岩国に設立されたのが、航空機事業の開始となる。翌年帝人製機と社名変更し、1961年には垂井工場、1971年には岐阜工業を建設した。2004年のナブコとの事業統合を経て、岐阜工場は航空機事業の主力工場となっている。
宇宙航空カンパニーの従業員はほぼ600名、45,000㎡の広さがある岐阜工場に569名、米国ワシントン州のRedmondにある敷地面積10,600㎡のナブテスコエアロスペースに37名が在籍している。
民需では、Boeingのすべてのプログラム(機種)に納入している。現在開発中のプログラムは、787-3/8/9および747-8である。その他の顧客では、海外はBombardier, Cessna, Bell, Sikorsky, ACAC(China)-ARJ、国内は MHI-MRJなどがある。軍需では国内のMHI, KHI, FHI, 新明和、IHIが顧客である。開発中のものには、KHIとのP-X, C-Xがある。
主要な製品としては、フライトコントロールシステムがある。これは油圧のアクチュエーターと電気式コントローラーを組み合わせたシステムで、Boeing777などに使用されている。新明和の救難飛行艇であるUS-1A 改にも、油圧アクチュエーターが採用されている。ハイドロシステムはF-15用に使用されているが、これはライセンス技術である。戦闘機はエンジンの回転を利用して発電するが、エンジンの回転数は飛行中に大きく変動するので、トランスミッションによって一定の回転に変換する必要がある。このトランスミッションをF-15やF-2用に納入している。これ以外にも、航空機の運行に必要なランディングシステムやステアリングユニットも製造している。システムとしては、独自技術にライセンス技術を組み合わせ、部品ではなくフルシステムとして納入するようにしている。電動式アクチュエーター(EMA)は、FHIの多目的小型無人機用に開発した。
航空機用部品の開発は息が長く、基本設計から一号機の初飛行まで7年掛かる。基本設計開始後3年目で部品を受注し、開発・テストを経て5年目の末に最初の部品が納入される。安全性の評価では、飛行前のPSSA、飛行によるSSAに合格する必要がある。
安全性を確認するための技術試験は、-54~120℃の温度試験、高度試験、電磁干渉、振動、衝突テスト(鳥との)、砂塵試験(アリゾナの砂を使用)などを自社内の試験設備で実施している。
現在開発中の製品例としては、以下のものがある。
1. XP-1 flight control system first flight ‘07 9 first delivery ’09 10
2. 787HVDC rack & panel 〃 〃’08 10-12 〃 〃’09 7-9
3. 747-8flight control system 〃 〃’09 4 〃 〃’09 9
4. MRJflight control system 〃 〃’11 〃 〃‘14
現在の主要製品であるflight control systemでは、発電等の主要部品は自社生産をしているが、生産量から言えば多品種小量生産とは言えない程の多品種微量生産の領域である。加工、組み立て、検査などの通常工程に加え、メッキなどの特殊工程も必要である。アルミやアルミ合金を使用したマニフォールドやハウジングの高速高能率加工や、コントロールバルブを1μ単位でマッチングさせるための高精度加工も行っている。一部を外部調達するにしても、調達先の制限があってこれをどう克服していくかが課題となっている。
品質管理と品質保証については、規格としてJISQ9100やBoeing社の特別仕様であるD6-82479を満足させなければならないが、そのために変更管理システム、測定機器精度維持管理システム等々様々な品質管理システムを維持・管理する必要がある。また部品の修理業務の認定を得るためには、各国航空局ごとの個別認定用システムも必要となる。
次いで代表取締役社長の松本和幸氏より、「防衛分野と世界を舞台とする民間航空機器開発」と題する講演をいただいた。講演では、ナブテスコへの事業統合時の具体的な方針、統合後の事業内容とビジネス戦略、航空機分野への参入時に経験した困難などが網羅され、同じグループの帝人に勤務した筆者にとっても初めて聞く内容であり、企業としての「志」の高さに感銘を受けた。内容は多岐に渡るので、以下に要旨のみを纏めた。
ナブテスコの従業員は単体で2,200名、連結で3,884名在籍しており、連結売上(2008年3月期)は1,742億円、営業利益194億円、純利益110億円である。2003年9月に帝人製機とナブコが経営統合され、2004年10月には事業統合された。事業統合を控えた2004年1月に長期ビジョン委員会が作られ、そこで新しく発足する企業の企業理念とビジョンが討議され、統合のプラス、企業理念、約束、長期ビジョンと中期計画が早期に設定された。そこで、①年商1,000億円越えを目指すことおよびA級格付けを獲得すること、②内部競争意識を芽生えさせる、③統合相手お互いの優れた点を学ぶこと、④互いの要素技術を商品開発に展開すること、⑤一流の人財とコンサルタントの活用、などが決定され、具体的な手を打った。
反省点として気づいたことには、①人財ローテーションの活発化、②グローバル人財の育成、③発信型人財の育成、④事業整理後の新たな種蒔き、⑤床に埋まった利益に気づかせる工夫、などが挙げられる。
事業セグメント毎に海外および国内シェアーの高い製品群を有しており、これがナブテスコの強みになっている。以下に例を述べる。
精密機械セグメント; 精密減速機 ロボット関節に使用され、世界シェアーが60%。開発に3年掛かったが、5年目で収益を上げるようになった。ATC電源もシェアー60%。
輸送用機器セグメント; 鉄道ブレーキ 国内シェアー(以下省略)55%、鉄道車両用ドア開閉装置 70%。商用車用エアブレーキのウェッジチェンバー 70%、商用車用エアドライヤー 85%、船舶用エンジンリモート・コントロールシステム 55%(世界でも35%)、
航空・油圧セグメント; フライト・コントロール、アクチュエーター 50%、パワーショベル用走行ユニット 40%。
産業用セグメント; 建物・産業用自動ドア 50%、プラットフォームのスクリーンドア 95%、レトルト包装用充填包装機 85%。
ナブテスコのビジネス戦略は、まず特定優良顧客の課題を差別化技術で解決することである。このための技術としては、自社開発技術+導入技術+M&Dで対応し、優良顧客の課題を解決した後では、これを他の用途開発に活用する。その結果、他の大手企業を新規顧客として開拓するという技術基本戦略で展開している。また顧客と共に成長することを目標としており、その結果いったん販売した部品のリペアマーケット(アフターマーケット)も獲得出来、利益率が高い。
航空機ビジネスは、戦後暫く凍結期があったが、その後で防衛庁主体の事業となり、この時期に技術を育んだ。その後は航空機が民需・軍需共に大拡張時代を迎えて発展したが、更に技術革新時代となった。航空機ビジネスには大きな先行投資と長期間の回収が必要であったが、利益が出るまで航空機以外の事業が企業を支えてくれた。民需と軍需の比率は、2009年で50:50となる見込みで、その後は民需のほうが伸びるだろう。
防衛庁向けの事業は利益が低いが開発費を見てくれるので、ここで開発した技術を民需へ活用してきた。1970年に民間航空機に参入した。その時の方針として、顧客はトップを狙うこととし、BoeingとCessnaを目標とした。また製品はアクチュエーターに特化して開発した。また最初から自社営業を原則とし、商社を代理人とする安易な方法は取らなかった。その結果、10数年は赤字に苦しんだがそれに耐え、ついにBoeing777用のプライマリーフライトコントロール・アクチュエーターシステム受注に成功した。
これからの事業戦略としては、環境を重視する。市場は20年で2.5倍に拡大するだろう。またコアビジネスに集中して展開を図る。フライトコントロール・アクチュエーターシステムも油圧作動 → 油圧と電気のハイブリッドシステム → 電気作動へと進化していくので、独自技術の開発で対応する。また競合も激化するので、独自技術だけではなく、合従連衡やパートナーとの連携強化も推進する。
事業展開の点では、カンパニー制を越えた全社の技術ロードマップを作成し、中長期のテーマについては技術本部がコントロールする。また商品開発でも、機器個別ではなく、システムとして顧客から受注する方向へ持って行く。
改革と改善を継続して行くが、改革は倍半分の変化があるもの、改善は10~20%の効果があるものに分け、両者を並行して追及する。
社員へのメッセージとしては、「一流の客にパートナーとして認められる」提案が出来ることおよび「胸を張って生きれる会社」にすることを伝えている。また競争力ある創造を目指し、強さの組み合わせを行いたい。そのためには、あらゆることに「関心」を持つことが必要であり、そのためには意識して「場」を設ける工夫を行っている。
講演後に質疑応答を行った。今回はスケジュールの関係で1時間以上質疑応答に割くことが可能であったが、講演内容に刺激されて多くの質問が出され、また質問に対する懇切丁寧な回答をいただいたため、時間が足りないほど充実した時間を持つことが出来た。質疑応答のうちの一部を以下に要約する。
長期間の信頼性が要求される製品で高いシェアーを獲得出来た理由は?; 材料の品質、工作精度、工作プロセス(例えば熱処理時の炉内温度のバラツキ)、品質評価で高いレベルを達成したこと。信頼性は部品からシステム全体へと移行している。
航空機用機器はSSAなどによる認可が必要で、品質維持のために技術は保守的になり勝ち。こういう分野で革新性との両立は可能か?; 大きな効果が期待されるような技術革新を行えば、顧客は認可を取り直しても受け入れる。そういう実例はいくつかある。
航空機分野への新規参入者にも拘わらず受注出来た理由は?; 品質で優れたものを作っただけでなく、顧客との間に人間的な信頼関係を築けたこと。あそこに作らせてやろうという気を相手が持ってくれた。
事業統合のきっかけは何か?; 部長レベルでお互い話すことが多く、そこでこのままでは両社ともに立ち行かなくなるという共通認識が出来てきた。それが経営層に上がってきたので、検討が始まった。通常のトップダウンとは違う発想とプロセスだったことが、統合してから旨く融合出来た理由の一つになった可能性がある。
製品の種類が多いが、技術開発部隊はどの程度居るのか?; 航空機カンパニー600人のうちで、約100名が技術開発に従事している。少々余裕がないとの認識はあり、少しずつ増員している。数だけではなく質も課題であり、最近は有名大学出身者の優秀な人財も入社を希望するようになってきた。
人財育成はどのようにやっているか?; 社長がトップの人財育成委員会があり、特に部長や役員候補の育成を心がけている。国際的に通用する人財育成が急がれる。
質疑応答の後で工場見学を行った。最初にコントロールバルブ製造工程を見学した。バルブは、顧客ではなくナブテスコが設計する。メタルーメタルシールの精度は1μ。研磨は3回行い、最後のラッピングは手作業。ゲージの80~85%は社内で製造している。フロアーには電着CBN高速円筒研削機など研削機が数多く並んでいる。多品種微量生産のため、段取り時間が全体の7割に達するので、これを以下に短くするかが課題。B787用cold plateはアルミ合金で歪が発生し易い。これを現在改良中。B777用flaperonは一体成型で作られ、従来設計品に比べて振動で壊れ難いことが特徴であるが、これはナブテスコのアイデアで提案し採用されたとのこと。FMC(flexible manufacturing center) も採用しているが、生産数の少ないものだけでなく、多いものにも有効。その他にシリンダーとピストン加工、寸法検査、バリ取り作業工程を見学した。
次に組立工程とrepair stationを見学した。軍用と民用は使用する油が異なるため、工程を分けて組立てる。B777のflaperon検査工程見学。
完成品検査工程では、B787のcold chassis検査、アクチュエーター組立て完成試験を見学した。アクチュエーターは700~800種あるとのこと。
自動倉庫には加工治具および部品が管理されている。航空機器では30~40年に渡るアフターサービスが必要なので、部品を作りだめせずに注文を受けてから必要な治具とソフトウェアを倉庫より取り出して製造する。
熱処理工程は95%社内で対応している。顧客の品質管理要求が厳しいこと、参入当初は下請けもなかったので自社でやらざるを得なかったのが理由である。
精密測定室では、特に精度の厳しいものを対象とし、測定後に研磨が必要であれば研磨を行って精度を満たす。
今回訪問したナブテスコは、精密機器、輸送用機器、航空・油圧機器、産業用機器の分野で高い市場シェアーを有する特徴企業であり、競争力の源泉を独自技術に置いている。特に岐阜工場で製造される航空機器は、1970年に航空機器事業に参入してから、1991年にB777のプライマリーフライトコントロール・アクチュエーターシステム受注に成功するまで、実に21年の歳月を掛けている。途中の赤字時期は他の事業で会社を支えたとはいえ、これだけ長期の投資を可能にした経営者の志の高さと意思の強靭さは、現代とは異なる当時の状況を考慮しても敬服に値する。またその当時から商社に頼るという安易な道は選ばず、自社営業を行うと決定したことは、その後の発展を考えるとまさに正鵠を得た判断であった。
工場では、従来訪問した自動車メーカーや機械メーカーとはかなり異なる多品種微量生産工程を見学出来たため、製造方法やコスト管理などの面で様々な差が見られて興味深かった。
今回のナブテスコ岐阜工場訪問では、独自技術を自社開発する重要性と共に、新規事業進出決定から成功まで、経営方針の一貫性が必須であることを再認識させる貴重な経験をすることが出来た。
(文責 相馬和彦)
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日立の鉄道車両開発、国際事業展開
- 2008-05-02 (金)
- 異業種・独自企業研究会
と き : 2008年4月17日
訪 問 先 : (株)日立製作所 笠戸事業所 訪問
講 師 : 執行役常務 電機グループ長 & CEO 鈴木 學氏
コーディネーター: 相馬和彦氏(元帝人(株)取締役 研究部門長)
2008年度前期の第3回は、4月17日に日立製作所の笠戸事業所を訪問した。笠戸事業所は長年電車を、特に新幹線車両を製造してきたことで知られている。鉄道車両は陸上の運搬手段としては最大の構造物であり、かつ鉄道はその国固有の文化であるため、鉄道に乗ること自体を目的とするほどマニアが世界中におり、夢や憧れに結びついている。そのため笠戸工場の訪問は以前から計画されていたが、それが漸く実現したので大きな期待を持って訪問した。当日は生憎の雨天であったが、工場の建屋が大きく、かつ建物間の移動に配慮いただいたため、問題なく工場見学が出来た。
最初に交通システム事業部の栗原和浩事業部長より歓迎の挨拶をいただいた後、笠戸事業所の中山洋事業所長より事業所の概況説明を受けた。
笠戸事業所の敷地面積は52万㎡(約16万坪)と広大であるが、元々は1917年に日本汽船が笠戸造船所として当地に起業したのが始まりである。日本汽船は1920年には造船を廃止して蒸気機関車の製造を開始した。1921年には日立製作所の笠戸工場となり、鉄道車両の製造を開始した。1924年にはED15型電気機関車を、1963年には東海道新幹線を完成させた。鉄道以外では、1957年に化学装置、1971年にはクレーン及び輸送荷役設備、1980年には半導体製造設備の製造を開始している。現在では、半導体製造設備部門、産業プラント部門は分社化されているが、鉄道車両、産業プラント、半導体製造設備の三つが笠戸事業所を支える三本柱となっている。
事業所概況説明終了後、講演に先立ってまず日立ハイテクノロジーの半導体製造装置工場を見学した。クリーン度5,000のクリーンルーム内での組み立て作業を窓越しに見ながら、主要製品であるマイクロ波プラズマエッチング装置、絶縁膜用UHF-ECRエッチング装置、先端ゲート用UHF-ECRエッチング装置、シリコン用エッチング装置および絶縁膜用エッチング装置、ハードマスク用エッチング装置などの仕様説明を受けた。12インチのウエハーに、32nmで±1nm精度のドライエッチングが可能となっている。マイクロ波エッチング装置は、日立が最初に量産化した。
次いで新幹線の機関車先頭部分の工作工程を見学した。以前は板金加工したアルミ板を枠に貼り付けていたが、構造上の問題があったため、現在ではアルミ板からリブ一体の削り出し加工で製造している。以前は空気力学上最適な複雑な形を板金加工で打ち出していたが、熟練した板金工の後継者問題があったことも、削り出しを採用した理由である。厚みのあるアルミ板を、1,000トンの油圧プレスで曲げ加工してから削り出している。アルミ板は5000番程度の普通グレードを使用している。
その後プラント容器用のパーツ加工工程を見学した。3mmのチタンをスチールに爆着接着させて作った板を、設計図通りの曲率をもつ部品に曲げ、曲げた板を組み合わせて球形、円筒形などの容器に組み立てる。大きな板のどの部分に圧力をかけてどの位曲げたら設計図通りの部品になるかは、勘の領域であり匠の仕事となる。3000トンのプレス機を使って曲げている現場を見学する機会があったが、完成時10m直径の容器でも、部品の合わせ部分の誤差は1mm以内で、被覆チタンの厚みを越えないとのことであった。こういう匠、職人の世界が製品の精度を決めている。
次いで我々が持っていた笠戸事業所のイメージとは少々異なるエバーフラワーの現場見学を行った。事業としては異色であるが、技術は日立の得意とする真空技術を基本としており、新鮮な花の色や形をそのまま長期間保存する商品である。また雇用確保の意味もあるとのこと。花の退色は光、酸素、水分の三要素で起こるので、その中の酸素と水分を遮断すれば最低4年、事務所内のように直接光の当たりにくい場所ならば10年は退色しない。真空装置で酸素と水分を除去して密封し、窒素を封入する。保存した既成の花も販売しているが、結婚式のブーケや人生の節目での記念に貰った花を預かり、それを保存する事業も行っている。また花弁にメッセージをプリントした商品もある。
その後に車両の組立および艤装工場を見学した。ボディは軽量かつ美観からアルミ製が多く採用されており、工場訪問時にはモノレール車両が組立て中であった。アルミ車両の製造を特徴づける方法として、日立は「摩擦攪拌接合法(FSW)」を有しているが、残念ながら該工程の見学は出来なかった。FSWによって溶接された二重構造の車体を見ることは出来たが、接合部は実に綺麗に仕上がっており、FSWの実力を感じることが出来た。また艤装工場は2万5千㎡あり、仕掛車両が80台、600名が従事している。丁度新幹線のN700系および阪急電鉄の車両が艤装中であった。工程時間短縮のため、屋根、室内、車両下の三ヶ所を同時に艤装工事が出来るようになっているが、N700系の場合には部品が約2万点あり、客車の艤装に40日、機関車では60日ほどを要する。
最後に笠戸事業所の歴史を集めた歴史記念館を見学したが、鉄道ファン垂涎の歴史的な記念物が詰まっていた。
工場見学から戻った後で、電機グループ長兼CEOの鈴木學執行役常務より「車両事業への取り組み -日本が培った世界最先端技術と国際展開-」と題する講演をいただいた。
日立製作所の歴史的な変遷から事業、技術開発を含めた包括的な内容であったが、以下には要旨のみ纏めた。
日立製作所の創業は1910年に、「技術を通じて社会に貢献する」という考えの下で電気モーター事業から出発した。1917年に久原鉄工が創設され、1919年に機関車製作を始めたが、1921年には日立に吸収合併された。鉄道は英国で1825年にスチーブンソンにより発明されたが、1872年には新橋-横浜間を走っている。鉄道は日本でその後発展期に入り、蒸気機関車、ディーゼル機関車、通勤型電車などを経て、1964年には東海道新幹線が開通した。鉄道の高速化では、日本とフランスが争っている。
鉄道は炭酸ガス発生が最も少ない移動手段として開発が進んでおり、EUではその観点から鉄道を普及させようという動きになっている。日立の車両開発では、スピードと快適さを同時に向上させる技術開発を行っており、具体的な対象としては、新幹線、モノレール、A-トレインがある。
まず東海道新幹線では、0系 → 100系 → 300系 → 500系 → 700系 → N700系と進化してきた。車両の重量および最高速度は、例えば0系で970トン/220km/h、300系で710トン/270km/h、N700系で700トン/300km/hと軽量化および高速化が進歩してきた。また電力消費量は0系を100とすると、300系が73、700系が66、N700系が51と大幅な省電力化を達成している。700系ではアルミのダブルスキン構造を採用し、N700系ではカーブでの車体傾斜システムを用いているが、同時に加速時の速度アップを図って700系対比19%の省電力を達成した。先頭車両の先端部分は、トンネルに突入した時に微気圧波の発生(ドンという音)を防止出来るように工夫されている。
モノレールはドイツのアルヴェーグ社からの技術導入が始まりである。アルヴェーグ社は第二次世界大戦で敗戦後、失業した航空機技術者を活用して開発したもので、快適さと美観が特徴であった。元々は遊園地などに採用されていたが、東京モノレールでの採用以降、都市型交通手段に変わった。従って、都市開発の計画時点から参加して設計を行う。東京以外での都市型交通網としては、北九州、沖縄、重慶、シンガポール、ドバイ(‘09完成予定)で採用されている。
A-トレインは軽い、リサイクル可能、歪が少ないなど、アルミダブルスキン構造車両のコンセプトである。これを支える技術が前述のFSWによる摩擦接合であり、溶接に対比して歪が少なく、強度面での高品質を特徴としている。新幹線では100%、在来線では30%の普及率を目指している。それ以外には、モジュール艤装によって、車両の外装は30年保ち、内装のみ10~15年で変更可能とする技術も普及させたい。
世界の車両はシーメンス(独)、アルストム(仏)、ボンバルディア(加)が三強であり、これに如何に対抗して行くかがこれからの国際展開の鍵である。EUでは鉄道が見直されており、2010年には域内の国際運行が自由化されようとしている。また2020年頃には高速化の計画があり、12,500キロの新線の整備が計画されていて、日立としてはこれに食い込みたい。台湾の新幹線は、日本連合として取組みましたが、これとは別に、南側の山岳が多い路線では、日本で日立が開発した振子電車を日立単独でいれました。英国では大陸との高速鉄道連結に便利なSt.PancrasとAshford間の車両を受注し、車両を納入したところである。この線は225km/hで運行し、車両納入ばかりでなく、メンテナンス事業も併せて受注している。移動手段としての鉄道と飛行機の競争は、600~700キロが境目で、これよりも遠いと飛行機の移動が有利となるので、その辺を目安に売り込み先を検討している。
世界の鉄道インフラは約12兆円の規模がある。1/2は欧州、1/4がアジアとオセアニア、残りの1/4が米国であり、欧州の規模が大きい。その内で車両の規模は4兆円であるから、自動車に比較すると小規模である。日立は高い信頼性と環境技術を強みとしている。またハイブリッド駆動システムで炭酸ガス削減に取り組んでいる。欧州ではディーゼル車両が多いが、鉄道網の維持は国防に密接に関連していて、電気車両では非常時に弱いと考えられているためである。日立は単なる車両の供給者としてではなく、鉄道車両、運行と電力管理、機器・設備・システム、モノレール、信号、営業系システムなど鉄道の運行・維持に関するトータルシステムのインテグレーターとしてのビジネスを展開する計画である。車両の設計・製造思想では、日本は壊れたら直すため、壊れた原因を究明することを優先し、結果として技術レベルが高くなった。欧州では壊れたら換えれば良いという考え方なので、技術の面で遅れを取った。
講演後の質問で、各国の鉄道はその国固有の文化であるため、日立の技術をそれぞれの文化とどのように整合させて行くのかをお聞きしたところ、鈴木常務からは予想を超えた回答が得られた。要約すると、「欧州の鉄道は歴史上国防の基本となっている。日本では上りと下りは常に別の線路を走るものと考えられているが、欧州では戦時にはすべてが一方通行となり、同じ線路で上りと下りの区別がなくなることが前提となっている。どこかが攻め込まれた状況では、特定の都市や地方に急遽軍事物資を運搬しなければならず、ある期間はすべての列車が一方にのみ運行され、線路に上下の区別がなくなる事態となる。そうなると、戦時の混乱などにより同一線路上で上下の列車が正面衝突する可能性もあり得るので、正面衝突しても機関車の運転手を守れる設計が要求される。日本では乗客を守る設計が要求されるのとは大きな違いである。また欧州では労働組合が強いので、運転手を非常事態でも守るような要求も強い。そのため、欧州向けの機関車は衝突テストおよびシミュレーションで安全性を確認している。また日本では牽引車といえば電機機関車が主流であるが、電気は攻撃を受けた際運行が簡単に麻痺してしまう。欧州でディーゼル車が主流なのは、攻撃を受けても、電気機関車とは異なり個々の機関車は独立して走れるからである」。
ロシアの脅威を長い間身近に感じていた欧州であれば、そういう考えも納得出来ると思う一方、平和ボケした日本の日常感覚では、まったく考えたこともない話で、強い衝撃を受けた。国防を議論することばかりでなく、考えることすら悪いことだという教育や主張は、幻想の世界であることを欧州の現実から突き付けられた思いである。
次に、新幹線の正面部分に使われているアルミのリブ付削り出し板について、コスト高の可能性について質問がなされた。これについては、「今まではアルミ板を板金加工して製造してきたが、熟練の板金工が後継者難となり、その対策として削り出し工法を採用した。国内他社でも未だ板金で製造しており、部品コストの大きな部分を材料費が占めるため、削り出し工法でもそれほどのコスト高にはなっていない」とのことであった。
今回の笠戸事業所訪問では、地上で最大の運搬手段であり、その国固有の文化ともなっている鉄道車両の製造現場を見学し、世界最先端の新幹線を可能とした様々な技術を目の当たりにすることが出来た。また随所に匠の技が使われているとともに、技を伝承する後継者育成の難しさも同時に見ることが出来た。最後に、鉄道と国防について国内の常識が世界では通用しない現実を突き付けられ、今後の国の安全を考える上での重要な教訓を得るとともに強い感銘を受けた訪問となった。(文責 相馬和彦)
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ナノテク大国の課題/丸山 瑛一 氏
- 2008-05-02 (金)
- VIEW & OPINION
丸山 瑛一 氏
工学博士、理学博士
(株)日立製作所 フェロー
理化学研究所
フロンティア研究システム単量子操作研究グループ
グループ長
1957年 東京大学 教養学部卒 1959年 同 大学院卒(工学博士) 〃 (株)日立製作所 中央研究所 入社 1985年 同 社 基礎研究所 所長 1989年 同 社 理事 1991年 同 社 研究開発推進本部 技師長 1993年 同 社 退社後、技術研究組合オングストローム テクノロジ研究機構 常務理事 1999年 政策研究大学院大学 教授(現在連携教授) 〃 理化学研究所 フロンティア研究システム長 2007年 同所 特別顧問へ 〈主な著書〉 「アモルファス半導体の基礎」(共著)オーム社、 「未来への工学」(共著)コロナ社、 「アモルファスシリコン」(共著)オーム社、 「Physics and Industry」 (編著)S.Verlag、 「MOT技術経営・歴史の検証 」(共著)丸善 他 〈受賞関係〉 ○ 大河内記念生産特賞、全国発明表彰(科学技術庁長官賞)、研究功績者表彰(科学技術庁長官賞)、関東地方発明表彰、他多数受賞 ○ NEDOプロジェクト推進委員・技術審査委員、筑波大学・東京工業大学・東北大学・京都大学・大阪大学等各大学の評価委員、大学評価・学位授与機構評価委員 他。 |
ナノテクということばが広く知られるようになったのは、2000年1月にクリントン米大統領がナショナル・ナノテクノロジー・イニシャティブ(NNI)を発表して、米国の関連国家予算を大幅に増額する、と宣言してからである。
米国ではそもそも、ナノテクという概念はファインマンおよびドレクスラーによって提唱された、とする説が一般であるが、実は日本でも同時期前後に先駆的研究がいくつもなされていた。たとえば上田良二は1948年に亜鉛の超微粒子の研究を報告しているし、久保亮五は1962年に微粒子の電子物性の理論を発表している。
新技術事業団が推進したERATOの創造科学プロジェクトは1980年代の初頭から林超微粒子、青野アトムクラフトなどいくつものナノ関連プロジェクトを立ち上げ、成果をあげている。カーボンナノチューブ研究で有名な飯島澄男は林プロジェクトの上田リーダーが米国からスカウトした研究者である。
1992年、当時の工業技術院は「アトムテクノロジー」という10年間の大型プロジェクトを立ち上げ、産官学から100名規模の研究者をつくばに結集して共同研究を推進した。この基礎研究プロジェクトの代表的成果は十倉好紀の強相関物性と超巨大磁気抵抗効果の発見である。
米国のNNIは実は日本のこの動きに刺激された危機感に発したものといってよい。
それ以来、ナノテクは世界的ブームを巻き起こした。8年を経過した今、米国のナノテクは日本を凌駕したかといえば、公平にみて日本は経済的苦境を乗り越えて善戦しているといっていいだろう。
本年2月にビッグサイトで開催されたナノテック2008総合展は3日間で延べ5万人の来場者を集め、出展は海外23カ国を含む500企業・団体にのぼり、世界最大のナノテク技術展になった。日本を知らずしてナノテクを語るなかれ、の流れができたともいえる。
他方、この技術展で目についたのはヨーロッパの関心の強さと韓国・台湾などアジア諸国の台頭である。すでに半導体や液晶ディスプレイで市場を席巻しているアジア企業はナノテクでも日本のすぐ背後に迫っている。また携帯電話ではノキアをはじめとするヨーロッパが圧倒的強さを誇る。
日本のナノテクを育てたのは80年代からの産官学の継続的投資と共同研究社会の形成である。最近の政府投資は短期的成果を求めるあまり、長期的視点を欠いていることが気になる。70年代から営々と築きあげてきたナノテクのインフラを疲弊させれば、日本の優位はたちまち地に落ちるだろう。(文中敬称略)
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古代瓦に学ぶ千四百年の工人の知恵と技術
- 2008-04-10 (木)
- 異業種・独自企業研究会
と き : 2008年4月4日
ご 講 演 : (株)瓦宇工業所 代表取締役会長 小林章男氏
訪 問 先 : 瓦宇工業所 針工場
コーディネーター: 相馬和彦氏(元帝人(株)取締役 研究部門長)
2008年度(前期)「異業種・独自企業研究会」の第2回は、4月4日に瓦宇工業所の針工場を訪問し、選定保存技術保持者に指定され、日本でただ一人「鬼師」の称号を有する小林章男会長から、古代の瓦製造技術に関する知見をお聞きした。また静岡大学の志村史夫教授からは、古代瓦製造技術と現代半導体技術の関係についての研究成果も併せて伺うことが出来た。
以前の工場は奈良市内の中心部にあったが、最近郊外の針に工場移転したばかりである。新工場の稼動と蒐集した古代瓦や道具類の整理で大変ご多忙な中で、今回研究会の訪問を受け入れていただいた。古代瓦の整理と陳列はかなり済んでおり、古代瓦の陳列室を講演会場としたため、実物を目の前にしながらの講演は雰囲気満点であるばかりでなく、馴染みの薄い古代瓦について具体的な理解が得やすかった。貴重な瓦製造用の道具類については残念ながら整理が未だ済んでいなかったため、今回は拝見することが出来なかった。
講演に先立ってまず工場を見学した。乾燥工程では、成型した瓦は一週間ほど風を送って予備乾燥し、次に二週間ほど本乾燥する。予備乾燥するのは、次の本乾燥工程でひび割れするのを防ぐため。本乾燥室は焼成炉の真上に位置し、炉で暖まった空気が熱源として利用されている。乾燥された瓦は白色をしていて意外な感じがしたが、焼成炉で焼いた時にカーボンが付着して黒色に変化する。また土の組成やカーボンの有無によっても色は変化し、沖縄や東南アジアの瓦は赤茶色をしている。
瓦宇工業所では原料の土は奈良産のものを使用しているが、土置き場は未だ整備されていない。原料土は真空混練機で良く混ぜながら空気を抜き、水分量が21%になるように調整する。混練機から押し出されてきた板状の粘土を金属の刃で切断する。鎌倉時代の粘土は水分量が33%あったため柔らかく、糸で切断出来たことが瓦に残る切断面から推測されているが、どんな材質の糸を使ったのかは分かっていない。現在小林さんのところでは、鎌倉時代の焼成炉を復元し、33%の粘土から作った瓦を焼いてみようと計画している。今の水分量だと焼成時に10%程度の寸法収縮がある。
瓦の成型工程では、職人が中宮寺の獅子口瓦の成型をしていた。文化財や寺社の修理に使用される瓦の注文が入るが、修理用は一個とか二個とかの極小量注文であるため、型を起すことはせず一つ一つ手作りとなる。また瓦の欠けた部分のみの修復を依頼されることもあり、それらのサンプルが並んでいるのを見ると、非常に手間の掛かる仕事であることが理解出来た。古代瓦の複製が作れるようになるまでには、約10年の修行が必要となり、簡単なことではない。古代瓦といっても時代による差は大きく、鎌倉時代までは仕上げも大雑把で気にしていないが、室町時代からは仕上げも良くなってくる。
焼成炉はガス窯であり、生ガスを入れてカーボンを付着させる。空気が入らないように外気と遮断しているが、外気の侵入有無が窯の寿命の目安となる。昔の窯ではマツやヒノキの根をカーボン源としていた。鉄分が多いとカーボンが旨く付きにくいことがある。中国では、上部に水の貯めがある窯であれば、陶磁器ではなく瓦を焼く窯だと分かる。水は水蒸気として、窯に空気が入るのを防ぐ目的に使用した。
工場見学が終わった後に、小林会長は展示された国内最古の法興寺瓦など古代瓦を手に取り、それらの由来を説明された。また参加者は展示されている鬼瓦や軒瓦などその他の古代瓦を自由にじっくりと観察することが出来たが、外面の模様や鬼の表情などは実に多様で個性的であり、優れた古代工人の表現力を伺うことが出来た。その後で小林会長から「古代瓦に学ぶ千四百年前の工人の知恵と技術」と題する講演をいただいた。
現存する日本最古の瓦は、法興寺の1,350年前の瓦である。飛鳥時代に材木および瓦が渡来し、国内でも瓦が焼かれるようになった。当時の寺社跡からは、渡来ものと国産のもの双方が出土している。飛鳥時代、奈良時代には穴窯が使われ、その後は平窯となって鎌倉時代まで続いた。その後室町時代になって横型の窯が使われるようになった。瓦の品質は、飛鳥時代、奈良時代と時代を経るに従って向上したが、その後平安時代に低下し、鎌倉時代になって再び向上した。鎌倉時代の質向上に貢献したのが、東大寺の僧重源である。重源は軒瓦に出っ張りを作り、そこに軒の先端が引っ掛かることによって瓦が落ち難い工夫をしている。この技術はその後消えてしまった。重源は東大寺の復興に貢献した僧として著名であり、中国に三回渡航したり、帰国出来ないで九州に滞在していた中国人石工を集めて使ったり、東大寺復興の資金集めを行ったりと行動力に優れていた。室町時代には、橘三郎国重、吉重親子が瓦技術を再興している。
代々の瓦職人の家系を調べてみると、一代が25年続いている計算となり、技術が途中で絶えてしまうことも良く起こった。瓦がずり落ちることを防ぐため、瓦止めの釘を使用するが、最初は木が使用された。しかし、強度を持たせるために木の釘は太くなり、瓦に開ける穴も大きくなる。そのため、雨が漏りやすくなる。鉄は強度が大きく開ける穴は小さくて済むものの、高価であること、錆びると膨張するため、瓦を割ってしまうことがある。江戸時代には鉄の代わりに銅製の釘が使われた。
瓦の役割は屋根に漏らさないように雨を流すことであり、そのため瓦を三枚重ねる三枚重ね(三枚葺き)が採用された。三枚の瓦をタテに順にずらせ、重なった中央を一本の瓦止めで束ねたもので、こうすることにより、毛細現象で瓦の隙間を6~7センチ雨が逆に戻っても、屋根には直接雨は流れない工夫となっている。この三枚重ねは江戸時代までは同じ様式のものが流通していたが、江戸時代以降は様々な形式のものが出てきて、大名毎に異なることもあった。例えば、真ん中が凹んだ平瓦を横に敷き詰め、その隙間に筒を半分に切った形をした丸瓦を跨がせ、凹んだ部分を雨が流れるようにした工法などである。
飾り瓦には、棟飾瓦(通称鬼瓦)、軒丸瓦、軒平瓦などがあるが、棟飾瓦(通称鬼瓦)は城の鯱鉾や寺社の鴟尾として馴染みがある。飛鳥時代の飾りは蓮華文であり、鬼はかなり後になってから出てきたが、元々は招福の神が起源とされる。獣面文がどこからきたかは不明であるが、大宰府で18種類の文が見つかり、これが日本最古と思われる。鬼は鎌倉時代に、堂内に置かれていた四天王が外に出てきたものと思われる。1363年以降になってオンの字が刻まれていたのが鬼になり、当初は鬼面に仏印(字や飾り)が刻まれていた。
また近代になって瓦の使い方に混乱が見られるようになった。屋根のてっぺんの合わせ目のところに、雨の進入を防ぐために使われたのが鳥衾瓦である。鳥衾瓦と棟端瓦は機能上一体のものであったが、明治から大正期に面の丸いものが出現すると、鳥衾瓦は消失していった。また鯱瓦は元来軒の端にあったものだが、これが端から内側に下がった例も出てきた。元々城には鬼瓦は使われず、家紋が使われていたはずであったが、現在松元、松江、高知の各城には鬼瓦が使われており、江戸時代の修理の際に使われたのではないかと思われる。中国や朝鮮で鬼瓦は使用された例はない。
日本の鬼瓦は1220年頃までは型押しで作られていたが、1240年以降になると手作業で作られるようになった。
良い瓦の条件は、呼吸している瓦である。今の瓦は空隙率21%であるが、鎌倉時代の瓦は空隙率が33%ある。また土も焼き方もその土地で異なるので、その土地で作られた瓦を使用するのがベストである。例えば、暖かい地方で焼いた瓦を寒い地方で使用すると、冬季に凍害(水分の凍結による)で割れてしまう。強度を十分に持たせた水分率5%の規格瓦を東大寺の屋根瓦に使用したところ、結露を起して屋根に水漏れを起してしまった。また瓦が割れる現象があり調べたところ、良く焼けた完成瓦は割れ、半焼けの瓦は問題がなかった。原因は結露であり、良く焼けた瓦は結露を起しやすく、その結露で止め釘が錆びて膨張し、瓦を割ったことが判明した。古代瓦ではこのようなことは起きない。
次いで志村先生より、「古代瓦の製造プロセスと半導体結晶加工プロセス」について講演をいただいた。
2000年に薬師寺大講堂が落成したが、工事には73,600の屋根瓦が使われた。瓦の一枚一枚に焼かれた炉内位置の番号が振られ、それによって使用場所が決まることに対する驚きがあって古代瓦に興味を持った。古代瓦の製造法を調べてみると、鎌倉時代の柔らかい粘土から作られた瓦では、ワイヤーが粘土の切断に使用されていることが分かった。
半導体ではシリコン結晶インゴットの直径が増大したため、切断刃の撓み、削り屑のムダが問題となってきた。これに対応するため、切断に使用する刃が外周刃→内周刃→バンドソー、マルチバンドソー、マルチワイヤーソーへと進化した。40センチのインゴットでは、マルチワイアーソーによる切断方法が採用されたが、この方法は古代瓦で使用されていた切断方法と同一であった。
質疑応答では、古代瓦の製造方法についての質問が出された。平窯とダルマ窯では冷却速度が違い、ダルマ窯では短時間となる。そのため、生産性や品質に差が出る。平窯では2段程度しか積めないが、ダルマ窯では4段は積める。4段に積まれた瓦で、下部の2段は良く火が回って良品として使用出来るが、上部の2段は不良品としてハネられる。しかし、不良品も捨てられるわけではない。寺社や城には、付帯倉庫など品質が低く寿命が短い瓦でも問題ない建物があるので、不良品なりに使い道があり、全部が使用可能である。
瓦製造の責任者は、瓦長、瓦大工、瓦師などと呼ばれてきた。小林さんは、文科省の指定で国内ただ一人の鬼師と呼ばれている。元々の日本の瓦は一枚一枚がそれぞれ右や左に捩れている。それらを組み合わせて全体を平らにし、かつ瓦がずり落ちないように葺くのが葺き師である。現代の瓦は大量生産で全部が平らに作られているので、こういう技能を持った職人はいなくなってしまった。日本の屋根瓦は、全体を見るとピシッと綺麗に揃っているが、中国や韓国の屋根は歪になっているとのコメントが参加者から出されたが、これを裏付けている。
古代の職人がその土地の土や気候を知って、それに合わせたもの作りをした結果、1400年経っても使用に耐える瓦を作り出してきたことは、まさに先人の知恵であり、現代に生きる我々にとっても学ぶことが多い。それこそ志村先生のご指摘通り、「温故知新」である。古いから良いということではなく、良いものだけが結果として現代に生き残り、「古きもの」として存在していることを考えると、様々な現代技術社会の矛盾が噴出している今こそ、「古きもの」の存在意義に立ち返るべきではないかと思われてならない。(文責 相馬和彦)
クレハが挑む世界オンリーワンの技術開発
- 2008-03-25 (火)
- 異業種・独自企業研究会
と き : 2008年2月27日
訪 問 先 : (株)クレハ いわき事業所 訪問
講 師 : 特別顧問 加治久継氏
取締役専務執行役員 重田昌友氏
コーディネーター: 相馬和彦氏(元帝人(株)取締役 研究部門長)
平成20年度の第一回は、2月27日にクレハの主力工場であるいわき事業所を訪問した。歴史的に技術導入が多かった国内化学企業の中では、クレハは独自技術にこだわって自社技術開発を行い、継続的に実績を挙げてきたことで知られている。今回の訪問によって、ものづくりの根源である技術開発につき、多大の示唆が得られることが期待された。
いわき事業所は1934年に前身の昭和人絹が創業を開始して以来、1944年に呉羽化学工業に変わってから現在に至るまで、豊富な工業用水と面積112万平米という広大な敷地に恵まれ、ずっと主力工場として位置付けられて来た。いわき事業所は化学工業で通常見られる臨海工業地帯にはなく、港湾としては近くの小名浜港を利用している。
現在社名は株式会社クレハと改めていて、高機能材、化学品、医薬品、包装材、家庭用品を中心とした2006年度の売上が単体で(括弧内は連結)857億円(1,463億円)、経常利益が73億円(117億円)、純利益が39億円(58億円)である。また従業員は単体で1,303名、連結で3,749名(2007年3月31日現在)が在籍している。加工品の製造工場として、国内では小美玉市、加古川市、かすみがうら市など、海外では米国、オランダ、中国などに拠点を有している。
最初に会社紹介のビデオを見た。塩の電気分解で水素と塩素を製造し、この塩素と塩化ビニルを反応させて塩化ビニリデンを合成し、家庭でも広く使用されている包装用ラップフィルム(クレラップ)やソーセージなどの食品包装用フィルムが製造される。ポリフェニレンサルファイド樹脂(PPS)は、パソコンや携帯用電気部品に使用されている。またピッチから炭素繊維や球状活性炭を開発し、後者は浄水・廃水処理やガス吸着・溶剤回収に使用されている。透明で導電性を付与する技術を開発し、これを利用した静電製樹脂(バイヨン)を販売している。農薬事業を発展させ、農業資材として育苗用の培土も開発した。医薬品としては、悪性腫瘍治療剤としてサルノコシカケから抽出したクレスチンを販売しているが、球状活性炭技術を活用して慢性腎不全の治療に利用している。
これらの技術開発を担って来た研究所としては、総合研究所をいわき市に、生物医薬研究所を東京に、加工商品研究所を小美玉市に有している。
ビデオ上映後に「クレハが挑む世界オンリーワンの技術開発」について、加治久継特別顧問(前副社長CTO)および重田昌友取締役専務執行役員、技術・研究本部長のお二人より講演をいただいた。
最初の加治特別顧問の講演は、「技術立社化学企業のRD&Mとクレハ熱分解技術」と題し、クレハが技術立社を目指した経緯を含め、独自技術である熱分解技術を開発した経験が説明された。演題でRD&Mと題したのは、クレハにおける20世紀型技術開発が円熟期を迎え、単に従来のようなR&D主導では研究開発の成功確立が低くなるとの認識から、R&DにM(マネジメントとマーケティング)をプラスした21世紀型にするべしという考えから技術経営を行っていることを表している。
企業文化を決定する理由には、その企業が経験した何らかの原体験を契機とすることが多い。原体験は経営の危機であったり、社会変革を契機としたりとそれぞれ固有のものである。クレハの場合は、かつて塩化ビニリデン樹脂製造技術の導入を企ててそれが失敗に終わったことを契機としている。この失敗から、技術は自社開発で行うべきことを痛感し、それ以後は自社技術による技術立社を経営方針としてきた。技術立社を実現するにはそのための人材育成が鍵になると判断し、海外留学制度、社内論文制度、大学との連携による人材確保などの手を打ってきた。
クレハの多様な事業は、当初は電気分解で製造される塩素の利用として展開され、まず塩ビの製造、次いで塩化ビニリデン製造へ、さらに原料であるエチレンを製造するための原油分解プロセス開発へと進み、そこから副生するピッチを利用した炭素繊維やアスファルト分解技術へと発展した。そこへ医薬品や農薬など独自性技術が更に付加された。
技術立社を支えるための技術開発をどう行うかは、研究・技術開発を統括していた加治副社長(当時)の最大の関心事であった。今までのクレハの技術開発は、研究所の自由な発想を重視し、そこから産まれたプロダクトアウトをやってきた。そのため、個々の技術や製品にシナジー効果が少なく、また唯我独尊になり勝ちなNIH症候(Not Invented Here)も見受けられた。その結果、事業成功確立は低いと言わざるを得なかった。それを戦略的スペシャリティ会社へ変え、ニッチでグローバルを目指すことに方針変更を行った。
ここで意思決定のツールに使用したのが、テンプレート方式であるMIメソッドである。この手法はブーズ・アレン・ハミルトン社が開発したもので、クレハにおける全体像を7つのユニットと3つのゲートから見て20個の主要テーマを選び出し、研究と営業が一緒になって約3ヶ月掛けた検討を行った。その結果、
①言葉の共通化、立案能力アップ、
②コミットメントの定着、
③リーダーの責任感、
④R&Dは投資だという意識、などが定着した。
テンプレート方式を実施する際には、事業戦略に基づく研究開発を目指すことで、研究者に事業を意識させ、会社を事業指向へ向けさせることを目的とした。またマッピングによる強みの認識を行うことで、今後の集中事業は包装材ではバリア、機能材では電気特性、医薬では新薬とアライアンス、現製品では用途・市場の拡大を行う必要性が明らかとなり、その技術開発を研究所で対応することになった。
この作業を行った後の研究開発の資源配分は、基礎に20%、新製品開発に50%、現製品の改良・改善に30%としており、基礎の20%にはMIメソッドは適用せず、自由な発想を重視している。また知的財産戦略では、重点領域では徹底的な権利化を行い、そうでない分野は公知化させるというメリハリがつくようになった。
従来塩ビはナフサの熱分解で得られるアセチレンとエチレン1:1の混合物からエチレンを分離し、エチレンに塩素を反応させて二塩化エチレンを製造し、これを熱分解して得られていた。この熱分解で得られる副生成物である塩化水素を次いでアセチレンと反応させると塩ビが得られるので、結果的にはナフサと塩素が原料としてあれば良い。このナフサの代替に原油そのものを原料とするのが原油分解法である。当時石油の埋蔵量が問題となり、ナフサの供給量にも懸念が浮上したため、ナフサの代わりに原油を用いようという考えが出てきた。
原油分解で得られる主製品はアセチレンとエチレンであり、これは従来のナフサ分解と同様に利用可能である。原油分解がナフサ分解と異なる最大の特徴は、重質成分から成るアスファルトが大量に生成しこれの処理が必要となることである。クレハの原油分解技術の特徴は、分解の熱源として2000度Cのスチームを利用したことである。原油分解プロセスを開発したことにより、この技術はアスファルト処理技術へと発展し、クレハにおける炭素製品事業を産み出すことになった。
アスファルト処理技術には生成物である分解油、ピッチおよび分解ガスの処理と利用技術が必要となるためクレハ一社では困難と判断し、アラビア石油、冨士石油、住友金属の三社との共同開発を実施した。アラビア石油と冨士石油は、分解油の脱硫および既存製油工程への組み込み技術、住友金属はピッチのコークスバインダーへの利用技術、クレハは分解ガスの脱硫と自消技術を担当した。結果的にはこの共同開発体制が有効に働いた。
アスファルト処理には2000度Cに加熱したスチームを熱源に利用したが、従来スチームを2000度Cまで加熱した工業例はなく、従来は1500度Cが最高であった。ジルコニア、アルミナ、ムライトの蓄熱層をバーナーで加熱し、そこにスチームを通して2000度Cに加熱する方法を採用した。当初は実績のある1500度から2000度まで500度上げれば良いと簡単に思っていたが、いざ研究を開始してみると予想とは全く異なり、2000度のスチーム特性はそれまでの予想を超えるものであった。2000度Cになるとスチームの比熱が急激に高くなるため、この特性が分解に有利に働き、熱分解は1/100~1/1000秒という短時間で終了する。ただ高温のスチームが通る切り替えバルブには苦労した。
この技術開発では4つのブレークスルーがあった。
①スケールアップの大きさ。ラボ段階からパイロットへのスケールアップは400倍。
②反応形式と反応時間分布のバランス。完全混合形式とバッチ式の選択によるピッチ品質の保持を検討した結果、セミバッチ方式でピッチ品質の良いものが得られた。
③長期安定運転。袖ヶ浦プラントで実用化。
この技術開発を通じて全員が「燃える」という得がたい体験をしたが、その理由を列挙すれば、
①天下の役に立つ技術開発をしているという自負が持てた。現在も日本、中国で稼動中。
②日程が決まっており、遅れが許されない状況にあった。
③リーダーが確固たる強い意志を持っていた。
④参加者の殆どが20代の若さであった。
ということになる。
次に「オンリーワン技術と研究開発」と題した講演が、重田取締役専務執行役員、技術・研究本部長よりなされた。時間的制約から前期加治特別顧問の講演と重複する部分を割愛したため、内容はポリグリコール酸と水処理膜の2テーマに限られた。
ポリグリコール酸(PGA)は従来手術用縫合糸に用いられていたが、生成する水による分解があったため収率は一桁台と低く高価であった。クレハでは大幅な収率向上によって画期的なコストダウンに成功し、当初はいわき事業所内に100T/Yのパイロットを運転したが、その際にグリコール酸はDuPontより供給を受けた。ポリマーそのものの特性が良好であったため注目され、原料を有するDuPont社のWest Virginia州Charleston工場内に総工費1億ドルで年産4,000トン規模のプラントを建設中である。特にガスバリア性、生分解性、高強度特性に優れ、ガスバリアー性は樹脂ではトップクラスであり、生分解速度はポリ乳酸の10倍あり、また高強度・高弾性である。このテーマはずっと以前から社内で関心を持たれ、世代を超えてコツコツと研究が引き継がれて継続された結果、今日になって花開いた。
用途としてはガスバリアー性を生かしたビール用のPETボトルがある。PET/PGA/PETの三層構造で、ボトルを回収した後アルカリ洗浄によってPGAは除去され、PETの単独回収が可能となる。
最近の新製品としては、ポリフッ化ビニリデンを用いた水処理膜を開発し、現在事業化を準備している。
講演で具体的に示されたような自社技術開発の方針をメーカーとして立てること自体はそれほど難しいことではないが、実際それを長期に渡って中断することなく機能させるのは極めて困難なことであり、それが益々困難な環境になりつつある。クレハではどのような企業文化や仕掛けがそれを可能にして来たのかに大きな関心が持たれた。この点を質問したところ、塩化ビニリデンの技術導入失敗経験があってから技術は自分で作るという風土が産まれたこと、そのため玉石混交ではあるが研究テーマのアイデアは常に出てくること、研究が困難な局面に出会うと誰かが助けに出てくること、世代が代わっても前の世代で実現出来なかったアイデアを引き続いて検討しようとする次の世代があることなど、極めてクレハ独自の企業文化が引き継がれてきたことが伺えた。PGAの場合でも、最初に関心を持った研究者から数えて数代は継続して検討が続けられたとのことであった。また最近の傾向として、営業、生産、研究開発を含めて短期の実績で人事評価するのが流行であるが、クレハでの人事評価では成果主義は取らないとのことで、技術立社の精神が企業の制度に浸透していることが印象に残った。。
講演終了後、バスにて工場内を回った後、安全教育施設にて粉塵爆発実験を見学した。クレハは地域との交流を重視し、工場には年間3,000人程度の見学者が来訪し、小学生や農民も含まれるとのことであった。
今回のクレハ訪問では、ものづくり企業の根源たる技術開発が研究開発者を生き生きと燃える集団に変える具体例をお聞きし、その基本となる技術経営が首尾一貫して機能していることを知り、ものづくりに携わる者としては強い感銘を受けた。机上の空論ではないまさに生きた技術経営の好例である。(文責 相馬和彦)
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