新時代の幕開けを先導したご本人と、その遺業に触れる

語り継ぐ経営・開発小史

この会の意図するところは、確固たる定見とヴィジョン、意思の下に、かつて直面した経営の危機を克服し、今日の基を築かれた革新的経営者、或いは、幾多の難関を乗り越えて、遂に未知・未踏の領域を切り開き、世界の先行指標となる独創技術・画期的製品を生み出された独創的開発者ご本人を、3~6ヶ月にわたって、月例会を原則にお囲みし、この方々ご自身の語り口を通して、その掛け替えのないご体験を語り継いで戴こうとするものです。

この方々のご経験は、そのご本人の内だけに、あるいはその企業や組織の内だけに埋もらせておくには余りに惜しい、私たちにとって大切な何ものかを埋めてくれる、貴重で普遍的な教訓を秘めています。それは、私たち人類の共有の資産ともいうべきものです。

そして、それは、いわゆる経営書や開発の手引書の類などからは計り知れない、ずっしりとした重みと感動を以って、私たちに経営とは何なのか、独創的研究・開発とは本来如何なるものでるのか、もう一度原点に立ち返って深く考えさせる大きな力を持っています。そして、これからの新しい時代を切り開いていこうとしている私たちにとって、掛け替えのない指針と希望、勇気を与えてくれる力に充ちています。 皆様方のご参加を願ってやみません。


運 営

  • 毎回月例会、午後1時~4時半を原則に、お一人の方を3~6ヶ月お囲みします。
  • 講師・メンバーが親しく膝を接して歓談・交流し合う機会を最重視しています


これまで(20年間)の代表的事例

『ホンダと共に30年』西田通弘氏 本田技研工業(株)1982年11月~4月

  • 本田・藤沢の発想と哲学
    夢と若さ、激しい挑戦意欲
    世界的視野と未来志向
    徹底した競争原理
    徹底した現場主義
    人間中心の企業経営
  • 本田宗一郎の「ものをつくる思想」、
    藤沢武雄の「市場を見る目」
  • 本田・藤沢という二つの異質の個性と見事な融合
  • 企業拡大の原動力となった
    「白いタンクに赤いエンジン」F型カブの誕生と成功
  • 本田・藤沢勇退後の新体制
  • ホンダが求めた組織と経営システム
    ホンダの組織・人間に対する基本理念
    能力開発と機会開発
    組織活性化3つのポイント
    如何にして創造的経営者を育てるか
  • ホンダが直面した経営危機、経営の節目
    あと数分で不渡り、完全にお手上げ寸前
    大いなる機会
    販売体制の立ち遅れ
    四輪に出る
    海外市場へ
    自信過剰が招いたベルギーでの失敗
    アメリカホンダの危機
    N360の開発と独自の販売網の構築へ
    F1レースに優勝
    欠陥車騒動・公害問題・ニクソンショックの三重苦
    本田・藤沢の勇退、オイルショック
    社会的責任への対応
    (ハードだけでなく、ソフトを持った商品へ)
    日米貿易摩擦への対応


『幸之助氏と夢と苦労を分かち合った50年』高橋荒太郎氏 松下電器産業(株)顧問 1983年12月~5月

  • 幸之助氏との出合い
  • 戦後松下の経営危機
  • 経営再建
  • 海外経営、国際化と独自性
  • 理想的経営の実験会社・九州松下の設立
  • 家電不況とオイルショック、
    円高を迎えて
  • 松下と共に歩んだ50年



『日本ビクターの再起』松野幸吉氏 日本ビクター(株)会長 1984年1月~4月

  • 松下電器から日本ビクターへ
  • 求められていた意識改革と体質改善
  • 社運を懸けたVHSの開発と事業化
  • 人と人の心が生み出した記念碑VHS
  • 新しい時代への経営改革
  • 後継者へのバトンタッチ
  • 再起を終って


『イの字が映った』 高柳健次郎氏 日本ビクター(株)顧問 1986年3月~8月

  • 電子式テレビ研究に馳せた夢
  • 今から思うと大発明!今日の撮像管の
    基本原理を発明
  • 撮像管試作で挫折
  • 『イの字』が映った!
  • 第2次世界大戦と研究の中断
  • 戦後テレビの再出発と挫折
  • 素晴しき映像への尽きぬ夢




『デジタルオーディオに懸けた夢』中島平太郎氏 アイワ(株)社長 1989年3月~8月

  • 開発の初期
  • 世界初のデジタル録音機第1号の完成
  • 開発研究の中止、技術移転へ
  • 世界最初の商品化
  • NHKからソニーへ
  • デジタルオーディオの研究開発再開
  • カラヤンとの出会い
  • CD開発と商品化
  • フィリップス社との熾烈な
    技術の戦い、共同開発へ
  • 将来に馳せる夢



『DATSUN、Z-CARと共に』片山 豊氏 元米国日産 社長 2006年8月~10月

  • 生い立ち
  • アメリカ遊学
  • 日産自動車に入社
  • 社長 鮎川義介の自動車感
  • 総務部 宣伝課誕生
    -宣伝の重要性を感得
  • 明るい出発 → 暗い出発
  • 太平洋戦争始る
  • ダットサン生産復活5万台
  • かつて経験したことのない
    自由販売競争が始まった
  • 日産大争議
  • 全日本自動車ショウ誕生
  • 戦後始めてのスポーツカー
    DC 3 DATSUN製作
  • アメリカへ
  • LOS ANGELSに
    日産アメリカ販売会社設立
  • 絶壁を登る全く複雑な思い!
    コンナ筈ではなかった!
  • アメリカでの自動車販売の
    急所を握った!!
  • スポーツカーは生き物
  • アメリカ東西の
    販売店をLAに統合
  • Zカーの投入
  • ブランド
  • アイデンティティー
  • ゴーン氏との出会い
  • Zカーの復活
  • 人を感動させる車
  • 私の夢
  • LOVE CARS,
    LOVE PEOPLE,LOVE LIFE


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