第1章

世界的に〝不可能〟とされていた未踏破技術

サチコン撮像管の開発

(株)日立製作所 中央研究所 主管研究員 工学博士、理学博士 丸山瑛一氏


丸山瑛一氏
サチコンのプロフィール

サチコン撮像管の現況

撮像管の動作

サチコンの基本構造


サチコン撮像管の開発小史

「サチコン」とは何であったか

若い研究者のために

不本意ながらアーセコンの研究

プランビコンの偉大さと名声

RCAセレニコンの挫折

除けない、わずか100nmのセレン薄膜

サチコン撮像管

原因不明の焼付き現象

猛然と乏しい設備で実験開始

セレニコンが辿ったと同じ航路

ベル研がシリコン撮像管を発表

セレンに賭ける

セレンが共同研究の主役の座に

アモルファス半導体の当時のレベル

勘と経験だけが頼り

ついに痛烈な失敗の末の基本特許

商品化で障壁となった耐熱性

二つの重要な技術の確立

工場移管で何かが狂った、最大の危機

霧のように広がる困惑と失望

作業のはかどらぬ不純物の分析

不注意でセレンの最良ロットを失う

深刻、度を深めていた外部情勢

NHKが単独で新聞発表

背水の陣

賭け/異例のプロジエクト

ある特定量の微量ヨード

サチコンを救った一枚のグラフ

長く厳しい信頼性との闘い

商品としてのサチコンヘ…

サチコンを支えた人々と熱意

RCAに技術供与

研究・開発とは…


開発を振り返って

サチコンの特許

技術開発のパターン

サチコン開発の成功要


Q&A

当時の状況

セレンとサチコン

シリコン・ビジコンの失敗の原因

サチコンの一番の特徴

開発段階から工場移管への状況はどうであったか

装置開発など、関連技術の開発はどうしたか

開発過程でデッドロックにあった時、部下をどう説得する

うまく進展しない研究で、ストップされないためにどうする

材料研究の進め方で重要なことはどんなことか


補遺と後日談

第2章

もぐり研究から出発した

世界初 日本語ワードプロセッサーの開発

(株)東芝 総合研究所 情報システム研究所長 工学博士  森 健一氏


はじめに

森 健一氏
世界初 自由手書き郵便番号自動読取り装置の開発の軌跡 

「文字読取り」の“もぐり研究”

PRの格好のチャンス

郵便番号自動読み取り装置へ進展

   ♢制限付手書き文字自動読取り装置の開発
   ♢土光社長が推進してくれた 自由手書き郵便番号自動読取り装置の開発

墨俣城方式で挑んだ開発体制

遂に成った 世界初自由手書き郵便番号自動読取り装置の開発


世界初 日本語ワードプロセッサーの開発の軌跡

機械翻訳研究のきっかけ

ゼロから始まった人材の育成と確保

アンダー・ザ・テーブル研究とは

「オン」と「アンダー」の明確な区分

シミュレーション実験による日本語ワードプロセッシング

同音異義語の処理が最大の課題

全て手づくりしなければならなかった日本語ワープロの必要構成要素

   ♢漢字ドットパータン
   ♢文字表示用ブラウン管の開発

日本語ワードプロセッサー初期モデル
(左はプリンター)の前に立つ森健一氏
   ♢小型漢字プリンターの開発

貢献限度レベルを常に考えた開発が不可

学習機能を取り入れ、ブレークスルーを達成

ミニコンを使った初の日本語ワードプロセッサー

誰でも使えるワープロへ

“死の谷”に遭遇! そして事業部長の君子の豹変

さらに追求した使いやすさ

販売戦略 - ヤマハ音楽教室方式で行こ

日本語ワープロへの反響

音声ワープロへの更なる挑戦


技術者教育についてのある考察

ある男が急に“ひつくり返る”

仕事への姿勢が急に変るとき

病跡学の教えるところ

ニュートンの転換のきっかけ

ショック療法の適用と使命感の醸成

アンダー・ザ・テーブルの合法化


Q&A

人の成長・育成と開発のタイミングをどう調整を取って進めるか

アンダー・ザ・テーブルの研究開発の実際

開発研究が行き詰まる際の原因は何か

日本語ワードプロセッサーが持つ特許

開発研究が失敗、又は行き詰まった際の対処はどうしているか


今、振り返って

第3章

世界初 フルカラー・プラズマディスプレー開発への夢と苦闘

富士通㈱ フェロー 工学博士 篠田 傳氏


篠田 傳氏
カラー化に13年、モノクロからでは24年の長い歴史

プラズマ・ディスプレーとの出会い

プラズマディスプレーの初期

カラー・プラズマテレビの基本特許、関連重要特許の取得

カラー・プラズマディスプレー成功までの足取り

夢を見つけるには、長い年月が必要

世界中が断念したカラーPDP

面放電で難問解決

最初のパネルに映し出された「愛」の文字


肝臓病で倒れる

焦燥と不安

明石公園のPDPストーン

病床で生まれた三電極のアイディア

Shinoda Plasma Co., Ltd.008(5号機)

「血液健康法」に頼るしかない

実感した人間の自然治癒力


プラズマディスプレー研究再開

夢と酒で釣って、内緒で試作をしてもらう

魂胆があって、モノクロPDPの商品化に協力

フルカラーPDP開発への必死の思い

   - 装置メーカーから言われた「気が狂ったか」-

新方式・反射型プラズマディスプレーの開発

AC型PDPの欠陥を克服した階調駆動法の開

蛍光体をパネルにつくる

本格的な実用一号機の完成、ニューヨーク証券取引所へ納入

遂に成った大画面フルカラーPDPの実現


Q&A

カラー化は不可能という世界の常識に敢えて挑んだ動機

明石に地の利はあったか

開発テーマと研究開発のマネジメント

事業の危機的状況の中で、どう長期的視点に立った研究開発を進めるか

何故、当時、ACは駄目だと言われていたのか

消費電力、寿命ともに、PDPと液晶はほとんど同じ

猛烈に追い上げてくる韓国

韓国と日本の大きな相違

日本の研究開発風土

大切な成功体験


今、振り返って

TV事業は、なぜ不採算事業に陥ってしまったか

篠田プラズマの創立と今日の夢


まとめ

 放送大学名誉教授 森谷正規
   サチコン撮像管
   日本語ワードプロセッサー
   フルカラー・プラズマディスプレー


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