もぐり研究から出発した
世界初 日本語ワードプロセッサーの開発
(株)東芝 総合研究所 情報システム研究所長 工学博士 森 健一氏
はじめに
森 健一氏
世界初 自由手書き郵便番号自動読取り装置の開発の軌跡
「文字読取り」の“もぐり研究”
PRの格好のチャンス
郵便番号自動読み取り装置へ進展
♢制限付手書き文字自動読取り装置の開発
♢土光社長が推進してくれた 自由手書き郵便番号自動読取り装置の開発
墨俣城方式で挑んだ開発体制
遂に成った 世界初自由手書き郵便番号自動読取り装置の開発
世界初 日本語ワードプロセッサーの開発の軌跡
機械翻訳研究のきっかけ
ゼロから始まった人材の育成と確保
アンダー・ザ・テーブル研究とは
「オン」と「アンダー」の明確な区分
シミュレーション実験による日本語ワードプロセッシング
同音異義語の処理が最大の課題
全て手づくりしなければならなかった日本語ワープロの必要構成要素
♢漢字ドットパータン
♢文字表示用ブラウン管の開発
日本語ワードプロセッサー初期モデル
(左はプリンター)の前に立つ森健一氏
♢小型漢字プリンターの開発
貢献限度レベルを常に考えた開発が不可
学習機能を取り入れ、ブレークスルーを達成
ミニコンを使った初の日本語ワードプロセッサー
誰でも使えるワープロへ
“死の谷”に遭遇! そして事業部長の君子の豹変
さらに追求した使いやすさ
販売戦略 - ヤマハ音楽教室方式で行こ
日本語ワープロへの反響
音声ワープロへの更なる挑戦
技術者教育についてのある考察
ある男が急に“ひつくり返る”
仕事への姿勢が急に変るとき
病跡学の教えるところ
ニュートンの転換のきっかけ
ショック療法の適用と使命感の醸成
アンダー・ザ・テーブルの合法化
Q&A
人の成長・育成と開発のタイミングをどう調整を取って進めるか
アンダー・ザ・テーブルの研究開発の実際
開発研究が行き詰まる際の原因は何か
日本語ワードプロセッサーが持つ特許
開発研究が失敗、又は行き詰まった際の対処はどうしているか
今、振り返って
第3章
世界初 フルカラー・プラズマディスプレー開発への夢と苦闘
富士通㈱ フェロー 工学博士 篠田 傳氏
篠田 傳氏
カラー化に13年、モノクロからでは24年の長い歴史
プラズマ・ディスプレーとの出会い
プラズマディスプレーの初期
カラー・プラズマテレビの基本特許、関連重要特許の取得
カラー・プラズマディスプレー成功までの足取り
夢を見つけるには、長い年月が必要
世界中が断念したカラーPDP
面放電で難問解決
最初のパネルに映し出された「愛」の文字
肝臓病で倒れる
焦燥と不安
明石公園のPDPストーン
病床で生まれた三電極のアイディア
Shinoda Plasma Co., Ltd.008(5号機)
「血液健康法」に頼るしかない
実感した人間の自然治癒力
プラズマディスプレー研究再開
夢と酒で釣って、内緒で試作をしてもらう
魂胆があって、モノクロPDPの商品化に協力
フルカラーPDP開発への必死の思い
- 装置メーカーから言われた「気が狂ったか」-
新方式・反射型プラズマディスプレーの開発
AC型PDPの欠陥を克服した階調駆動法の開
蛍光体をパネルにつくる
本格的な実用一号機の完成、ニューヨーク証券取引所へ納入
遂に成った大画面フルカラーPDPの実現
Q&A
カラー化は不可能という世界の常識に敢えて挑んだ動機
明石に地の利はあったか
開発テーマと研究開発のマネジメント
事業の危機的状況の中で、どう長期的視点に立った研究開発を進めるか
何故、当時、ACは駄目だと言われていたのか
消費電力、寿命ともに、PDPと液晶はほとんど同じ
猛烈に追い上げてくる韓国
韓国と日本の大きな相違
日本の研究開発風土
大切な成功体験
今、振り返って
TV事業は、なぜ不採算事業に陥ってしまったか
篠田プラズマの創立と今日の夢
まとめ
放送大学名誉教授 森谷正規
サチコン撮像管
日本語ワードプロセッサー
フルカラー・プラズマディスプレー