第1章

富士フイルムにおける銀塩カラーフィルム開発小史

Louis Jacques Mande Daguerre
(PPS通信社提供)

第1部 フィルム開発の歴史と大衆化への取り組み


   元 富士フイルム㈱ フェロー

   千葉大学大学院融合科学研究科 客員教授

   高田俊二氏


はじめに

ダゲレオからデジタルに至る写真産業の大きな流れ

写真術の発明と写真師の新職業創成

コダック、イーストマンの大衆化路線

ポラロイドの迅速可視化路線

デジタルカメラ 大衆化と迅速可視化の結合

わが国最初の肖像写真 島津斉彬公

なぜ、写真が日本の産業として定着したのか

富士フイルムでのフィルム開発の歴史と大衆化への取り組み

 フィルムの国産化を目指した先駆者たちの志

 リーディングカンパニーを目指した高感度フィルムの開発

 簡単押すだけのエポック商品「写ルンです」


第2部 忠実再現フィルム フジカラー「リアラ」の開発

   元 富士フイルム㈱ 取締役 常務執行役員

   現 富士ゼロックスマニュファクチュアリング㈱

   会長 佐々木登氏


フジカラー「リアラ」誕生の背景

佐々木昇氏

 高感度路線(FⅡ400を皮切りにした高感度)

 微粒子路線(DISCフィルムで実力を証明した微粒子路線)

 フジカラー「リアラ」の色再現目標

第4の感色層の発明

開発余話

学会、写真雑誌等の反応

その後の展開と紫綬褒章受章

謝辞


第3部 超高画質カラーリバーサルフィルム「ベルビア」の開発

石丸慎吾氏

   元 富士フイルム㈱ フェロー

   石丸信吾氏


はじめに

外型と内型カラーリバーサルフィルム

富士写真フイルムの追撃

コダックの背中が見えた

ベルビア誕生を支えた材料設計

 チャレンジングな目標

 ハロゲン化銀乳剤の開発

   a.階調作り
   b.鮮鋭度向上
   c.粒状性低減
   d.重層効果制御

井上伸昭氏

DIR素材の開発

薄層化素材の開発


まとめ


   富士フイルム社㈱ 前 取締役 常務執行役員 R&D統括本部長

   現参与 井上伸昭氏


第2章

鈴木智行氏

ソニーイメージセンサー挑戦の軌跡

ソニー㈱ 執行役EVP 鈴木智行氏


初めに

ソニーのデバイス事業のミッションとイメージセンサービジネスの現況

ソニーのビジョン

エレクトロニクス商品とそれを支えるイメージセンサー

-セットとデバイスの連携が商品力を強化する-

  ソニーが関わったデジタルカメラ市場の変遷

  ソニーのイメージセンサーの変遷

今日に至るソニーのイメージセンサーの経緯

  ソニーの創業者精神とソニースピリッツ


ソニーのCCDイメージセンサー キーテクノロジー

電子シャッターを可能にした縦型オーバーフロー・ドレインの開発

画素の極小化と画素数の拡大、解像度向上への長年の挑戦

CCDの技術革新によるビデオカメラの進化


CCDからCMOSイメージセンサーへの変革

CMOS時代への移行を告げていた情報化時代への大きなうねり

目指して来たイメージセンサーの方向性

-フィルムを超え、人間の眼を超える-


ソニーのCMOSイメージセンサー キーテクノロジー

A/Dコンバーターを内蔵したCMOSイメージセンサーの開発

裏面照射型CMOSイメージセンサーの開発

-常識に抗して執念と確信で遂に実現させた男の成果-

積層型CMOSイメージセンサーの開発

-向上させた感度・ダイナミックレンジと信号処理スピード-

  積層型CMOSイメージセンサーの特徴

   ○ 暗い所でも明るく撮影可能

   ○ 逆行でも黒つぶれ、白飛びしにくい


ソニーのCMOSイメージセンサービジネスの成功要因

①社内にあった強いカメラグループ

②製造事業所に持たせた開発機能


ソニーのイメージセンサーが目指すもの

人間の目の限界を超えるイメージセンサーの進化


最後に

1億画素・50倍電子ズームで実現出来る世界


Q&A

永遠の課題 色の分離と再現

先ずは技術者が描いているイメージングワールドを描かせる

性能とコストのジレンマ

全て完全内製のソニーのイメージセンサー組み立てライン

CCDの開発成功の鍵だった結晶欠陥と金属汚染の抑制

ダイナミックレンジのコントロール方法

CMOSの次のイメージセンサー

ソニーのDNAの現況は

当初は疑問を抱いていた裏面照射型の開発に、七年も待てたのは何故か

時代の要請に応えられていない今日のディスプレー


第3章

起死回生を期した

エプソンのカラーインクジェットプリンターの開発

セイコーエプソン㈱ 取締役 情報画像事業本部副事業本部長 
現 代表取締役社長 碓井 稔氏


碓井 稔氏
会社存続の危機到来

エプソンにおけるインクジェットプリンター開発の経緯

なかなか離陸できないインクジェット事業

社内で競い合う各種印刷技術方式

ピエゾ方式に賭けていたエプソンのインクジェット開発

HPの発想の大転換 インクジェットプリンターの将来を決定

サーマルインクジェット方式の飛躍

サーマルインクジェット方式の飛躍

当時のエプソンのインクジェット技術

設計部と開発部の取り組み

SUSノズルプレートの開発


マイクロピエゾテクノロジーの基本コンセプトの構築

インクジェットヘッドの開発部門への異動

ピエゾ素子のブレークスルーへの挑戦

2つのヘッド構造

メニスカスコントロール


アクチュエーターを使ったインクジェットヘッドの基本構想

全社プロジェクトの発足

ピエゾアクチュエーターアレイの加工

インク室形成の量産技術確立

設計部への移動

開発部に戻る

再び設計部へ、そして量産化成功


6色インクを搭載し、フォト画質を実現した
PM-700(1996年)
写真高画質で飛躍

インクジェット要素開発体制の変更

カラープリンターMJ700V2Cの開発

MLP方式の進化とMLChips方式の開発

MLP方式の進化

ML Chips方式の開発

MSDTの開発

PMー700Cの開発

PM写真用紙、写真用顔料インクの開発


インクジェット方式の開発の広がり

あらゆるプリンティングの変革をマイクロピエゾで


Q&A

周囲の支持を如何に得たか

設計と開発の綱引きや足の引っ張り合いはなかったか

イギリスのザールの影響はどれぐらいあったか

顔料インクの世評はどうか

三十代前半から半ばくらいで、次に続くような開発人材をどう育てているか

若くしてプロジェクトリーダーになれた背景はどのようなものであったか

本社の支援はどうであったか


まとめ 

放送大学名誉教授 森谷正規


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