1963年に社会に出て、60年近く企業活動に携わってきました。
ホンダでの30年間では、モトGPエンジン、F1エンジン、NR楕円ピストンエンジン、CVCC低公害エンジン等の開発、朝霞研究所設立、いわゆるHY戦争、レース活動専門企業HRCの設立、アメリカ・オハイオ工場立ち上げ拡充等に参加させてもらいました。
次の7年間はセガで、世の中に出始めた3DCGを使ったハイテク・ミニテーマパークの世界展開、インターネット・ブラウザーが使えるようになったばかりのネット接続ゲーム機・サターンの開発、サクラ大戦などのゲームソフト開発等を主導し、日本とシリコンバレーとの間を行ったり来たりの生活を経験しました。
2000年にコンサルタント会社(有)入交昭一郎を立ち上げ、いろいろな企業の仕事に関わりました。この中にはGMから独立した当時世界最大の部品会社デルファイ、ITのいち早い採用で日本最大の玩具・一時流通会社になったハピネット、当時禿鷹ファンドと呼ばれた外資ファンドのリップルウッドや自動車用鋳物部品メーカー・旭テック等があります。
この60年間の活動を通じて、私自身多くの失敗といくつかの成功を体験してきました。
またその過程で多くの偉人、経営者、ビジネスリーダーと付き合ってきました。本田宗一郎、藤沢武夫、中山隼雄、大川功、河合洋、広井王子、秋元康、ビルゲイツ、ジェンセンファン、ティムコリンズ、カムランエラヒアン、際限ありません。
これら失敗や成功体験、交際を通じて私が経験したり学んだこと、反省や教訓、とくにできればこれから活躍する人達に伝えたいと思うことを一度まとめておきたいと思い、今回の6回の講演にまとめてみました。
私のビジネス界における最後のご奉公として皆様に少しでもご参考になれば、これ以上の幸せはありません。
入交 昭一郎
新経営研究会
代表 松尾 隆
弊会は去る1982年、同志が相語らい、急変する企業環境の下で各企業が其々の強みを発揮し、このグローバル化の時代、わが国の特徴と強みを発揚させる新たな飛躍への指針を求め合おうと、わが国企業の経営トップ、技術系幹部の方々が産業横断的に交流、相互啓発し合える機会と場の必要を痛感し合って発足させた同志会です。お陰様で、弊会は今年2022年11月、発足40周年を迎えます。これも偏に皆様の厚いご支援の賜物で、改めて衷心より幾重にも御礼申し上げる次第です。
つきましては、弊会では40周年記念事業として、来たる2022年6月から月例会で6回にわたり、元本田技研工業(株)副社長、元(株)セガ 社長 入交昭一郎氏をお囲みし、氏が歩んで来られた夢と挑戦の道のりを“自らのご体験と思い”を通してご披瀝いただき、私たちへの掛け替えのない示唆とさせていただくと同時に、希望と勇気を開く機会ともさせていただきたいと願っています。
ご案内の通り、入交昭一郎氏は、日本が敗戦の痛手からようやく立ち直ろうとしていた時代、輝く夢と溢れる挑戦心の下、数々の革新的挑戦に挑み続け、日本を世界に輝かせ続けたお一人でした。
氏は1963年 東京大学工学部航空工学科卒。在学中、航空機エンジンからレース用エンジンに関心が移り、本田技研に入社。研究所配属後、F1エンジンの設計を一任されます。昨年12 月、ホンダは30年ぶりに悲願のF1優勝を達成しましたが、その原点は1965年、メキシコGPでのホンダF1初優勝。入交氏もそのエンジン設計に加わっていたRA-272の快挙でした。
入交昭一郎氏の産業人としての第一歩は本田技研工業の創業者 不世出といわれる天才的技術者 本田宗一郎と藤澤武夫という二人の偉大な創業者から直接薫陶を受けたことに始り、共に一つの時代を開き合って来た方と言って過言でないでしょう。
又、ホンダは世界の車メーカーが米国大気浄化法マスキー法のクリアーは絶対不可能と断じる中、希薄燃焼エンジンの開発で世界で初めてこれをクリアーし、ホンダの名前を改めて世界に知らしめた革新的エンジンCVCCを発表しましたが、氏はこの開発にも深く関わっていた方でした。
1973年、CVCC発表直後、ビッグ3から異議申し立てがあり、「これは小型の日本車だから出来たように見えるが、5.7ℓフルサイズの米国車では不可能だ」とクレームをつけてきた。ホンダはこの挑戦を受け、遂にビッグ3への技術供与に成功しますが、その中心となったのが入交昭一郎氏でした。技術供与決定後、ビッグ3からギャラクシーのような車が毎月、何台も送られてくる。データ採取のため走らせるとそれは感動の連日で、米国の技術力の高さを改めて思い知らされることになったと言います。5.7ℓ V8で音もしない! フルオートマチック、加速は凄くブレーキは効く!乗り心地は抜群。正に夢の車だったそうです。CVCCでは勝ったが、こんな凄い車を俺たちに創れる日が来るんだろうか、そんな思いにおそわれたそうです。ところが1974年の夏頃、ビッグ3への対応でその米国の一社に出向中だった入交氏たちは、「もしかしたら俺たち彼らに勝てるんじゃないか?」という予感を覚えていたといいます。今だから話せるCVCCビッグ3への技術供与秘話です。そして世界初の楕円ピストンエンジンの開発。1979 年 「1兆円企業初の30代取締役」と騒がれた本社取締役就任、1979〜 83年 ヤマハと二輪のトップシェアを争ったHY戦争とその総指揮、1984年米国ホンダ初代社長就任、1990年 本社副社長就任、1993年4月 本田技研退社。氏のホンダ時代は正に感動溢れる歴史でした。
そして1993年、友人の紹介で中山隼雄氏との感動的出会いを得て副社長としてセガに入社。後に社長。以後、大川功、ビルゲイツ、NVIDIA CEO Jensen Huang、広井王子、秋元康各氏と出会い、セガサターン用ゲームソフト「サクラ大戦」 を製作総指揮、セガの一大人気シリーズに育て上げます。 その後、氏はエンターテインメントの未来を先取りしてゲームと通信機能を融合。他ゲーム機では見られない立体的3次元映像を楽しめる「夢のゲーム機・ドリームキャスト」の開発に全力を尽くしますが、その心臓部・3 次元グラフィックスを支える半導体チップの開発に遅れを生じ、発売には間に合ったものの年末の大商機で売り逃しを起し、2000年6月、責任を取って社長を辞任します。 このゲームの世界は今、次期オリンピックに登場が期待される「eSports」にまで発展しています。
今回、入交昭一郎氏が歩んで来られた掬い切れぬ程の示唆に溢れた感動溢れる道のりにご本人との直接的な出会いを通して感動的に触れ、氏が今日危ぶむ 「エテ公でもアイルトンセナに勝つ車」という今日の開発思潮にも触れながら、今後の技術開発を本質的に考える機会ともしたいと願っています。 皆様の積極的なご参加を願ってやみません。